47「ザップ 七」
◆
世話役の老婆はバハイと呼ばれていて、折れ曲がったトンガリ鼻をしていた。何が楽しいのかいつも刺繍をしたり、水晶玉や袋を弄ってはニマリと笑っている。
というか、本物の魔女だろう。常人ではありえない、縦割れの瞳孔をしている。そこらの魔女もどきと違って、貴族の城にいる魔女といえば九姉妹に連なるものかもしれない。
メテウスとて魔女は恐ろしい。できるだけ礼節を保って質問をした。
「ここは噂に聞くブウェイック城ですよね……? 経緯を覚えていませんが、自分はブウェイック家に保護されたということでいいんでしょうか?」
「ふぇふぇっ。焦るでない。危険はないでの」
……危険しかなさそうだが……。適当な言葉しか返してこないな、このババア……。
〈ブウェイック城〉は要衝の城にありがちな面倒な形をしていて、面積がやたらと広く横長だ。
メテウスの部屋に人の気配は届かず、足音もあまり聞かない。本丸から離れているということもあるだろう、外に積もる雪に音が吸われているかのように静かな生活だった。
使用人は揃いの白黒の制服を着ていて、毎回みせる顔は老若男女様々だが、口をきかないよう厳しく躾をされているのかは話をしてくれない。
夜、二重になっているガラス窓から夜を煌々と照らす、冬の夜空の王様として浮かぶ〈カルナーンの月〉を何度も何度も眺めていると、考えにも整理がついた。今は生き延びることが最優先だ。
手慰みに、書きモノ机の棚に置いてあった、鬼面を刻まれた芸術品のような手鏡で顔を見ると、子供の顔で嫌になる。向こう傷もなければ皺もない女の子のような顔だ。早く髭が生えてほしかった。
いつものように窓から薄い雲に隠れた太陽を眺めていると、遠目に、山の中腹あたりをアブラムシのように群れて這い回る黒い影が見える。
「……あれ、なんですか?」
指を指すと、珍しく険しい顔をしたバハイは、メテウスの指をそっと手で包んだ。
「これ、見てはならぬ。ふぇっ……異界からの群れですぞ。古来よりの警句にも、魔獣を見つめる者は魔獣に見つめられている、とあるからのう、しばらく外は見ないほうがよろしかろうて」
バハイに握られた手が震えた。
怒りだ。
ちょっと人間を食べてしまうだけの無垢な魔獣よりも、人間のほうがもっと魔獣っぽい生態をしていることがある。
……人様を軟禁しやがって。
用心深く怒りを態度に出さないようにする。
「……メテウス様は大人のような顔をなさる。死を当たり前だと思っておられる顔じゃ。こういう素質があるから《選ばれた》のかもしれませんな……無垢な乙女のように」
「無垢な乙女!? 生贄か!? それって生贄に選ばれたのか!?」
「ふぉっふぉっふぉっ……ふぉっ」
……このクソ婆!
◆
ついに部屋から出る日がやってきた。当主に会わせる、と聞いている。
すこし体よりも大きい、天鵞絨の当てられた黒のパンツと上着を着込み、首を囲う白色の毛皮をマント代わりに与えられ、バハイの後をついて歩いた。
ゴツゴツとした石材で構成された通路で、使用人たちがバハイに頭を下げるのが記憶に残った。この老婆の地位がよくわからない。
巨大なガラス窓がふんだんに使われていて明るい。古代には丈夫なガラスが今よりも簡単に作れたというから、その時代の築城の名残だろう。
壁にはところどころに斧や剣、そして旗が飾られている。
ここ五十年で野火のように広がったはずの魔導式エーテル銃を見かけないことに違和感がある。キョロキョロ眺めているとバハイに腕を抓られた。
「痛っ……バハイさん、何するの」
「メテウス様には、他に気にすべきことがあるのでな」
飾り布で白い髪を包んだ老婆は、その下から緑の目でニマリと笑った。縦割れの瞳孔がトカゲじみている。
「おさらいいたしましょう。ブウェイック家の当主であらせられるデュラン様に、教えたとおり礼をしたあと、許可が出れば『ハルニバルの息子メテウス』と名乗るのです」
「そこからまず異論があるんだが……ハルニバルって誰だよ」
「? メテウス様のお父様ですが……」
「いや……おれの親父はとっくに死んでるはずで、この蔵遮腑の腕輪だけが形見なんだが?」
親の形見として渡された腕輪。便利な蔵遮腑だが、一番の役割は身分証である。
多少なりともたくわえのある家に生まれれば、だれでも出生証明書代わりに聖庭会に祝福してもらい星輪具の腕輪を受け取る。偽造の難しい実用品。庶民はただのなんの奇跡もない腕輪だ。裏面には両親の名前や家名が刻まれていることが多い。
メテウスは腕輪を外してぶらぶらとみせた。
傭兵としての記憶を思い出す以前の、いわば子供としての記憶は明瞭さを失っているが、記憶そのものを忘れたわけでもない。なんの思い入れもないママ親に捨てられ、叔父と名乗る男に売られ、そのあたりでメテウスは記憶を取り戻したのだ。
「ほら、おれの蔵遮腑には『コンランド』って書いてある。情もへったくれもない叔父に、奴隷として売られたことしか覚えてない。ただ、そこがコンランド村だった。間違いない」
「どうやら行き違いがあったようですな」
老婆はこれはしたりとばかりに手を頭にあてた。
「先々代ご当主様の傍系の血筋にあらせられるハルニバル様は、家を離れたのち、アペイロン王国の貴族領主としてハルニバル・コンランドと名乗っていらっしゃった」
「えっ?」
「メテウス様は間違いなくハルニバル様のお子じゃ。ワシはハルニバル様を小さい頃からよう知っとるでの、遺児を見つけたと言われてはじめは疑っておりましたが、お顔を拝見して納得いたしました。どうみてもハルニバル様のお子でしょう。ふぇふぇっ」
「ふぇっ?」
……陰謀か? 超どうでもいい傍系の貴族として名を与えて再利用しようってことか? 嘘っぽすぎる……。
メテウスは頭を回転させたが、あまり早く回転する頭でもなかったので、すぐに回転は止まり袋小路に到達した。
……ていうか事実でもあんまり意味ないな……。
前前当主の血筋と言ってたし、王朝でいうと、前の前の王朝の血を引いてる一般人ってことか。下手すると奴隷でもおかしくないし、事実奴隷になっていた。老婆の言葉は事実の可能性がある。
「では、お教えしたとおりに『ハルニバルの子』と名乗るのですぞ」
入り組んだ狭い通路を何度も曲がると、小部屋に入った。金属鎧を着込んだ兵が四人、暖炉の前でカードをやっている。
不機嫌な熊のように、髭もじゃの男が立ち上がった。ジロリと睨まれたが、メテウスは場違いにもホッとしていた。人の顔をみて嬉しかった。
「何用でしょう。バハイ殿だけならともかく、その子供は?」
「ブウェイック家の血を継ぐ子、メテウス様じゃ。ご当主にお会いになられる」
「では……そちらが?」
「ええ、ええ。今代ブウェイック家の……四十二人目のお子になられるお方じゃ」
……四十二人目?多くない?
……そういえば、戦に出して死ななかったやつだけがブウェイック家の人間になるんだったな。血族牧場から新しい生贄の羊を出してきた、くらいのノリなのか……一気に現実感が増してきたな。
メテウスは半分死んだ目をした。
髭もじゃ男の、つぶらな瞳としばし見つめ合った。子供の身体から見ると大人がとても大きい。相対的なモノの見え方に過ぎないと知識にあるのでそんなに恐ろしくもなかったが。
確認するように頷き、髭を扱いた男が、部下にハンドサインを送る。
「物怖じされんな。これは血でしょう。では、お待ちを」
──血とか言われても。
◆
待っている間、暖炉の光に照らされつつ、マントの中でギュッと手を握る。汗でぬめっている。恐ろしさのせいか、男たちの影は暖炉の火に踊って、化物の影に見える。とって食われることもないだろうが、まだ先のことを考える余裕がないまま偉い人と会わなければならないのは、緊張を否めない。
世界は人間の事情を斟酌しない。
か弱き人間でしかないメテウスは、なんとか世界の仕打ちを受け入れるだけだ。
数分待つと、兵士の詰め所の奥から、女が出てきた。
「……っ!?」
素知らぬ顔でテクテク歩いてきたのは、あのロワットラだった。
大天幕でメテウスたちに命令を下した、あの女将軍である。
栗色の髪を肩に届かないほどで揃え、鎧と剣をはいた若い女。オレンジ色の瞳がじりじりと生命力を放射している。寒々しいほど欠点のない、貴族らしい怜悧な顔立ちなのに、目じりだけが優し気でチグハグな印象だった。メテウスは、なぜか爬虫類じみた目に感じる。
「よう孤狼児、また会ったな。どこまで説明された?」
老婆がなぜか動揺した。
「ヒェッ。ロワットラ様、お帰りになられていましたか。デュラン様は? 戦利品でも確認されておるのか?これは約束をすっぽかされたかのう……」
「私がねじ込んだ。その孤狼児とは知らん仲でもないからな」
「それはそれは……」
メテウスが無意識に扉に近づいているのを、ロワットラはつかつかと歩み寄って壁ドンした。
「……そう怯えるな。事情はわかっているのか?」
「ま、まったく……呪い子に殺されたかと思ったら、忌々しい痣が自分に残っていて……そのせいで閉じ込められているとは、理解しています」
「浅い理解だ。まあ、父上を待たせるわけにもいかない。父上は女を抱いてもいないし酒を飲んでもいない。連れていくぞ」
「へぇ……」
メテウスはドナドナされた。
実用一点張りのマントをなびかせ、女は奥へ歩き出した。
暗殺者を警戒した細い通路がどこまでも続く扉をくぐる。
使用人に警備兵たちは石のように硬直している。バハイは気配を消している。
……このロワットラとかいう女。身内からこの反応をされているといことは、やはり鬼か蛇か……。
メテウスは死の予感が高まったので、足が重くなりすこし遅れた。なんといっても子供の歩幅などいっさい斟酌しない速度だ。
眉を潜めて振り返ったロワットラは、憮然と言い放つ。
その橙色の瞳にランプの灯が反射し、感情を踊らせるようにオレンジに光った。まるで、中で蛇が舌を躍らせているかのような……。
「遅い。聞け。ブウェイック家は魔獣狩りから身を立てた家、問われずとも武門だ。行動の遅い者は知恵があろうと軽く扱われる。血縁を広く集めるのも、半分は死ぬことが前提の習いである。教育を受けていないおまえには酷だが、一族の末端に連なるのだろう。ならば忘れるな。どうせそのうち死ぬとはいえ、私の弟に動けない者はいらんぞ」
「そのうち死ぬって……」
「フフン、確率という概念を知ってるか? 一年以内に半分が死ぬからな。下民のように家族がどうのやってはいられん。効率の関係上、半年に一回あらわれる弟や妹に情をもってはいられん。速度だ。速度がすべてに優越する」
……ハズレクジかな? 脳筋感が半端ない。半分は死ぬってなんだよ……。おかしなジョークを聞いた気がしたが、周りの兵士たちは真顔で直立不動になっている。つまり冗談ではないし、おれは血の気の多そうな女の弟になるらしい。なるほど……。
「なるほど……嫌だなぁ」
「理解したようだな。自殺するときは城の外で死ねよ。うっとうしいからな」
メテウスはひきつった笑みを浮かべて白目になった。
◆




