「ミディアムレア 二」
◆
朝、まだ視界の青い時間に起床する。
春といえどさすがに底冷えがした。窓を開け放ち、服を着替えて水汲みに出かける。
井戸には傷面でぼさぼさの髪をした男が錆びたポンプから水が出るのをのんびり眺めていた。
「よう、坊ちゃん。リンゴ食うかい?」
「食う」
この男はハヴォック家に雇われ牧場に住み込んでいるエギルという男だ。
二人でしばし桶に水が溜まっていくのを眺める。
大人なら頭に乗せる壺を使うが子供の力では持てないから、水瓶と井戸を何度も往復する必要があった。エーテルを使えば楽なのに、と何度も思ってしまう。
「ガレアーンの嬢ちゃんにいじめられてないかい? あの娘、根性なしには辛く当たるからな」
「大丈夫です。今度、馬の乗り方教えてくれるって」
「へぇー、嬢ちゃん、いっちょまえに親分面してんのか。馬なんてまともに乗れないくせしてよ」
エギルは他人を罵倒しまくるが、親愛を感じるので嫌な気分にはならない。人徳というやつだろう。
「でも、レアは馬乗るのうまいですよ?」
馬上で槍を振り回す姿は暴れ馬のショーみたいだった。
「チッチッ。木や石の家を建てるようなノロマどもばっかりだぜ。生まれた時から馬に乗ってねえ。当主さまには悪いがここらの馬使いは子供のお遊びよ。戦士のくせして馬の上で寝れねえとか飛び移れねえとか言ってるやつがいるの、信じらんねえ。ま、だからオレっちみてぇな専門家が食っていけるんだがな」
「……そんなに遊牧戦士って強いの?」
早朝、エギルと話す時間がメテウスは好きだった。
仕事の前の儀式というか。気持ちがリセットされる気がする。
リンゴの半分をポケットに入れたエギルは、桶を持って立ち上がる。
「いや……それも複雑でな。これが高級戦士になってくると馬より早く走るうえ、ブウェイック家くらいになると、飛ぶからな。オラァ、ブウェイック家の女が空を飛んでるの見たことがある」
「飛ぶ意味ある?ほんとかなぁ?」
「ほんとのほんとさ。じゃあな」
せっせと水瓶と井戸を往復した。
朝日が出てきたので、ガレアーンの部屋へいく。
「うにゅ……」
臍を出して寝台に寝っ転がってる少女。もう見慣れたので変な気持ちにはならないが、普通に上半身裸になって着替えたりするので最初はぎょっとした。いまは裸をみると、美術品のちょっとエッチな裸婦像をみる感覚で眼福として楽しんでいる、これは内緒だ。
「起きろ、起きろよ」
「……ん?」
砂色の髪を一房、頬に張り付かせたガレアーンは芋虫みたいにうつぶせになり、薄い毛布を頭からかぶった。防御の構えだ。頭隠して尻隠さず、みっともない。
「寝てるの……」
「水ぶっかけるぞ。ほら、起きないとこっちが怒られるんだ。」
「うーん……うるさい……顔。顔洗って……」
「はいはい」
桶と布を用意し、膝の上においてやる。パシャパシャと顔を洗ったあと、濡れた犬を拭くように顔を拭う。ついでに寝ぐせも直してやる。
「も、もっと丁寧に」
「自分でやれ」
ようやく目が覚めてきたようだ。
朝食の準備を手伝うため、ガレアーンの部屋をあとにした。
ガレアーンは別棟に住んでいるから、母屋までしばらく歩かなければならない。
朝日を眺めながら、巨大な平屋のひさしに入った。
まだ人影の少ない早朝は牧歌的な空気が流れていて、メテウスはそれを乱さないように足を急がない。
彫り物のような姿で玄関で眠る老犬は牧場の主のようだ。引退した牧羊犬が可愛がられているのは、裕福な証拠に感じる。
中に入ってすぐ、暖色の壁には、年代物の武具や絵画が飾られていた。
ワニスのくすんだ人物画が睥睨してくるのを通り過ぎ、修繕中の馬具をよけて、食堂で机につっぷして眠る牧童の一群を起こさないようにして炊事場へ向かった。
大柄な女性が湯を沸かしていた。手にはハサミが握られている。
……鶏が紐で縛られ、逆さになっていた。
「メトちゃん。ニンニクの皮むきしてくんな」
「わかりました」
ごけーっ!と断末魔が響いた。
◆
ふかした芋が山盛りになっているのをいくつか取って、食べ歩きながら厩舎へ向かった。ムール芋は舌を麻痺させて食べなければならないが、これはこれで慣れると燃料補給をしている感じで悪くない。下働きの食事は相変わらず味を考慮されていないが、飢えない時点で恵まれているのだ。
……ムール芋はその性質上、冬は薪代わりに燃やされる食物なので、せめてもう一品ほしいという欲求もないではなかったが。
森近くの厩舎にある囲いには馬が放されていて、眠そうに歩いている。
ベンチに座って煙草を吸っているガイコツに話しかけた。
「骨爺、おはよう。馬、乗っていい?」
「またおまえか。図々しい孤狼児め。いい加減諦めたらどうだ?」
コツコツ音を立てて口を開き、ケムリを吹いたガイコツ。
頭蓋骨のすべての穴から煙草の煙があふれ出して、悪趣味な香炉みたいになっている。
見るたび化け物を見つけた気がしてドキッとするが、化け物ではない。
この骨爺は、呪われ人だ。
腱もないのになぜ骨が動くのか、どうやって発声しているのか、いまだにわからないし、煙草をどうやって吞んでいるか謎だが、けっして悪しき化け物ではない。
骨格標本まるだしのガイコツが服を着て普通に仕事をしているのではじめは超びっくりしたが、呪われ人と知ってからは親しみがわいた。なんせ血肉がないので俗世に関わりを持ちようがないから、普通の大人よりも安全だ。
神々の勘気を被り呪われた人間にも種類があって、このあたりのご当地呪われ人は骨になるらしい。
──死ねないという罰。昔は悪人だったのかもしれないが、骨になってまで悪人でいられるやつがいるとも思えない……。
メテウスは自分でも不可思議なことに、骨爺に対して過度に同情していた。
厩舎で生活している骨爺はいつも暇そうにしていて、アドバイスをしてくる。
「そのうち大怪我するぞ。諦めたらどうだ?馬に乗れないってのは足がないのと同じってだけだ」
「いや、馬に乗れないとか意味わかんないし……足がないのと同じにしないでくれる?」
「似たようなもんだろ。馬車なんつー、能無しかバカだけが好むいざり車に乗らないとおまえは草原を移動できないんだぞ? 永遠の幼児だ。遊牧民ならとっくに殺処分されてる」
「さ、差別スピーチ……」
メテウスはなぜか馬に乗れなくなっていた。
馬にまたがると針が刺さったかのように馬が嫌がって振り落とされるのだ。
傭兵時代はまっとうに乗れていたので、そんなはずがないと何度も挑戦している。
「諦めろ。逆に考えるんだ。おまえは馬に乗るのに失敗してるんじゃない。馬に乗れない才能がある、と考えるんだ」
「それは嘘だろうが!!マイナスを無理やりポジティブに考えさせようとする他人事もろだしの残酷さ、おれってば大嫌い!ただ乗るだけなのに才能とか関係ないでしょ──プギャッ!」
意気揚々と馬にまたがった次の瞬間、メテウスは回転しながら大空に吹っ飛んで全身打撲を負った。重症である。
藁の山でしばらく寝転び、回復に専念するメテウスは心が折れかけていた。
一時期エーテルが扱えなくなったので、鍛錬した結果、最近はエーテルがじょじょに戻ってきたが、昔よりも少なく、まるではじめてエーテルを扱いはじめた初学者のようにもどかしく、回復も遅々たるものだ。
全身打撲からの発熱で意識を朦朧とさせながら、メテウスは藁の中に沈んでいった。
「嘘だろ……? こんなことがあっていいはずがない。そうだ──これは夢なんだ。
つぎに目覚めたら僕はふかふかのベッドの中にいて、超巨乳の美女百人とモグラみてぇなモフモフのペットに囲まれて、おもしろおかしく過ごすんだ……すやぁ」




