49「ザップ 九」
◆
トコトコと何食わぬ顔で城を歩き、食い物や旅装を集めて、深夜、満を持して出発した。
一瞬でとっ捕まった。
「はっ、離せ―ッ!!ヤメロー!!」
城の水堀を超えたところだ。
ロワットラが嗜虐心まるだしの恵比寿顔でメテウスを踏んづけている。
その背後には、なにやら水晶玉を抱えた年若い使用人の少女が控えている。不満顔だ。
「メイドも困惑していたぞ?『隠しもせず旅装を集めているから、逆に大丈夫かと……』と言っていた。笑える、おまえはブウェイック家選りすぐりの使用人の予想を裏切ったんだ。ふふっ……誇っていい」
「ロワットラ様。異論があります。仮にもブウェイック家の尊き血を宿す方が……こんなに低能だとは考えていなかったのです」
げしっ。仰向けにひっくり返された。
「どうして逃げた? こいつも失敗でおかんむりだ。言い訳を聞こうじゃないか」
「ゆっ、許してくれ!!!」
……ちらっ。
二人とも無言だ。許してくれる気配がなかったので、メテウスはすぐさま方向転換を試みた。
「お、おれは無辜の子供だ! こんな殺人鬼ばかりの城にいられるか!!!無実なんだッ!!!ブウェイック家なんて知らない!!離してくれーッ!!!」
「この世には因果というものがある。物理法則と違って、馬鹿者には見ることのできない、人間の因果がな……。おまえの親父は血族の裏切り者だから、おまえが血族の名誉を取り戻すんだ。こんなに嬉しいことはないだろう?いまなら優しい姉までついてくる……くふっ」
「うっうるせえ!!口から出まかせを言いやがって!!!なにが姉だ、血に欲情する色情狂のアバズレがぁっ!! なにがブウェイック城だ! 場末の売春宿だろうが!!ばかばかしい!!! おれは自由だ!!離してくれーッ!!!」
「そんなに教育を受けたいのか?」
顔をグリグリと踏みしめられ、メテウスは屈辱に叫んだ。
「もう好きにしろーッッ!!!」
ごきん!
顎を蹴られ、気絶したメテウスは好きにされることになった。
◆
悪夢を見た。
とつぜんだが夢の中で俺は大地の意思と話していた。
「──おまえって本当に大地の意思なのか?」
「よくぞ聞いてくれた!」
決めポーズを作った大地の意思は叫んだ。小柄な体を背一杯ひろげている。翠色の髪をしているのは、それがおれにとって受け入れやすい大地っぽいアバターだからだろう。
「我!? 問われたれば叫びは一つ! 我!すなわち大地の意思なり! 大地の代理人とは我のことよ! ナハハ!」
俺は猜疑心の籠った曇りあるまなこで見つめるが、やつはいっさい気にしていない。
「同胞よ、聞いてくれ!! 我らの大事な大事な大地に危機が迫っておるのじゃ……!」
「いや、危機っていうか……人間もう滅んだんだけど……?」
「あー。にん、げん……?ああ、うん、あれじゃよな? おぬしと同じ種族で……なんかすぐ絶滅しそうな……じゃぬ……?うん!わりかし興味ないわい。それよりも聞いておくれ、我らの大事な大事な大地に危機が……!」
「それは聞いたが……」
「悪しき獣どもが跋扈し……!
不遜にも大地を冒しておる……! 穢れの力で大地を汚染し……!
なんたること……なんたることなんじゃあ……!
大地の嘆き=すなわち我の嘆きを聞け! あーん!
……しかしじゃ! しかして皆々よ並々ならぬビナの決意を聞くがよい!まだ、取り返せる! こうして我が目覚めたからには悪を見過ごせぬ! そのためにはおぬしに悪しき獣を」
「あのさぁちょっといい?」
おそるおそる手をあげた。
拳を握りしめ、キラキラとした目で気持ち45度上を見つめて演説していた相手は小首をかしげた。
「なんじゃ? いまから大地の正義を炸裂させるとこなんじゃがのう」
「あのう、大地に人間がもういないんだけど……どうにかなる?」
「それがなにか……?別にどうでもよくないか?大地は地表の生命にあまり興味がないのじゃ。ただ大地を穢すものは許せぬからのう……」
こいつ味方じゃねえのかよ!
「できれば人間を……蘇らせる方向性でいけませんか?」
「あー、人間……?あいわかった。大地の記憶を閲覧するに……毛の少ない猿、じゃろ?
どうせ百万年も持たず絶滅する脆弱で下等な種なぞ興味ないんじゃが……いや?
大地の記録では……どちらかというと大地をちょっと穢していたタイプの種じゃのう……有機生命体の存在を寿ぐ存在なんて当人しかおらんというのに、思いあがって愛とか多様性とかぬかしておる……自惚れの病……やはり図々しい悪性の生き物か…………?」
印象が悪そうだ。俺は印象操作を試みた。
「ほら、再生した大地に木とか植えますよ? 人間わるい子じゃないよ?」
「木ぃ? 我、植物嫌いじゃ。鬱陶しいんじゃもん。減って清々しとるわ。しょせん大地の表面にくっついてる下等なバグじゃから気にしないっちゃ気にしないんだけども、鬱陶しいもんは鬱陶しいんじゃ! ばおっ!」
大地の意志なのに、植物嫌いなのか!
いやよく考えたら不思議でもなんでもない。人類が勝手に植物を自然のメタファーとして考えちゃうだけで、大地さんそのものは植物とかあんまり興味がないのかもしれない……。
……じゃあ大地の意志ってなんなんだよ?どこからが大地でどこからノット大地? その定義の分水嶺が有機生命体には想像できんわ。
「思えば……昔はよかった。うじゃうじゃ蠢く生命なんぞ全くおらん、無垢の大地がそこにはあった……。この星という生命ひとつ。それだけでよいではないか。なにもかもシンプルイズベストじゃった。」
「ええー……そのレベル?」
俺はしゅんとなった。俺たち人間はこんなにも大地を愛しているというのに……。大地の意志にとって有機生命はあんまり大地の仲間だと思われていなかったみたい。悲しい。
「聞いてくれ!我には計画がある……!清浄なる大地を取り戻せる完璧な計画が……!まず……!我が新世界の神となる……のじゃ……!」
「人間もう滅んでるから……俺、あんまり気持ちがのれないっていうか……」
「知ったことか……!おぬしも我らの仲間になったんじゃから、使命ってものがあるんじゃろぉぉん!? つべこべ言わず大地のために戦え!!」
嫌だ!!!
◆
>メテウス
「ハッ! 夢か……」
悪夢を見ていた気がするが、目覚めたら女二人に観察されていたので、案外眠っていたほうが幸せだったのかもしれない。
事態は膠着状態に陥った。
「おまえには血族の血が入っているんだから、長々と悩むような半端な態度は見せてほしくないものだな」
酔い覚めのロワットラは蒼白だった。
白湯を口に運んでいる。軽口を叩いているふうだが、メテウスは騙されない。オレンジの瞳は燭台じみて妖しい輝きを増していた。
「正しい教育を受けていないとはいえ、決断できないわけもあるまい? ……簡単なことだろう?」
女の言いたいことは明白だった。
『死にたくないなら従え』
天秤が傾いた瞬間、殺されかねないことはわかっている。
メテウスは内心で白旗をあげていた。
……逆らう意味はない。従っているふりをすれば、しばらくは生き延びられる。
こんな状況、普段は逆らわない。しかし──
「黙っていても埒はあかんぞ。ほら、ステーキのおかわりはいるか?」
「いる。ステーキ」
脱出は失敗に終わった。
あれは考え無しではなく、奇跡や呪術で自分の位置が把握されているかどうかを試すための実験だった。結果は最悪で、謎の水晶をもった使用人にメテウスは監視されていた。いまもロワットラの後ろで控える少女が鎖の役目である。
人手に頼った捜索ならば躱す手段はある。だが、物理的な痕跡に頼らない追跡を躱す希望はない。
はたして人生が巨大な渦しおをただよう一隻の小舟の運命をたどるとわかったメテウスは、『なにもかも宇宙が終わるんだからどうでもいい』気分で、いくら目の前の恐ろしい女に脅されようともてんで耳に入らなかった。
「それと提案は断らせてくれ。血縁関係そのものに興味がないんだ。おそらくミステリー小説の突飛なトリックで、そのうち血縁じゃなかったことになると思う。ここはひとつ、許してくれないか?」
「ふん?」
平手をふりあげた女は、ピシャリとメテウスの頬を叩いた。警告のない暴力。まったくの真顔で、子供をひっぱたいたにしては感情がなさすぎる。
「『喜んでお仕えします、姉上』だ。礼儀を問うつもりはない。だが私はおまえの生殺与奪を握っている。わかるな?」
「……殺したいなら、殺せよ」
パチン! さきより威力を増した掌が襲いかかり、頬と奥歯がぶつかり合って血の風味が鼻に抜けた。
「ステーキはレアで頼むぞ」
「はっ」
使用人に命令した女は、なぜか楽しそうに頬杖をついてメテウスを見つめた。
「ん?」
「……」
膝を突き合わせるような狭い机のうえ、女の視線に耐えてもぞもぞする。目を逸らしたら負けのような気がするけども、なにか根本的な勘違いをしているんじゃないかという不安が襲ってくる。このやり取りの目的はなんだろうか? 女が笑うので、メテウスは愛想笑いを浮かべつつ気まずい時間に耐えた。
やがてノックが二回響き、いい匂いが漂った。
肉が二皿運ばれる。手を伸ばすと遮られ、女はなぜか二皿とも引き寄せ、自分で食い始めた。
「ぇっ……?」
メテウスを目を真ん丸にして凝視する。
……なんてことだ。とっ捕まってから何も食べていない。空腹なのをわかっているだろうに、こんなことがあっていいはずがない。
女の所作は正式の作法を習った貴人のそれだが、食べるスピードがやたら素早くメテウスのものになるはずだった肉はすぐ女の腹に収まった。
……見つめあう。
ゆっくりと、口元を拭いながら女が言う。
「うまい」
「っ!」
──怒りをコントロールできない。
運命も、人生も、何もかもコントロールできない。
なら、人間なんてものになんの意味がある?無意味だ。自分のものであるはずの人生が制御ができないならそれは一つの信じ難い結論を導く。
すべての不始末の責任は自分で取るしかないのに、それでも人生は自分のものではないということだ。
──この生命も、意識も。
気に入っていた顔の向こう傷も消えてしまい、野放図に生えた髭もつるつるの柔肌となってしまった。
関節も痛まない子供の体。
違和感が消えることはない。
この肉体はおれじゃない。
ここから出してくれ。
こんなもの望んじゃいなかった。
こんなもの望んじゃいなかったんだ。
ここから出してくれ。
ここから抜け出せるなら今すぐだって誰でも殺してやるくらいだ。
ある夜眠って脈絡なく二度と目覚めなければそれはどれほど爽快ですばらしいことだろうか。この世にあるすべての価値よりも魅力的かもしれない。人が本当に求めているのはそんな眠りじゃないか? 一匙の勇気と知恵があれば、まったく苦しまずに同じことができるというのに、ただ死への恐怖から言い訳を探して、無意味を長引かせているのはなぜなのだろうか?
人間は全員自殺すべきなんじゃないだろうか? わけのわからないまま生まれ、勘違いをため込んでそのうち死ぬ畜生でいるよりも、死んだほうがマシなんじゃないだろうか?おれはいまここで自殺すべきなんじゃないか?
「なにを悩んでいるんだ?うんと頷けばそれでいいし、肉も食わせてやる。どうなんだ?」
ロワットラの微笑に、激怒が血を逆流させ、心臓が刺すように痛んだ。
──従わないと殺されるだろうが……嫌だな。よし、もうサクッとこの女に殺されてこの世からおさらばしよう。そのほうがスッキリするし。
「ッ……畜生のアバズレが!!殺すなら早く殺せ!
貴族気取りか?どこまでいっても人買いの分際で気取ってんじゃねえ!!
この殺人鬼がーっっ!!!
あと、それはおれの肉だ!!勝手に食うんじゃねえ!! バカヤロォ!!」
唾を飛ばして激発したというのに、ロワットラは静かな瞳で微笑んでいた。メテウスは言いたいことを言ったので怒りが収まり、無言の間にクールダウンして不安となり、シュンと静止した。
「んー、そのうちたっぷり肉を食わせてやるさ。
孤狼児メテウス。いづこの神と契約し、味方殺しに手を染めた。
罪悪感はないのか?
償うつもりはあるのか、と聞いているのだ」
「? 味方殺し……? なんの話だ?
いや、おまえに償うことなんてなにもない!
ブウェイック家がなんだ!
はやく殺せ!!!あと肉をよこせ!!!」
ガチン!拳でぶん殴られ、食卓を巻き添えに倒れ込んだメテウスは、鼻血の熱を感じながら天井を眺めた。立ってこちらを見下す女のオレンジの瞳に湿度はなく、感情が読み取れない。歯がグラグラしているのを舌でつつく。どうしてこうなったのかを考える。
「姉上と呼べ、そういった。
強気な少年が強がっているのに、殴られるさまは愛らしいなぁ。
ブウェイック家の血族かくあるべし。おまえはうちでもやっていける。さあ、立て」
たいして血も繋がってねえのに、図々しい姉もいたものである。




