44「ザップ 四」
◆
「あっあっ。ちょっとだけおもいだした」
「それは重畳。きみ、はじめ壊れていたから治してあげたぼくに感謝し給えよ。さて、話を戻すよ?」
呆けていたようだ。そして話は魂の売買に戻ったようだ。
乾いた海の底を無限に這うような記憶は、思い出すというよりも、印象だけが焼け付く焦燥感となって浮かんでくる。うまく思い出せないが……おれはこの暗闇から出ないとならないんじゃないか?
見慣れた紫の空の光景。
ずっとみつめると、心の奥底からおぞましい震えがやってくる。思わず目を地面に逸らす。
ニコッ。そらした先、眼の前には、わざとらしい笑みを浮かべた子供がいる。
なんでいるんだ?
「……え?ほんとに神さまなの?ガチモン?なんで?俺なんでここにいるの?」
「さあ?わかんないよ。十中八九、生前の行いのせいじゃない?よほど悪逆非道を重ねて魂を堕とされたとみえる……ごくり」
「ごくっ……いや!?」
おれは無実を訴えかけた。
「異議あり!そっ、そんな覚えはない!これはハッタリだ!」
「こうして業魔府にいるんだから、なにか覚えがあるんじゃないかなぁ?
ときどきいるんだよねぇ。
心無い禽獣の生を歩んだ鬼畜が、人の生き血を啜った外道に相応しい末路として業魔府の底に落とされてなお、自分が悪人だって気づいていないことがさ……そういうのはもうね、人間の姿もしていないから、君ほどまっとうに苦しむことにはならないんだけれど。
あるいはもう一つの可能性。ぼくが恩寵を与えた駒に、殺されたり食われたり契約したりしなかった?心当たりはない?」
記憶がフラッシュバックする。
おれはあからさまに動揺した。
心当たり……がありすぎた。
「こっここッコケッ心当たりなんて……ナイ!」
「君がそう言うならそうなのかもね、君の中では……」
幼子の姿をした化け物は、後頭部を両手に預けて空を見上げ、わざとらしく興味がないそぶりをした。いちいちジェスチャーが人間的すぎて信用ならない。
やたら人間性をプッシュしてくるやつを信じることはできない。そのような毛皮を必要とする人間は、その後ろに隠すべき本性を持っていると自覚していて、日干しされない内心がどんどん狂っていくものだ。傭兵時代の経験談である。
人間は狂人の群れに放り込まれれば誰だって狂人になってしまう。この事象は軽視すべきではない。人間社会や世間とは、狂人の群れの最大公約数という側面を持っているものだから、常に人間集団に入り浸っているとだんだん気が狂っていくのだ。
人間は前提的に集団であり、全体主義者なのだ。人間存在が根源的に一個の個人であるのと同じレベルで。優劣を判定できないほどに。人間は社会性昆虫のようにそれぞれの役割を演ずる演劇者でもあるのだ。しかし、ずっと舞台に出ていられるほど狂った役者はそう多くない。
だからこそ、孤独は自分を一個の無垢の魂と思い出させてくれる、精神的な安定性をもたらす白魔術として多くの人間に必要不可欠なものでもある。
だが、白魔術だって過ぎれば毒となる。極端な孤独もまた毒として作用する。
内心が狂うほど、日向の牛のように呑気な世間では内心を露わにできず、内心をみせる代わりに小器用な愛想笑いを浮かべることになる。そして小器用さは便利でも、いつだって人生をせせこましい牢獄に変えてしまう危険のある黒魔術だ。
この世は魔術でできている。
あたりまえの話ではあるが才能や技能が人を地獄に導くこともある。ある境遇がプラスであるかマイナスであるかを解釈することはあまり意味はないが、人殺しに物怖じしないやつが職業的殺人者として生きることになり、たいして技能もないのに音楽を理解できてしまうやつが音楽関係以外の人生を送れなくなってしまうように。
セックスの上手いやつがスケコマシか売女として生きることになるように、愛想笑いの上手いやつは死ぬまで愛想笑いを浮かべて生きることになりかねない。笑みの裏にチラリとエゴイズムをのぞかせては、あわてて笑みを浮かべ直すのだ。それらしい言い訳を口にして。
畜生、寓話の化け物みたいだぜ……。
おれは猜疑心に塗れた目で目の前の子供を見つめた。きょとんと真ん丸な目で小首をかしげている。なにが楽しいのかニコリと口元を歪めた。
……ましてや人間味のある神様ともなると、背後には伝説級の化け物が隠れているに違いない。
おれは自称神様をディスりつつ、心当たりを隠すためニッコリと愛想笑いを浮かべ返した。
……矛盾しているようだが、おれの愛想笑いは街とかを守るための良い愛想笑いだから例外なんだ。愛想笑いに生命を乗っ取られ謎のお笑いロボとして生きる危険は少ないといえるだろう。
土台、神々に対して人は無力で、できるだけ愛想よく健気に祈ることしかできない。
そう考えると微笑みを”愛想笑い”だなんて過度に卑下するのは間違っていて、人が浮かべるスマイルってのは、すべて儚い祈りなのかもしれないな……そうか、おれの笑顔はすべて祈りだったのか。
「にこっ。おれは無実だ。魂を捧げることなんてできない! これは不当な拘束に当たる。早く解放してくれ……!」
ニコリ。幼子は笑い返してきた。
「うんうん。無実の人間が捕まらないなんて、どこでそんなウソ八百を教え込まれたの?
無罪の人間が罰を受けないだなんて、どこでそんなたわごとを信じ込まされたのかな?
ま、信じないならそれでいいよぉ。……で、どうする? わかってるでしょ? キミが決めるんだ。神と人の契約は常に真実で神聖だ。自由意思に任せるほかない。ほんとボクはどちらかっていうとどうだっていいんだけれど、ね」
「………」
自由意志、か……。この言葉がこんなに重く聞こえたことは他にない。
「ちょっと魂を捧げるだけでこの暗闇から逃げられるんだよ? 死んだはずの君に、第二の人生、第二のチャンスがやってくる。
それってすばらしいじゃないか。
ボクだって人の力になれるんだ、こんなに嬉しいことはない、えへへ……」
「………………」
「ところで昔話にもあるように、魂には価値があって、人間の魂はいつも悪い奴らに狙われている……!ゆるせないよねえ!?」
「…………………………」
「だからボクのような神さまは守りたいんだ……。守りたい……! 狙われている魂を守りたい……! 具体的にいうと悪から人の魂を守護するため契約したい……!」
「………………………………………………………………………………」
「なんてね、ちょっと気取りすぎたかな?ここだけの話、キミだけに打ち明けるんだけども、神さまってものは意外と世知辛い商売でね? そんな怪訝な顔をしなくても、とって食べたりしないからさ。いやあ、キミ、勘違いしてるね?
これは 唯一神 の話じゃないから。
そんなに 魂の契約 をかたっ苦しく考えなくてもいいんだよ? アハー」
「………………………………………………あはは」
「――それとも、ボクと別れて、また冥府をさまよう?」
……選べるはずがないだろう?
「……る………………げる………………」
「えっ? なんだって? もう一度?」
「…………捧げる!魂を捧げるから、契約ってのを教えてくれ!」
――優越の微笑みは、邪悪の立証。
儚く微笑んだ少女の横顔は美しくって、どうやら悪魔に似ている。
そう、もとより選択肢なんて存在しないことは、双方わかっていたのだ。




