42「ザップ 二」
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イオは子供の深層意識に適切なシンボルを与え、死を追憶させた。
『──さて、この子はどんな前世を持っているのかな?
そのルーツはどこにあるのだろう?
彼はどうやって生まれ、どうやった死んだのだろうか?』
◆
赤紫の空の下、荒野であった。
「ハッ、ハッ、ハッ……」
修羅の獣と対峙している。
動悸する胸を叩き、滴り落ちる冷や汗を笑みと変え、男は叫ぶ。
「素っ首さしだせ化け物イヌ! 犬好きの俺を油断させようったってそうはいかない! ただで殺せると思うなよ!」
牙をむき出しに、人よりも巨大な犬型魔獣がこちらを見定めた。
──恐ろしい。
つぶらな瞳をしたチワワみたいな魔獣は、こちらを峻険に睨みあげ、ぐぐるぅと唸った。
──そしてかわいい。これは、もとは愛玩犬が魔獣化したのか。なら殺さずにすむんじゃないか──
そう考えてしまったのは、疲労の極地で頭が鈍くなっていたからだ。
チワワ型魔獣は甲高い吠え声をあげ、その八つの眼球をポンと宙に飛ばした!
「子機か!」
「グルルゥ!!」
もはやチワワの面影はない、さしずめデスチワワといったところか。
男は親指の腹を噛み切って契約神に願い出る。
「闇の褥に仰臥したまう夜の支配者!
〈賭博と占星術の神マルマドン〉よ!
いまだ地上に残り、夜を見守る優しき帷の神よ!
秘すれば花なり、賭ければ命は星となる!
流星を模した我が秘剣──」
『あっ、ここはいいかな。……早送りっと』
イオはシーンを飛ばした。
死闘のすえ、男はデスチワワに負けた。
──クソッタレが。
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傭兵は世界の終わりを見たという記憶を持っていた。
デスチワワに深手を負わされ、人類が全滅したあとも生き延びた男は無限の荒野を放浪した。
未来の記憶。
むろん、本物の記憶ではない。
ベインレイルの掟にあるとおり、過去への干渉は不可能である。
過去など人間の認識の上でしか存在しえないからだ。
男が持つ偽物の記憶は、駒とするため、神々が挿入したものだろう。
さほど手間をかけない使い捨ての手駒にはよくあることだ。
人間の記憶などもとより曖昧で、常日ごろから当人にとって都合のよい形に改変されている。他人の言葉を頭から信じてはならないとよく言われるのは、意図的に嘘をついている場合が恐ろしいのではなく、当人が信じていてもその内容が不正である場合が多々あるからだ。
ゆえに人を信じることは難しく、友を信じることは価値がある。
記憶の不整合に多少の違和感があっても、当人はすすんで違和感を飲み込んでいくため表面化しづらい。
神々の記憶改ざんは自然で、発見されるケースなど氷山の一角であり、水面下では膨大な干渉で人の世を都合よく動かしていると推測されている。
そう、この世界は神々の庭だ。
神々の戦いと人は無縁ではいられない。
もっとコストをかけた駒が欲しければ、運命を操り本物の悲劇をつくりだせる神々にとって、メテウス少年の受けた方法はまだしも実害が少ないとさえいえる。
だが、当人にとっては。本物の悲しみに恐怖だった。
すべて偽物の記憶だと知っているイオは、痛ましさを覚えつつ追憶を続ける。
滅んだ世界を半死半生で放浪する男は、なぜか不滅者に掴まった。
そして──気が狂っていった。
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──何億という人間が惨苦の中で死んだあと、その元凶が恩着せがましく微笑んできたら、どうする?
「命を粗末にするものではありませんよ?」
紫の瞳をした女はそう言った。
体が動くようになった男は、戦斧を構えて女と対峙していた。
「……殺してやる」
「愚かですねえ、傭兵さん? 人間なんですから、暴力ではなく話し合いで解決いたしましょう?」
「おまえは人間じゃねえ!」
水辺にたたずむ妖精のような立ち姿。
平和を希うような穢れない微笑み。
しかし、その紫の瞳は。
『しんじてください、目も笑っているでしょう?』というジェスチャーにしかみえない。
本当に経験豊富な狸がよく浮かべる、あの親近感のある目。
目が親しげに笑っている。笑いすぎていて、不自然だ。内心と表情が連動していない長命種特有の、完璧すぎる笑み。
滑稽だった。
そんな笑みになんの価値もありはしないとこいつらは気づいていないのだろうか?花に擬態する昆虫の背後には捕食という目的がある。美しい笑みを浮かべて見せる長命種はグロテスクな絵画に似ていた。腐臭すらかぎ取れるほどだ。こんな人間は、もう人間ではない。
男の敵意を、その多すぎる経験で感じ取ったであろう化け物は、嘆息して片目をつむる。
「むう。いい加減折れてくださいよぅ。あなたは希少な生き残りだから、価値があるんです。この清らかなる永遠の理想郷〈エウメル・パラティッシ〉には老いも病も飢えもなく、一目には天界にも似ている。素直にさえなれば、人並みとは言わずとも、犬並みの生活は保障いたしますよ?」
「なにが理想郷だ。俺はクソ女の戯言に付き合うつもりはさらさらないんだ。お願いだから死んでくれよ!」
「無礼ですねえ、女性のことを罵ってみせる男ほどみじめったらしいものはない。わたくしには名前がある。フレアと読んでくださいと、はじめに名乗ったはずですが」
なにが女性だ。
女といえば女性に失礼だろう。
フレア────戦争差配人のフレア・フレア。
一千万人を殺したともいわれる、有名どころの不滅者だ。
武器商として多くの戦争を仕組み、人類の余力をすり減らした。
化け物が、まともヅラして話しかけてくるんだ。たまったもんじゃない。
男は戦斧を構えなおし、躊躇なく女の微笑みに振り下ろした。
そして当然の如く負け、捕らえられた。
──こいつ、デスチワワより強いぞ。
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『いや、そりゃ負けるでしょ……』
イオは男の記憶を早送りで追想する。
この人間はなんて馬鹿なんだろうとたびたび考える。
只人が不滅者の機嫌を損ねれば、末路なんて決まっているというのに。
◆
長い拷問がはじまった。
早送りする──早送りする──早送りする──
男は拷問の果てに死んだ。
◆
『うげっ……ちょっと可哀そうになってきちゃったなぁ。あれ?』
げんなりしていたイオは、疑問符を浮かべた。
『うーん?話と違うような……。もしかして、当人は覚えていないのかな?』
あまりに恐ろしい追憶だったのだろう。
少年は脂汗をかき、華奢のイオの体を折れんばかりに抱きしめている。
イオの嗅覚は恐怖や悪意を敏感に感じ取る。
震える子供の汗の匂いは不快ではない。
愛情のようなものが胸に溢れ出す。
背中を撫でてやると苦悶が和らいだ。
『拷問されて死ぬなんて珍しくもないんだけれど、ここまで徹底的に尊厳を破壊されるのはめったにないことだね……同情してしまうよ。偽物の記憶とはいえ、似たような拷問の記憶があったのだろうね』
世界が終わるだなんて、あまりに荒唐無稽だ、神々はなにを考えてそんな記憶を植え付けたのだろうか?そんなもの、とイオはつぶやく。
神々は普通、些細な工作などしない。つじつま合わせなんてしない。
人間はもとより神々の駒としての側面を持っている。
『こういった歴史が必要である』『こういった災害が必要である』『こういった人間が必要である』という目的があれば、その目的に応じてふさわしい人間の記憶は勝手に生成される。
最小限の労力で物事を成し遂げる時、神々にとってのその労力とは人間を操作することだった。
数学の才能のある人間が些細な計算を無意識で行って自明と言い張るように、神々にとって人間の記憶は意識せずとも干渉できるものだ。
考えてみれば理に叶っている。大雨を降らす力を行使するよりも、大雨を降らす力のある人間の記憶をすこしいじるほうが安上がり。それだけだ。神々が物質的な干渉を行う時、それは物質な干渉力を持つ既存の駒を適当に動かしたほうが安上がり。駒として使われる人間にはひどい理不尽だが……。
世界は神々の庭だ。
それが人間の存在意義なんだから、しかたがない。
前世のある男が、たまたま使い勝手がよく、もともとあった記憶を改変されたのだろう。
男の記憶には続きがある。
イオは裸体のまま、銀髪の少年を抱きしめ、また追憶をたどる甘い眠りについた。
唇を鎖骨に押し付ける。黄金の髪の卵の中で、二人はいよいよ本題に近づく。
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そうして男は神と出会った。




