45「ザップ 五」
◆
……魂捧げちゃった。マジどうしようかなこれ……。
愛らしかった少女の顔がスンと無表情になり、無機質な声をはりあげた。
玲瓏な鈴声がいやに脳髄をこだまする、反響が足元を揺さぶり、意識がぐらぐらと揺れた……。
これアカンやつや。おれは早くも後悔に襲われていた。
「人と神の契約とはすなわち不滅の生命であり。
生命の指向とはすなわち調和である。
そうしてまた契約は交わされるのだ。
死者よ。永遠に此処を彷徨うことになるはずだった。しかれどもキミはまだし幸運だ。ボクと出逢った。でも、ボクは創造主としての神ではない。神と名乗ったことはあるし神と名乗るだけの力はあるし人からみれば神様のようなものだけれど、万能ではないんだ。
キミが生き返るためには、対価が必要になる……」
「た、対価……?」
「具体的にいうと51%の魂だ。わかるね……?」
「51%!? ええ?そういわれても……説明とかほしいし……」
「うるさいなぁ……。ほら、なんとなくわかるだろ?」
「わからん……具体的にいうとパーセンテージの意味が全くわからん……なんで過半数なんだ……わからん……これは陰謀じゃないのか……?」
「そう……わからないか……ちょっとボク浮かれてたかもしれない」
「49パーセントじゃダメなのか?たった2%の違いだし……」
腹にチクリと針を刺された子猫のように、少女は片眉を歪めた。
こちらにウィンクして、ニコッと笑う。
愛想笑いだった。
おれは感情の抜け落ちた真顔で少女をみつめた。
――場を持たせるための微笑みは、邪淫の心証。
「あはは! アハハハハハハハハ。 おかしい、何か疑っているの? これは手続き上の問題なんだよ。些細な話だから気にしてなかったなぁ。うん、君にはわからないだろうけれど手続きがグッと楽になるんだ。
ボクだって別にね? こんな微に入り細を穿つ愚かな人間のように、微視的な問題にこだわっているわけじゃないんだけれど、正直になろうじゃないか。煩わしい手続きなんて少ないほうがいい、だろ!?」
おれは目をつむり、首を重々しく四度ふった。四度もだ。
「いやそうでもないかな」
「なるほど……そうでもないか……なる……」
二人ともむずかしい顔をしてうなずきあった。
言葉の上に出さないコンセンサスのようなものが形成されている。あえて言葉にするならゴリ押しでなんとか畳み込む詐欺の現場感だ。
「そもそも魂を捧げるってどういうことなの……」という純粋無垢を装ったおれの疑問に、少女はパチンと指を鳴らした。
「それがそもそもの誤解なんだよ!
死ぬって怖いよね。冥府ってなんだろう。天国とか地獄とか、曖昧でいかにも詐欺みたいじゃないか。ボクがなにもかもを教えて進ぜよう!
この契約は単純明快! ボクに魂を捧げれば、きみは二度目の人生を送れる、死後、ボクの御元に魂はやってきて安らげる! ボクは信者が増えて力が増す! ウィンウィンだね!」
(死後の魂とか言ってる! 悪魔じゃん! やっぱりこいつ悪魔じゃん!)
おれは確信した。おそらく悪魔だ。
大悪魔がこんな騙すようなことをするはずがないので、小物の悪魔だろう。中位を超えるということはない。おそらく中小悪魔だ。どうせ悪魔界の貨幣である人魂の資金繰りに困って過度な貸し入れとか計画倒産をしているに違いない(偏見)
そんなことを考えていると、中小悪魔はジト目になった。
「む……。安くみられたものだ。けれどボクにもキミの気持ちはわかるよ。キミには、ボクの気持ちなんて絶対にわからないだろうけれど……。
強要するわけにはいかないのが歯がゆいところだね! 納得して選択してもらわないと、それがエーテルに刻まれたベインレイルの理なんだから……そうだね。お試し期間をあげようじゃないか。
否応なく、縁はもう繋がっている。
蘇りの対価は後払いということにしよう!
蘇ったら、他の魂を捧げて。君が殺した魂はボクのものになる。対価と対価の軽い契約。先ずはそれで許してあげようじゃないか。これはチャンスなんだ。嬉しい、でしょう?」
「…………殺して、魂を、捧げる…? ハハ」
「アハハ! 簡単でしょ!」
この邪鬼。
人を殺して魂を捧げろとか……おとぎ話の悪魔でももうちょっと正体隠すだろうが……!
だが、他に選択肢はない。
おれは苦悶の表情で頷く。
「わかった。それでいい……ほんとにそれでいいのかなぁ」
「いいんだ。ボクを信じて」
トラストミーとか言ってる……。これは……。
逆に悪魔じゃないかもしれない。
おれは、あまりに残酷な現実に直面した人間がみなそうするように、こんな悪いことが自分に起こるはずがないと思い込む逆転劇の発想で希望を抱いた。
凡人を生かし続ける、
〈あらざるべきこと、起こらざるべきことなり〉
その聖句にすがるしかないのだ。
「なにも魂を奪うとか、そんな話じゃないんだよ?
魔獣の魂でも、人間の魂でもいい。
長く冥府をさまよい、虚無に満ちた君の器は魂の通り道になる!
そしてキミの器が満ちるほど、ボクもほにゃららってワケ!
魂を集めるんだ。
魔獣を殺すんだ。
人でもいい。
どちらにせよ似たようなものだ。
巨大な魂を集めれば集めるほど、キミは真実を取り戻すだろう。
だから殺して捧げるんだ。ボクに魂を捧げるんだ。うんうん、名案だ。ボクが表の世界に戻る日も近いね!
さあ……眼を閉じて。キミはだんだん眠くなーる……」
──わけがわからないが、ようやくこの長く悪夢は覚めるらしい。
素直に眼を閉じた。
顕在意識が煙のように消えていく中、なぜか暗闇に抱きしめられたような気がした。首筋に灼熱がほとばしる。
「さあ……さようならというほどの別れではないけども、また会うことがわかっているから寂しくはないんだけども、悲しいのはしかたがない、しばしのお別れだ。
ボクの眷属として、きっと魂を捧げるであろうキミよ、まだ名乗っていなかったね。
ボクは庭師。ただの庭師だよ。知り合いにはゾクチェン代行者と呼ばれている。皮肉というやつだね!」
おれはいつの間にか眷属とやらになったようだ。
眷属ってなにさ……。
◆
そうして男は契約を果たした。
――世界の底に封じられた、さる一柱の権能は「魂の接続」。眷属となった彼の魂は、膨張して浮かんでいった。
「水は低きに流れ……ってね」
暗闇の世界の上に昇っていく彼をみあげ、彼女は、淡い希望のようなものを抱いた。
なぜこの庭に無垢の人間が迷い込んだのか、理由も定かではないが、永遠に近い時があるのだから必ず判明するだろう。
「……手紙を書いてくれ。運命とは人が無限に交錯する孔だ。巷に神々と呼ばれる巨苦の祭祀者たちさえ、目印もなければ縁のない人間なんて見つけられない。
だけど手紙があれば、話せないにしても生きているということは知れるだろうから。ともすれば四六時中うるさい人間なんかよりも、手紙の中の友人のほうがよほどに適切な友情を築けるものだから。
面と向かって会えば、人は人を蔑むものだから。
抱きしめた人はみないつか死んでしまうものだから。蔑まれることではなく蔑むことに罪の本質はあるものだから。人間は高く創られた愛の生き物だけれど、愛するぶんだけ深く憎めてしまうものだから。
庭師とて、人だったのだから。
だから、寂しいボクに手紙を書いてくれ。ね?
……具体的にいうと、人の皮に血のインクで書けばだいたいボクに届くから、がんばってくれ給え!」
(やっぱ邪悪な存在じゃねーか!!)
朦朧としたまま突っ込みつつ、さまよえる一つの魂は、冥府の底から現世へ押し上げられた。
◆
イオは少年から体を切り離し、体と服を再構成した。
深夜だ。月明かりが差し込んでいる。
万が一の暴走に備えていたのだろう、ロワットラがまんじりともせず腕組をして待っていた。
「結果は?」
「珍しいね、ブウェイック家の二女ロワットラ。貴方が人に興味を持つなんて」
「無駄口はやめろ。おまえみたいな人もどきにはイライラする。人間様のふりをすることに意味があるのか?」
イオは黄金羊のような巻き毛をいじって、どう伝えようかすこし考えた。
「簡潔な答えがお望みかな?
少年に神象を刻んだ神。それは邪神だね」
「神もどきではなく?高名な闇の神々でもなく?」
「高遠にして恥ずかしがり屋、太陽の世界をうとむ闇の神々は、邪神ではないよ。
僕は専門家だ。見まがうことはない。
特等に強大な邪神だったね。
──人間らしいところなんて全くなかったさ。
前世、死んだこの子の魂は、神域に連れていかれた。
僕がみたものは紫の空、無限に広がる闇の大地、そこを放浪する魂……。
天涯を支える紫の巨人たち。
空に浮かぶ二つの目玉がぎょろぎょろと燃え盛り、世界を照らしていた。
そびえたつ臓物の塊……邪神が食らった人間の中身だろう。まだ生きているようで、蠢いていた。
やがてこの子は巨大な肉の塊に食われてしまった。そこで寵愛を受けたんだろう。すくなくとも、神域の記憶は偽物の記憶ではなかったね」
「フフン?」
「老婆心ながら一つ言わせてもらうと、きみたちの計画には使えると思うよ」
「余計なことを言わなくていい、人形如きが対等な口を効くな」
「これは失礼しちゃったね」
イオは裸の少年を抱きしめたまま、運命を思う。
接続したあとは、否応なく実の親子のように親近感が高まるので、少年のことが不憫でしかたがなかった。胸の中の熱源に愛情を感じる。むろん、錯覚だ。否応のない親愛の情を信じるほどイオは若くはない。だが……。
「この子、あまり賢くないよ。優しく扱ってあげてほしいな。嘘をつくような子じゃない。無垢な魂こそ愛おしい。罪がないんだからさ」
「フン?私の意見と違うな。嘘もつけないような馬鹿ほど、重罪を犯すものだと思うが。まあ、天使人形の価値観は人間とは違うのだろうが」
──それは的外れだよ、二女ロワットラ。罪の在り処を探してみんなみんな彷徨っているんだ。海に船を浮かべてみたり、山を登ってみたり、絵をかいてみたり。この世のすべてが嘘にみえるから、嘘でないものを探してる。
大道廃れて仁義あり、ってね。
真理を失ったから天使の輪っかを探す、ってね。
この世に聖なるものを見つけられないから聖衣を身に纏う。
だから嘘をつけない人間は、神々にとって、それはまるで無垢で愛らしい子供のように愛おしくって抱きしめてしまうんだ。恩寵とはそうしたもの。出来損ないを愛している。だって天使だって嘘をつくんだよ。だから天使人形がつくられたんだ。そんなことは百も承知かもしれないのだけれど、この世界に聖なる愛のほかに重要なことなんて一つもないんだ、二女ロワットラ。
イオは眠たげな瞳で、金色の巻き毛を指でくるくる整えながら部屋を出た。
博士は一人寝を寂しがっているだろう。いまからでも添い寝してあげなくてはならない。ああいった気狂いの救いとなれるなら、天使人形にとってそれ以上の存在理由はなかった。
──この世に救いがあるものと、だれもが切に願ってる。
この世に救いが見つかるものと、だれもが己にできる精一杯を振り絞って生き抜いている。だから人は自ら死ぬことが少ない。だからこそ自ら死んだ人には、最上の救いがあるよう、僕たち天使人形はいつもいつも祈っているんだよ、次女ロワットラ。それは人を殺す業を積む君も同じこと。究極の究極の究極のところ、人はみんな冥府の鍵を持っているんだから、救いは既にあるんだけれど。ね?
「ハッ!!」
メテウスは目覚めた。悪夢をみていた気がする。ひどい寝汗だ。べとつく寝具を振り払い、正気のないままに立ち上がる。
「ゲホッ!」
いがらっぽい咳を何度も繰り返し、肺が痛んだ。
鼓動の打つたびに熱が強ばった体へ送り込まれ、まるで死体が動き出したかのような軋みで関節が痛む。
シーツをひきずる。壁に手を這わせる。倒れそうだった。
茹だった頭は働かず、一歩歩くごとに全身が軋んだ。
……自分がなんなのか、いまが何時なのか、それさえもわからない。
朦朧としている。
霞む視界に映ったのは、広々とした続き部屋だった。
壁は石造りで曼荼羅のタペストリーが飾られ、ガラス窓からは雪景色がのぞく。
飾りだろうか。民族衣装や仮面で壁は埋められている。
馴染みのある意匠……バロート人の文化だ。
暖炉は煌々とオレンジ色だ。なのにひどく底冷えのする部屋で、汗にまみれた体が冷えるとともに頭が冴えた。
湿度のない陽様し、音もなく降り続ける雪。
冬だ。
ついに力尽き、最後の理性でベッドに倒れこんだ。
手を握りしめると、小さくて力が弱い。
子供の手だ。
──子供……?
じょじょに、思い出す。
──え?なんで生きてるの?
「ようやくお目覚めになられましたか」
「その声は誰だー!?」
怪しい老婆がそこにいた。
「ふぉっふぉっふぉ。ふぉ……ふぉっ」
「なんか言えよー!」




