51「ザップ 十一」
◆
部屋に戻るため、長い廊下を歩いた。
メテウスの頭の中でグルグルと言葉が回る。
……人間は過去に戻れない?記憶が偽物?神々の駒にはよくある?
……信じるはずもない戯言だが、もしもそれが本当なら、すべてが逆転しないか?
騙されているのではないかと疑い、ロワットラたちが信じていることが間違っているのではないかと疑い、最後には自分の記憶を疑うようになる。
……想像してみてほしい。自分の人生がすべて嘘だったと言われて、はいそうですか、と頷けるやつなんていやしない。なのに、この確信すら作られた偽物だったら?
……もしも、もしもの話で、記憶が偽物だったなら。
だれが仕組んだのだろうか?人間が相手なら憎むこともできる。けれど、それが神々だとしたら?
混乱で足がもつれた。
リージェントが足を止め、背の低いメテウスの手をとって立ち上がらせた。埃をぱんぱんと払い、うつむくメテウスの肩を叩く。
「シャキンとなさい!」
どうやら年上のつもりらしかった。とても賢そうな眼をしている。
……理知的な顔をした人間にはなじみが薄い。淫乱な女の顔が一発でわかるように、理性の強い顔立ちも一目でわかる。
ノリで生きている傭兵仲間たちのライブ感丸出しの動物的な顔つきのほうが、ずっと親近感がわく。人間性の欠落していない人間は、弱点に乏しい魔獣みたいでわけもなく敵対したくなる。
「チッ、馴れ馴れしくするなよ……。親のことなんて知りたくなかったんだ。無意味なことを調べやがって……」
リージェントは微笑みを崩さなかった。
「それをロワットラ様の前で言えたなら、すこしは優しくしてあげたんですけれど」
──それを言っちゃあおしめぇよ……!
メテウスは不貞腐れた。蛇の目をしたロワットラに逆らうことはできない。暴力を振るうことを楽しむ人間に反論すれば、普通に殴られるからだ。言葉にすれば情けないので、目だけで訴えかける。
「うっ。なぜそんな叱られた子犬のような目を……ほら、機嫌を治して。飴をあげますから」
「……子供扱いか?……甘っ」
「強がったって子供ですからねぇ。男の子ってどうしてそうなの。戦に出たからって、子供じゃなくなるわけじゃないんですから」
──そうだろうか?人殺しに慣れた子供なんて子供じゃない。片っ端から駆除すべき害虫じゃないだろうか?
メテウスの脳裏によぎる、飢えた少年兵たちが人間を解体して鍋にしている光景。
農村で攫われたあと、薬物とセックスと人殺しを教え込まれ、飯がもったいないからと死体を食わされたガキの兵隊に手加減するやつなんて誰もいなかった。
略奪した村の女を鎖で数珠繋ぎにし、遊び半分で犯したり目玉をえぐっては手を叩いて喜ぶ子供たちをぶっ殺したことがある。なんの罪悪感も湧かなかった。
孤狼児も同じだ。戦に出る子供というのは邪悪な小鬼として扱われ、手加減されない。リージェントはロワットラの使用人のくせに戦場を知らないんじゃないだろうか?だから自分なんかを矯正できると思い込んで説教をするのでは?
このまま子供扱いされるのも居心地が悪い。メテウスは反論した
「……フッ。おれは良い年した傭兵だったんだ。これが嘘の記憶だなんて思えないんだよ。アンタみたいな可愛い女の子に年上面されちゃ、沽券に関わる」
「ごっこ遊びで強がってる十歳くらいの可愛い男の子にしかみえませんが……まあ、いまはそうかもしれませんね。私の家にはたくさんの記録があります。前世ある人間も十五歳になればただの秀才です。普通に育つものですよ。だいたい、貴方が寝込んでいるときにおねしょしたのをだれが片付けたと思ってるんです?」
リージェントの目線は一瞬下に向かった。
「うぐっ」
……あ、明らかにちんちんが大人になっていないことを揶揄されている……。気がする!
被害妄想を抱きつつ、メテウスはトボトボ少女のあとについていった。その背中に沽券らしきものは全くない。
その日の眠りは浅かった。
◆
「あれ? エーテルが──動かない?」
いつもの城の一室で目覚めたメテウスが、半ば敵地にいるという感覚からか、無意識にエーテルを廻すと、いっさいの反応がなかった。意識できない極度の緊張のせいだろうか?
こんこん、とドアノッカーが叩かれる。
心の準備ができていないメテウスは眠っていると勘違いされることを期待して無言だったが、かまわずドアは開かれた。
石枠に無理やり当てはめたようなドアは建付けが悪く、ギギギとひきつり声をあげて眠りを妨げる。
「身を起こしているのなら、気配でわかります。お返事をなさってください」
リージェントだった。メテウスは使用人の少女に良い印象を持っていない。シーツにくるまり、無言で外のほうを向いた。
少女の細腕が肩をゆさぶる。
「もう!すねたって仕方ないでしょう?ロワットラ様が読んでいます。ほら、お姉ちゃんが着替えさせてあげるから、起きて」
「──いや、昨日の話聞いてました? おれのほうが年上なんだけど?」
「どこが?」
エーテルを扱えなくなると、頼りない子供の体が自覚できる。
ベッドも部屋もひどく巨大にみえる。それは体が小さいからだ。そしてそのぶん力も小さい。とくにエーテルが使えない今は──
「ちょ、調子が悪い。ごほっ!ゴッホン!風邪かもしれない。寝かせてくれ……すやぁ」
目を瞑ってみたが、リージェントが無言の怒気とともにシーツをひっぺ替えした。
高位の貴族の高級使用人である、エーテルの心得がないはずもない。
万力じみた剛腕で引きずり出され、抵抗できず服をひっぺがされ、魔法のような手管で服を装着されていった。無抵抗だと体を問答無用で折り曲げられるので途中からは協力していた。
「さ。行きましょうか」
「……はい」
メテウスは小娘に敗北した屈辱に震えた。
◆
「おまえの処遇が決まったぞ」
「えぇ……」
はやくない?
本人の意見は?という顔をしたメテウスをみて、ロワットラはニカッと笑った。陽性の笑みが全く似合っていない。青白い肌もあいまって、蝙蝠とか蛇がいきなり笑った感じだ。
どのみち抵抗しようがないので、エーテルが動かないことを正直に告白した。もしかしたら役立たずとして放り出してくれるかもしれないという一抹の期待がある。
「フムン?おまえ、自分では気づいていないみたいだが、呪い子の仮象体に肉体を取り込まれたんだぞ?なにがあっても不思議ではないが……気の持ちようじゃないか?」
「仮象体……? 気の持ちよう……? そ、そんな曖昧な……。もう体に力がなくって心元ないんです。大人に襲われたら死ぬんじゃないかと、不安感で心を病みそうなくらいです。ロワットラ様、どうにかなりませんか?」
リージェントがぼそっと『力が使えなくなったとたん下手に……風見鶏……?』というが、無視した。
「姉上と呼べ。まあ、そのうち体も馴染むだろう。そういうものだ」
「う、嘘でしょ……適当な……いや……うん?まさか……」
嫌な予想が浮かぶ。
この軽い言いよう、自分のほかに前例があるということなのか?メテウスはいぶかしんだ。
そして疑念を飲み込んだ。機嫌を損ねて始末されたら、エーテルが扱えないので自爆もできない。
どうせ死ぬにしても自爆してできるだけ多くの無辜の他人を巻き添えにして死にたいという、邪悪な破滅願望がメテウスに足を踏みとどまらせた。
なぜなら、より強大な邪悪が目の前で姉と名乗っているからだ。邪悪度で負けていた。
……姉上、なんて馴染みのない言葉だろうか。だがいつまでも反抗している意味もない。
「わかりました、姉、上……」
「納得したようだな。よし、ついてこい。私も暇じゃないんだ」
ロワットラ……姉上(仮)に迷いはなく、そして説明もない。
いきなり歩き出したと思うと、戦車みたいに進んでいく。
ろくな未来もないという憂鬱感から、体がオートで脇道にそれようとすると、リージェントが首元を掴んで正道に戻してくる。しずしずと歩く使用人姿の少女を睨み上げると、ニコリと微笑まれる。メテウスは愛想笑いを返し、屈辱に震えた。
やがてたどり着いたのはシンとした空気の大部屋で、武具が所狭しと並べられていた。天井まで武器棚に突っ込まれた剣や槍は壮観である。いざとなったら兵士が我先にと武器をひっつかんで戦うのだろう……なぜ武器庫なんかに連れてこられたのだろうか?
「武器をやる。選べ」
「え、選べって言われても……どうしてですか?」
メテウスは困惑した。
蛮族のノリについていけていない。
「武具を常に持つ。便利だし、伝統だ」
生活の知恵みたいなノリで話されているが、暗殺なくして武具を屋内で持つ伝統は生まれない。
「その服で気づかれなかったんですか?てっきり了解されているものかと……」
「ああ、このベルト、そういう意味だったのか……」
自己紹介のときの一張羅と違って、メテウスに与えられた衣服は、腰のところで皮のベルトを締めた巻頭衣である。
肩を縦に二列、そして交錯して支えるぶっとい二列、合計四つの皮帯が腰で繋がる構造で、やけにゴツいなとか苦笑していたら武具を支えるためのアイテムだったらしい。よくみたらベルトの胸当てに鉄板が入っている。
「さあ、選べ。ぐずぐずしてたら私が勝手に選ぶぞ」
……そんなことある?
ぽかんと眺めた。
武器庫はひたすら巨大で、木造りの武器立てから壁まで、斧や弓まで一通りの武具が置いてあった。隅に山積みにされている金属製の太い筒は……あれ、エーテル銃か?
姉はガシリと肩を掴んだ。熱気が頬を撫でる。
「『エーテル銃』はやめておけ。孤立無援で魔獣と戦うとき、頼りにならん。やはり刃のある武具を一人前に扱えてこその戦士だ。ブウェイックの血族は伝統的に一つくらいは達人になるものだ……」
姉上が、その白銀色の外套を広げると、腰には曲がった剣があった。ファルシオンに似ている。にいっと不敵に笑う女の顔は控えめに言って殺人鬼だ。
「考えなしの戦士はデカくてぶっとくて黒光りする武具を好むが、私はそんな考えなしではない……。血の気の多い戦士を軽蔑している……故に齢六つの時、曲刀を選んだ」
「六歳!?」
……ロ、ロワットラですら血の気の少ない方なのか?いや……嘘だろ?
先に言っておくとやっぱり嘘だったが、当人は自分を知性派だと思いこんだままだった。本人に指摘する者はいない。殴られるからだ。
メテウスは一分ほど巨大な武器庫を観察した。機能的な武器棚は随所に工夫が仕込まれ、すべての武具に油が塗られている。その臨戦状態っぷりに戦慄していると、コツコツ音がした。
コツ……コツ……。
姉がしびれを切らして床をブーツで鳴らしている。
……なるほど……。
メテウスは立てかけてある片手剣を、子供の両腕で振り回してみた。
「重心がなっていない! 死にたいのか! 朝と夜に素振りを毎日倒れるまで行えばマシになるだろう! それにするか!?」
亜麻色の髪の乙女といって差し支えない美しい顔立ちをしたロワットラから、青筋を浮かべたドスの効いた声が飛んできた。
「…………(こわい)」
怖い。
メテウスは片手剣をそっと棚に戻した。
続いて、槍を手にとってみた。持ち手が硬木で造られた長槍は大人の背丈以上あるので、棒術に使えるような鋼鉄の短槍しか選択肢がない。刺したり振り下ろしたりする以上の槍の心得はないが、常々、槍使いは剣よりも死傷リスクが低いと考えていたから、これを機に習熟するのもよいだろうと考えたのだ。
「おろかものッ! 巨躯の魔獣を槍で殺せるのは急所を穿てる達人だけだ、分をわきまえろ!」
……なるほど……。
メテウスはそっと槍を壁に立てかけた。
これだけ怒鳴られればふつうは嫌悪感の湧くものだが、メテウスはロワットラの罵倒が気にならなかった。
中身が完全に脳筋の蛮族だと見切っていたので、そういう種類の人間として考えれば声のデカさも厳しさも悪意は感じない。
小便くさい細い路地にポップする小汚い爺が怒鳴るのと同じで、自然現象に近い。もちろんびくっとするし、怖いことは怖いのだが……。狂犬病の犬に吠えられても悪意は感じないのと同じだ。
さて……残るは弓か。
小さい弓を取り、弦を引っ張ろうとすると、重量物を牽引するワイヤーかな?というくらい微動だにしない。
後ろから気配がし、抱きかかえられるようにして姉に補佐してもらい、引いてみる。おもちゃみたいに引けた。
……女の筋力で引けるような感じはしなかったが……後ろにいるのは本当に人間かな?
胸の感触が背中にあたり、意図せず女性の胸に高揚しかけたが、ロワットラの筋力を前にして速やかに興奮が萎んでいる。背中に熊がいる感覚だ。
「弓を触ったことがあるようだな?弓は嗜みだが……今の歳からまともに使えるようになるまで二年はかかるぞ。どうする?」
「二年……」
無言で弓を戻し、部屋の隅にある樽をみとめた。斧が何本か刺さっている。
メテウスは孤狼児として、斧を手ごろな武器として使っていた。なんせ薪割りのためどこにでもあるから、財産のない兵隊はとりあえず引っ掴んでくるので、そのへんに転がっているし、壊れたら薪割り場から盗むのも容易い。
重い金属の刃物という以上の愛着はなかったが、使っていたぶん手に馴染むのも早いだろう。
斧頭から樽にさされていた粗末な手斧から、取り回しの良さそうなものを選んで振ってみた。
「斧か……。長斧はまだ体に合わんだろうが、手斧ならば野営にも狩りにも使える。無骨で頭をかち割るという感じがするし、なにより筋肉もつきやすい。木こりが森を刈るような気安さで人を狩猟する選ばれし戦士(省略)……それにするか?」
かつてない高評価だ。メテウスはそれにした。
ロワットラは武器をいじっているのが楽しいようだ。
山積みになっている革紐をつかって、斧を固定する覆いやひっかけ紐を手早く武器帯に固定していった。跳ねてみろ、といわれて軽く跳ねても斧が邪魔にならない。軽くはじくだけで斧を取り出せる。かつてない一体感だ。プロの仕事かな?
さらにリージェントが腰に回り、手斧の頭を輪にかけるようにして軽く固定した。揺れても邪魔にならないが、強く引くと取れるように革紐を器用に結んである。メテウスは姿見の前で自分の姿をみた。
斧だらけの少年がそこにいた。
「──子供の戦闘民族(斧タイプ)だ、これ」
蛮族レベルがあがった。




