05「悪夢 五」
◆
戦がはじまって何刻も経つ。
血の匂いを孕んだ砂塵が戦場を包みこみ、兵は血に酔って見境をなくしていた。
「止めだッッ!!」
額に迫りくる直剣を睨みつけ、痺れる衝撃と共に籠手で反らす。すかさず死に体の敵兵に組み付いた。視界外から抜き放った短刀を、敵背に何度も突き刺していく。
「足掻くな、動くなよ!」
「やめ、やめろッ……! アァ……」
見開いた目玉と至近距離で見つめ合う。断末魔が耳たぶを震わせ、敵兵の青い瞳孔から生命の色が失われていく。命を奪ったという感触が握りしめた短剣から胸に染み込んだ。
半ば呆けたまま見開いた目で、死体が輝くのを眺める。
人体から離散するレイビー・エーテルが、わずかな発光を伴って他者へ移る。戦場ではありふれた光景だ。
「はぁーッ、ハァー……」
死体を抱えたまま、荒い息を強引に整える。
ジャリと足音、嫌な予感がした。
「避けろッ! 後ろだッ!」
咄嗟に振り向くと、クレイモアを振りかぶった男が仲間の死体ごと両断せんと迫りくる!
「オラァッ!!!」
「ギッ──!」
咄嗟に肺から空気を鋭く吐き、胸奥より〈エーテル〉を抽出。膂力に回していた全身のエーテルを魂膜として腕に纏わせ、斜めから打ち付ける形でクレイモアを反らした。衝撃で腰をつき、メテウスは絶望の面持ちで敵兵を見上げた。
エーテルは万象の力だ。だが、万能でもなければ無限でもない。
すり足で回転するようにクレイモアを操る敵兵は、どうみても熟達の戦士である。失策は期待できない。
魂の井戸から組まれる神秘の灯はほとんど消え、瞬間的にエーテルを消費したことで、メテウスは対処する手段を失っていた。
「孤狼児ごときがベルをやりやがって!!死ねや!!!」
「ッ!」
メテウスは腕の骨で剣がそれることを期待して、両腕を束ねて頭を覆う。
「死ねアァガキィ! ァアアァ⁉」
轟ッ!唸る火炎が目を焼き、炎の放射熱が顔を焼いた。
火炎の蛇が間近を通り過ぎる。紫の火の奔流に飲まれた大男は、黒い影となって炭化しぐずぐずと崩れおちた。目が炎にやられて痛い。戦場を走り抜ける大蛇と化した魔導が敵陣のど真ん中をうねっていくのを見届けたあと、巻き添えに火傷を負ったメテウスは、一人の重装兵に走り迫る。
「アッ……危ないだろうが!!」
「助けてやったのに、文句いうな」
魔導を放った味方は身軽に歩み寄ってきた。
都では下々の労働など知ったことではないと気取って飾る魔導術師といえど、戦場では一兵卒の魔導兵。重装鎧を着込んで己の命を固守しつつ、敵の命を薙ぐ死神である。仲間殺しはそれ以上の仲間を救うことで不問となる暗黙の了解のもと、彼らは気前よく魔法の鎌を振るった。
問題は、気前がよすぎるのではないかという疑念だ。実際、メテウスの文句は的外れではあるものの、目元から耳にかけてやけどを負い、焼死しかねなかった当人としては黙っていることなどできない。
「人様を焼きやがって!!吐きそうなくらい痛ェんだよ!!同じ隊の仲間を焼く気かッ⁉」
「灯す者の書にこうある。【罪は罰が定める】と」
数秒考えた。おそらく、おまえを見殺しにしても心は傷まないけど?の意だ。
「……ああ。あー、わかったよ、助かった!! 命を助けてくれてありがとよ!!!」
「それほどでもない」
「チッ!」
舌打ち一つで許したのは次回も遠慮なく魔導を使えという、未来の戦場を考慮に入れた結果である。エーテル遣いは子供でも大人を殺せるが、メテウスは部隊の仲間と対等ではなかったし、燃やされかけても過度に憤らなかった。怒ることが無駄だったり的外れであるときは、どんなに理不尽に思えても、怒らないほうがよいということを、メテウスは長い経験で学んでいたのだ。
……その不気味で利己的な自制心は、仲間にメテウスの不気味な印象を強めていたが。
「呆けるな。孤狼児メテウス、目を覆え。砂が来るぞ…」
後ろを振り向く。黄土色の壁が天高く屹立し、がコマ送りのような速度で迫り来る。
次の瞬間、丘を覆った砂嵐が戦場を覆いかくした。
「……なんも見えねえ。逃げるための奇跡か?戦士団の決着がついたのかもな……!」
「風と土を飽和させた術式だ。使い手に覚えがない、敵兵であろうな……あるいは奇跡か」
神々の奇跡、象られる力を用いた術式、堕ちたエーテルを操る魔導。そのどれかであることは間違いない。
「孤狼児、背中をみてくれ。私は術を編んで警戒する」
「わかった!」
雄叫びや猿声が響くなか、魔導兵と背中合わせになり周りを警戒する。戦場で背中を刺してこない味方の頼もしさ、時に血縁よりも近しく感じた。
幸い向かってくる敵はいなかった。一度味方が剣を振り下ろしてきたが、魔導兵はあっさり味方を燃やして対処する。味方を殺す間抜けと、味方に殺される間抜け、自分がなるならどう考えても前者のほうがよい。
そうしているうち大規模なエーテル事象は合図でもあったのか、敵兵が引き潮のように離れ、息をつく暇が生まれた。
敵は行きがけの駄賃にと襲ってくることはなかった。
誰だって自分より弱い兵隊と戦いたいのだ。どうせ殺すなら無抵抗なやつを、より弱いやつを殺したい。強い敵との華々しい殺し合いを望む戦狂いだって、わざわざ魔導兵の無差別攻撃を相手どろうとは思わない。
「ああ……くそ、喉が痛え」
極度の興奮で忘却していた疲労と痛みがメテウスを襲った。
水筒を手に取り、とうの昔に空になっていたと思い返し、殺した敵兵の腰を漁るとちゃぷちゃぷ鳴る瓢箪を探り出した。
「うげっ……酒だ」
正気を保つことさえ難しい戦場で、気付け以上の酒を好む自殺志願者だったようだ。ぷっと唾を吐いて死体に吹きかけ、別の死体から水を探し出して飲む。
「おう、寄越せ」
砂塵から現れた小隊長アブヒムもその一人だったようだ。腕の刀傷に酒をふりかけたあと、ぐびぐびと美味そうに飲み干しては、瓢箪を投げ捨てる。〈美髯〉の通り名が示すとおり、洒落者を気取って手入れを欠かさない小隊長の髭に今は酒と泥が滴り、たいそう小汚い。メテウスは勘所を働かせ、アブヒム隊長のそばに近寄った。
アブヒムはひっそり近寄る不気味な孤狼児を、胡散臭いものをみる目でみつめる。
「不味いんじゃないですか……状況が見えません。撤退の合図が来る前に死体漁っておいたほうがいいですか?」
アブヒムが髭に気を使えないような戦場はいつだって不味いことが起こる。片目を細めたアブヒムは、手袋を外して髭を撫でつけはじめた。半ば悍ましいものを見るようにメテウスを見下ろしている。
「坊主……。戦慣れするにしても子供らしさがないな。戦いが止まったとたん死体を漁る子供……恐ろしい……なんてガキだよ」
「誤解です。忘れていてはいけないと進言しただけ。マジで」
魔導兵が口をはさんだ。
「孤狼児メテウス。的確な立ち回りであった。以前から疑念がある。長命種が子供のふりをしているのでは?」
「かもな……こんなガキがいたら俺は嫌だね。子供が全部嫌いになっちまうよ」
「フム……たしかに」
「なにが『たしかに』だそんなわけないだろ好き勝手言いやがって!!神官くずれの魔導使い如きが健気に生きてるオコサマに舐めたクチ叩いてんじゃねーぞ!!タコ!!」
「オコサマ……? なんて目をしやがるよ……」
「そんな目つきをする子供がいるはずがない。確定的に明らかだ」
「ひ、人の身体的特徴を……!」
取り繕うことのできない戦場では、メテウスは傭兵としての言動に戻ってしまう。
メテウスはやたら澱んでいる目をパチクリして潤いを戻し、なんとか子供らしい無垢さを装った。その化けている姿がまた周囲に疑念を与えているとも知らずに……。
周りの兵士たちが小休止とわかってぞろぞろと散っていくのを眺めつつ、仲間内で小高い丘の中腹に移動して戦場全体を見渡した。
目立つものは調教魔獣の死体だ。
雷鬼、緑血鵺、死杭鴉など強力な調教魔獣の死体は、砂浜にあるクジラの死体のように目立つ。早い者勝ちで魔獣調教師が集め、ほかの魔獣に食わせている。
丘の先では方陣を組んだ数百人ばかりの部隊がまだ頑張っていた。方陣を組まなければならないということは徴兵された弱兵であり、強力な戦闘力を持つであろう散兵に集られ外周からすこしずつ削られている。
時に個人が部隊の力を凌駕する戦場において、方陣を組む兵は的になる危険を冒してまで集う理由があるということで、それは精強な軍隊か徴兵された弱兵かの二択だ。そして精強ならば旗が知られていて兵の口に上る。彼らはそうではなかった。
丘では一仕事終えた兵隊たちが方々に散らばっているが、撤収の気配はない。
「……まさか、このまま街まで攻め込む作戦なんですか?」
もちろん街攻めとなれば雑兵には辛い戦となる。
小隊長アブヒムは、下っ端の文句には慣れた顔で野太い笑みを浮かべた。
「ブウェイック家の戦を知らんのか。虎の子の戦士団を出す機会をロワットラ様が伺っとる。街までの道を開けばこちらの勝ちだ」
──大切な虎の子を温存するために、下っ端が捨て駒になったりもするんじゃないか。
メテウスは喉まででかけた言葉を飲み込み、奥歯を噛み締め、深呼吸を繰り返した。
見上げる。
空は曇天で、青草も枯れ始めた野に血と臓物の匂いが立ち上っていた。手鼻をかむと真っ黒で、血の味が脳に響き、呆然とする。人間の腹の中身がこんなに臭いとは──嗅ぐたびに呆然とする事実だ。
死体は臭う。巻き散らかされたナフサと火も臭う。生命の排出する汚物よりも、真に迫った人間という生き物から消せない業の臭いが漂っている。死体の燃える煤と鉄錆が鼻の奥にしみこんで、脳髄を変に刺激して人を狂気に誘う。
臓物を晒し散らばった死体を前にして、人生の高尚な価値を信じることはできず、ただ人間という動物は殺し合うことがあるという事実を噛みしめた。
メテウスはこの臭いを嗅ぐたび、無常感に支配されつつ、失っていた現実の感触を取り戻すのだ。
様々な悩みが今だけは消え失せ、心が安らぐのだ。
少年は、燃え盛る戦場で頬を朱に染め、やわらかい笑みを浮かべていた。
「おい笑ってるぞ……俺だって参りそうなのに……」
「ぜったい長命種が化けてるだろ……おれはこのガキを絶対に信じないぞ……」
なお部隊の仲間は、もう五分五分でこいつは長命種だという説が主流になりつつあった。




