「ミディアムレア 一」
暗闇しか映らないとき、暗闇こそ貴方を覆い隠す味方となる。
恐れの炎が消えないとき、その焼傷は貴方の力となる。
全き絶望は貴方に永遠の焔を与える。
全き痛みを運命として、全き天秤に命を載せたとき。
魂を擲つならば、貴方は等価の完全性を得る。
エッゼの書・詩編21「焔輪」より
◆
「わかる?ズバッと斬ってブシャッ。すびゅーって血が出るようにやるの。あとは心臓か頭。愚図なアンタでもわかるでしょ?」
「すみませんわかりません」
素で答えてしまう。
メテウスよりも年上の少女は、お姉さんぶって言う。
「んもう。これだから〈炉無し〉は。いいわ、見といて」
視線の先には、一匹の魔獣が杭に縛り付けられていた。
四肢の図太いずんぐりとした猿型の魔獣だ。
近隣の農村で家畜や子供を喰らい、毒餌の罠にて捕らえられた正真正銘の魔獣だが、剣を担いで舌なめずりする少女に見つめられ本能的に怯えていた。
……十代後半にもなってない少女がしていい顔つきじゃないな……。
情けない話だが、メテウスも怯えていた。
「ほらっ!こうやるの!」
「ホキャッ!?」
銀の煌めきが無造作に放たれる。
神速の袈裟がけであった。
刀身は猿の厚い皮膚を深々と切り裂き、痛みで狂乱する猿に近づいた少女は、唇を引き結んで首を切り落とした。
「ウキ、ギャッ」
落命。
振り向いた少女は得意げで、勝ち気な顔立ちを綻ばせ、頬は興奮で朱に染まっていた。
可憐な年相応の姿ではある。しかし後ろには真っ赤な血を吹く首無し猿の胴体が映っていたので、近づいてくる少女のことが水墨画で描かれた悪鬼にしか見えなかった。手汗をじっとり握りこんで唱えてみる。
……落ち着け、たかが魔獣が死んだだけだ。なにを恐れる?ガキ相手だぞ。戦場にも子供の戦士なんていくらでもいる……。
蛆がモザイクのように這い回る死体や、柘榴の如く破裂した頭の中身。戦場の光景に比べればグロテスクではない。
そうして落ち着こうとしたが、いくら記憶をイメージ検索しても、少女の姿と一致するものは骸骨じみた飢餓兵が人肉を嬉しそうに解体して鍋に放り込んでいる姿しか思い出せなかったので、本能的な恐怖をメテウスは受け入れることにした。
相手は女の子で野蛮人、だが怖いものは怖いのだ。
「わかった!?こうやればいいの!父上が集めてくれたわたしの従者タチ……みんな腰抜けばっかりで消えちゃったけど、おまえはできるよね!?」
何言ってんのかさっぱりわからなかった。
死んだ目で現実を見つめる間にも、事態は進行していく。
「ギーッ!」
下男数人が額に汗を溜らせ、新たな猿型魔獣を杭に縛り付けている。よく見ると死体の猿に必死に手を伸ばしていて、(ツガイか親子だろう)と推測もついた。
(……哀れな)
一方、満面の笑みで反り返った剣を渡してくる少女。
砂浜のような髪を太陽光にきらめかせ、歯を見せて笑っていた。
明るく意志の強い印象を持たせる少女だ。真っ白な布に金の縁取りがされた上着。砂色の髪は襟と眉のあたりで切りそろえられてきて、かすかな香油の香りは、彼女が市民階級よりも上の存在であることを示唆している。
恐ろしい。
勝ち気なスカイブルーの瞳は自信ありげに微笑み、親しい友に贈り物をするかのような仕草で血に濡れた刃物を渡してきた。
「さあ、やってみて」
「…………」
……おれは、もしかして運が悪いのか?
自分の腕を見下ろした。程よく筋肉が乗っている。握力だってもう剣を握れる。だが十歳やそこらの体だ。高貴な少女が求めているものは、首切りの絶技である。
「……すみませんお嬢様。自分にはまだ早いようです」
「なんですって!?わたしの言うことを聞かないなんて……どうなるかわかってるの!?」
……どうなるの?え、なに?殺されるの?
デッドエンドなのか?
そう考えたところで、メテウスの内心に浮かぶものは一粒の鉛のような諦念だった。
人はよくしたり顔で、諦めなければ人生を決められる、運命を変えられると嘯くが、その言葉には隠れた注釈があって、本当に不可能なことを本能的に理解できる知恵があるからこそ一見不可能なことを成し遂げられるという暗黙の教訓が込められている。
宇宙を破壊すると決意した男はいくらでもいるけども、彼らが宇宙を破壊できた試しはない。
愛する人の死体を抱え、神を呪って墓石を蹴り崩し、復讐してみせると叫んだ復讐者のだれも神を殺せなかったではないか。
本当の不可能に挑むことは真に愚かなことなのだ。
「ホキャキャッ!グギィーッ!」
――魔獣の表皮は岩石に似ている、とされる。
強靭な魔獣の首は、正当な武を習得していないメテウスには切り落とせない。そして猿の魔獣の首を切り落としたところで、ワガママなお嬢様の付き人にされるだけだ。選択肢は全て罠であった。
半ば現実逃避に思考を回転させ、脂汗を垂らしながら遠くを見つめていると、一列の集団が目に入った。彼らはこちらに向かっている──狩りから帰った、戦士たちだ。
「ああっ!ガレアーン様。戦士の人たちが戻ったようですよ」
会話を断ち切って手を振ると、あちらも手を振った。
「おぉ~い! 帰ったぞう!」
「父上!」
少女がパッと駆ける。
その先には旅程から帰った男たちがいて、ボールのようなものを山盛りにした荷馬車が数台あとにづいている。
……まぎれもなく人の首を積み込んだ荷馬車である。
それを曳く巨大なトカゲがドコドコ高速で走り、口元をモゴモゴさせていた。よくみると服の切れ端が口元についている、服を纏った二足歩行のおやつが提供されたようだ。
……家畜に人肉食わせんなよ!!
「みな!今宵は宴だ!!長年の悲願であった兄の仇を取れた!!長兄の仇であった次兄を一騎打ちで落馬させ、踏み潰してやったわ!!」
……クソ、兄の仇だった兄を殺したとか言ってる……!わかりにくいことこの上ない……!蛮族にも限度があるだろ……!
メテウスは頭を抱える。
季節は春前。孤児のメテウスがガレアーンと共闘したのが四か月ほど前の話となるだろうか。
冬の大半をすやすやと城で寝て過ごし、起きたら起きたで戦の手駒にされたメテウスは、戦のないあいだは邪魔だということで、この牧場に預けられた。
ガレアーンの実家、ハヴォック家の所有する牧場である。
預けられたワケアリの子供だが、ブウェイック家の傍系にあたるということもあって、メテウスの扱いは無視の一択。溶け込めるように配慮する……的な気遣いは全くないため、普通の子供ならば気後れして心を病んでいたかもしれないが、メテウスは勝手に仕事をみつけて下働きとしてよろしくやっていた。
この牧場は、ハヴォック家の所有する平野にいくつかある拠点の一つである。
巨大な母屋や別棟が立ち並んでいて、貧しさとは無縁にみえた。
ハヴォック家の策源地はこの広大なダスカーニャ平野であり、一つの平野をまるごと占領している半遊牧系の貴族ということでかなりの名家らしい。
戦士や郎党や下男下女に牧童や旅人、そして彼らの子供や家族。人の流動の激しい場所なので、食堂では山盛りの塩ゆでの羊肉と芋を好き勝手に食べるスタイルだし、すこし変わり種のメテウスを奇異の目でみてくる人間も少ない。話の引き出しの多い旅人のほうがよっぽど注目されている。
「ほら、なにしてるの!
メインの子牛の丸焼きをわたしが任せられたわ!手伝いなさい!」
「えぇ……それっておれがほとんどやるんでしょ?ガレアーン様は火起こしだけするんじゃ……」
「つべこべ言わないで!!」
……次は手が出るな。
メテウスはお嬢様の気質を見切っていた。
戦う力のない人間はとりあえず殴って言うことを聞かせる、あらくれ男の少女verだ。
これでも問答が成立するだけ一目置かれている。それでも従うことしかできない。それがいまのメテウスの立場だ。
身分では圧倒的にガレアーンのほうが上。
ハヴォック家の戦士というと、アペイロン王国ふうにたとえるなら、第二位貴族や第三位貴族くらいのイメージがある。領地が広すぎてお膝元以外の管理はざっくらばん、王都にいりびたって政治をしているような位階の貴族の直系。
普通に考えれば、孤児が口答えしたら一瞬で殺され、首だけになった当人ですら晒し台のうえで「まあそりゃそうなるよな……」と納得してしまう位階の貴族。
しかし、メテウスも1%は貴族だ。ブウェイック家の傍系の子孫であり、戦場に出されるであろうメテウスは、多少口答えしても殴られるだけですむ程度の身分はあるようだった。
そういう空気感があるというか。
ガレアーンとは仮にも戦友だったという感覚があるというか。
気性の激しいお嬢様の付き人候補着任!というか。
言うほど身分か?という悲しみがいくら湧こうとも、身分がなければ気まぐれに殺されても誰も文句を言わないのだから、メテウスはこの絶妙に頼りにならない身分をなんとか活用したいと考えている。
「!? 腸がちぎれた!くさい!もう面倒ね!任せたわ!!」
「知ってた」
実家にいるガレアーンは、戦場にいたころよりもずっと幼くみえた。
柔らかそうなほっぺたに血を散らして笑って楽しそうなので、あまり小言を言わないようにして、メテウスはもくもくと解体を進める。
小競り合いに勝利した当主が帰ってきたため、深夜まで続くお祭りになるだろう。未開の蛮族ではとても思いつかないであろう、臭いけしの香草や木の実などを腹に詰め込んでいく。子牛の丸焼きの出来がメテウスの立場を強固にしてくれることを期待していた。
「これは失敗できないな……」
「なに?びびっちゃって。変なところで小心なんだから。おまえ、評判悪いよ」
「うるさいですね……」
「混血の下働きのくせに、目が陰湿で気持ち悪いって」
「なんてレイシストどもだ!目は生まれ持った資質だろう!自分ではどうしようもない!せめて行動で判断してくれ!」
「贅沢いわないの。ほら、お酒あげるから、飲みなさい」
メテウスはぐびっと飲んだ。
うっすい水代わりのワインだ。酔う目的の飲み物ではないが、ほのかに酔うことはできる。
「ふぅ……お嬢様、聞いていいか? なんでご当主のリヤルト様は、自分の兄を殺したとか言って喜んでるんだ? さる情報筋(※ロワットラ)によると、バロート人は兄弟殺しを嫌うって聞いたんだが……」
「フフン。ものを知らないのね! 教えてあげる!
兄弟の縁だって、正当な理由があれば切れるものよ!
わたしなんて、兄上が縁を切ってきたらすぐに殺す準備はできているわ!」
……無茶苦茶だ! 『バロートに兄妹殺しは存在しない』とか言ってた話、丸ごとウソじゃねえか!この蛮族ども、信用ならない!
蛮族レベル1には理解できないことだ。
メテウスが蛮族レベルをあげていくには、まだしばらくの時が必要となる。




