41「ザップ 一」
貴方は、正義を求めて悪を憎んでいるのではない。
貴方は、正義があることを信じていないから、悪を憎む他ないのだ。
そういった偽善への傾倒は、魂を丁寧に破壊する。
断片と化した魂に、もはや求めるべき道もない。
轍のない荒野を前に、魂は、ついに恩寵を見つけるほかなくなる。
エッゼの書・第四の書簡「再生機械」より
◆
>イオ
冬近くになると、バロートの気候は曇りがちになる。窓には雪がちらつき、肌が痛くなる冷気にイオは頬を撫でた。ひび割れてはいない。
陰気な冬は人の往来が途絶え、幻魔の増える季節でもある。
八つの尖塔を直列させたブウェイック城は、山裾を囲むように広がった横長の城塞だった。戦時に兵士を溜め込むことを主眼として築城されているので、平時は領主一族や使用人では使い切れない部屋をもてあましている。そんな人の出入りしない一角に、ブリュンヒルデ研究室はあった。
「ちょっといい?」
イオが入室すると、壮年痩躯の男性が振り向いた。整えられた灰色の髪に四角い眼鏡、彫りの深い顔立ちは大理石のようだ。彼の顔をみるたび、イオは知性と狂気のはざまを思う。イオの主でもあるダリッド教授は、神経質に目元を痙攣させて手を払った。
「実験中だから入るなと言ったろう」
「中断できる?」
「……悪い、おまえが命令を違えわけがなかったな、またぞろブウェイック家の連中から催促か? 新しい解熱薬は今月いっぱいかかると言っただろう、適当いって追い返せ」
「いや、別件だよ」
「なんだ?」
「九姉妹の子がやってきた、きみに用事があるんだって。どうやら実験動物を連れてきたようだよ」
「なんだと。希少な魔獣か?ゆかねば。失礼はなかったろうな?」
やけに角張った仕草で教授は実験道具を片付けていく。大小さまざまなフラスコ、精霊虫の浸かった溶液、宝核の埋め込まれた希少な業輪炉。魔獣の核……普段は洗練された仕草を心がけているダリット教授は、急ぐと動きがやけに大振りになる。まるで、人の身体を操ることに慣れていないかのような仕草。
実験動物を大人しくさせるための人面根〈マンドラゴラ〉をすりつぶした幻覚剤を棚から取り出すと、教授は部屋を出た。
イオは半歩後ろに続く。それが人形の礼儀なのだ。
「顔見知りの魔女か?」
「41年前の秋、グライマー湖のほとりで薬を売っていた、カディシシの系譜のワルキは一番弟子ミリディア。七女カディシシの系譜にしては美女で赤毛で身なりが綺麗。気象魔法の使い手、覚えてる?」
「おお、私の腕を吹き飛ばしたあげく、勘違いだったといったあれか」
尖塔までたどり着き、業輪機関で動く昇降機エレベーターで下に降りる。
昇降機には魔を祓う鏡が備え付けられていた。なんとなはなしにイオは鏡を眺める。
41年前のミリディアは、気性の激しさが目鼻立ちに現れた美女だったが、いまは老婆となっていた。
しかし、イオはあのころと変わりない。
眠そうな顔をした少年。長く渦巻く暗い金髪は山羊のようだ。白銀色の瞳は人間的でない。すこし大きい執事服はお仕着せのようで、関節を隠すための設計となっている。
いつか、自分にも死が訪れるのだろうか。
天使人形のイオには、自己保存の義務があるのだけれど、天使人形としては恥ずべきことに、死を恐れる気持ちは微塵も浮かばない。
失敗作なのだ。
門前でミリディアを迎え、研究室に戻ると、教授はいつも悪い癖をはじめた。
「ああ! 麗しのミリディア、この再開を神々に感謝しようではないか!」
「ふぉっふぉっ、鬱陶しいったらありゃしないね」
両手を広げ、接吻しようとした教授ははねのけられる。
「つれないな。久方ぶりに旧知の人間と再開する、喜ばしいものだろう。魔女とて人間らしさを捨てたわけではあるまい」
「教授、アンタなんも変わっちゃいないねぇ。思ってもいないことをして、人間らしいって? あなや不気味じゃ」
「嘆かわしい。魔女に不気味と言われた」
「これは一本とられましたね、教授」
イオの余計な一言に、教授は本当に感情を逆撫でされたように無表情となる。魔女は苦笑いで伺っていたが、イオは事務的に話をすすめることにした。イオの主は人間的な怒りや歓びを意図して演出しているから、加減を間違えることがある、それだけだ。
「さぁて、用事があってきたんだよ。ロワットラ様が持っている少年、この子がなんにみえる?」
「ふーむ」
ブウェイック家の次女ロワットラが無言で立ち、銀髪の少年を抱いていた。熱に魘されているのか、汗をかいている。ときおり目を見開いては、虚空を睨みつけ、目を瞑る。まともな状態ではないとしれた。
──十歳かそこらの少年にしては暗い顔だ。
都市部で見かければスリを疑うような険のある顔をしている。顔立ちは貴族の血が入っているらしく、とても端正なのに、それを突き抜けて暗い情念がギラギラにじみ出ていて、それは育ちに恵まれなかった子供特有のものにみえる。総じて魂が暗いような印象があった。
「子供の顔つきらしくない。長命種か?」
「戦争で呪い子の暴走に巻き込まれた子なんじゃが、なんでも、前世があるのだとさ」
「ふむん?」
教授は懐疑的な視線を送った。
次女ロワットラが、いかなる情動もない顔で口を開く。自分の感情を悟らせないことに長けた貴族らしい顔だ。
「研究馬鹿のボケ爺。
仮にもブウェイック家の禄を食んでいるんだから役に立て。
戦争があったのは知っているだろう?
このガキ、邪神かなにかの依代になって、暴れて戦をめちゃくちゃにしてしまった。
同行していた者を問い詰めた所、どうやら長命種ではなく前世の記憶があるのだとか。
胡散臭いが──使い物になるかどうか見てくれないか?」
「ほう。真実なら興味深いが。
前世ある者。市井の者は迷信というが、稀に実在する。古くは悪魔憑きに獣憑きと言われ、幼少期に知っているはずのない知識や光景を語り、ほとんどは大人になる頃には忘れている。世界を広く見ればありふれていて、しかし見つけることは難しい。九姉妹の末裔に姫君がいうならば本物なのだろうが、まだ記憶があるのかね?」
前世持ち。イオは知識として知っていた。
額にエーテルを通し、目ならぬ目を開いて子供の瞳を見聞すると、薄い白銀の輪がある。
冥府を見た者の目には、死の通り道が開く。なんせイオは天使人形なのだから、偽物かどうかは一目でわかる。
「白舟の輪が残ってる。本物だね」
「九姉妹の子が偽物を連れてくるとは思っていなかったさ。さて、我々になにをさせようと?」
「ふぉっふぉっ。放置するわけにはいかんじゃろ。だからのう、教授たちは、ほれ、専門家じゃろう?」
「それはそうだが。当人は朦朧としているようだが、大丈夫なのか?」
「熱が出て死にそうになっているだけだ。危険そうなら処分するんだから、否やもなにもないだろう」
イオはすこしだけ警戒心を高めた。
蘇りの者の一種であるから、力を持っている可能性もある。
理不尽な経緯で神々に関わって殺される人間は枚挙にいとまがない。
「いいですか?ちょっと、記憶を見させてもらいます」
「姫君、よいかな?」
「ああ」
天使人形のイオは、冥府で製造された干渉機である。
身体を覆いくるぶしまで届く長い金髪が浮かび上がり、先端を尖らせ、ふわりと子供の首筋に絡んだ。
半エーテル状態の髪が脊髄をたどり、脳へとたどり着く。
「ッ…………ふにゅう」
熱にうなされていた銀髪の子供はくたりと意識を失い、イオにもたれかかった。
抱きかかえ、髪の中に包むようにして保持する。
感覚器官からの情報を絶たれ、自閉状態となった脳は発狂を防ぐために保持されている記憶を追想する。
被暗示状態よりも対象は御しやすい。イオは天使人形として肉の器を模倣するようにできているから、追体験を導き、神経的に同化することで、魂の情報を取得する機能があった。もうすこし下等な人形ならば、薬物や性行為を併用する必要があるのだけれども、イオは本物の天使人形だから下界の方法をとる必要はなかった。
金の巻き毛は包むだけでなく伸び始め、やがて二人を繭のように覆う。
淡い輝きが研究室に満ちた。
「何時間かかる?」
繭の中は薄い影として、二人の子供が溶け合う姿を浮かばせている。
イオはくぐもった声を返した。
「わからないな。肉体ではなく魂の記憶を探るんだから、ルーツから探さなくちゃ。この子の記憶を追体験して、原因を探ることにするよ……一晩はかからないんじゃないかな?」
「承知した」
イオは形而上の手を動かし、子供の心臓を包みこんだあと、現実世界からゆるやかに意識を移した。
「身体の保護は頼んだよ……すやぁ」
◆
「長い髪の怪物に取り込まれた子供にしか見えないね……」
「天使人形は神々の芸術だ。彼らの奇跡に、人間の技術が追いつくことはいつになることやら検討もつかんな。
さて、我々は眠る子どもたちを守ろうではないか、
なんせ天使人形の自己保存機能といったら、国を滅ぼした実績があるのだから」
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