34「蜘蛛 九」
◆
「──叔父様!」
流星は落下した。
大蜘蛛の頭を直撃し、土煙に包まれる。
”GI、GGIY、GYYYYY──”
船の軋み音に似た悲鳴。
前後不覚に陥り、土煙をあげ転げまわる大蜘蛛は、まわりで慌てふためく自らの子蜘蛛をぷちぷちと押しつぶす。
大蜘蛛の仮面を貫通したデスサイズを置き去りに、人影──グノークスが血まみれでやってきた。
メテウスは宝斧を両手で握りしめ、こっそりとエーテルを込める。
「遅れてすまなかった! 余計な手出しでなかったなら、よいのだが!」
「いえ、助力に感謝いたします!死を覚悟しておりました!!」
漆黒の軍装をはためかせ、泰然と立つグノークスの姿は血に塗れて格好が良い。
キラキラと目を光らせたガレアーンが不自由な足をおして駆け寄る。
メテウスは宝斧を腰に構えた。
柄にエーテルを流し込むと、刃が淡く発光する。白い霜が膝に降りかかり、宝斧の核に反響した冷たいエーテルが全身に脈動していく。
宝核具とは魔獣の核を用い、その内包された世界を崩さぬよう鍛冶師が鍛え上げた神秘の武具である。エーテルを込めればその秘めたる世界と共鳴したエーテルを使用者にフィールドバックする、神域の理を内包した武装である。
肺腑が液体窒素を飲み込んだように凍えていく。
情も過去も消えうせ、意識が刃物のように冷たくなり、鋭く息を吐いて準備が整った。
歩み寄ってくるグノークスは転がる呪い子を見ては、髭を撫でつけた。
「どうして呪い子を殺さない?」
ガレアーンの首筋が僅かに朱に染まった。
「恥ずかしい限り! わたしの刃は呪い子に通じませんでした!」
「そうか……私の手落ちだな。やはり管理者権限を譲渡して置くべきだったーー〈隷謁〉!」
ぎっ、と小声を漏らした呪い子が、手足を硬直させてもんどりうった。
前と違って、メテウスは同情を覚えない。良心がこの子供を人間だと考えることを拒否している。人間を喰らう化け物に首輪をつけるのは、まったく当然のことだ。
「さあ。役目を果たすがよい。狼の如き・レアの名に恥じぬ働きを期待する!」
大剣を手にした少女。
──本当にこのタイミングか?
肯定。確実にそうだ。
言葉を反芻する。
『さっきのは いとてき じゃなかったから……けいやくの はんいがい だよね……』
呪い子の言葉は、重大な示唆だった。
グノークスの意図は間違いなく……
「──どういうつもりだ?」
──ガレアーンと呪い子の間に、宝核斧を構えて立ちふさがる。
メテウスは斧先をグノークスに向けた。宣戦布告だ。
「なにしてるの!?」
「なあ、お嬢様──ガレアーン様よ。やめておけ」
「なに言ってるの? 殺されたくなければ、どきなさい!」
一歩踏み出したガレアーンに、メテウスは斧を掲げて歪な笑みを浮かべた。
ガレアーンは思う。
──まさか、裏切っていたのだろうか?
どこまでも腑に落ちない。殺すタイミングなどいくらでもあった。なぜ、いまここで……
メテウスの斧先は、やはりグノークスに向いていた。
──まさか。
「しょせん教養もなければ世間も知らぬ孤狼児だ。
愚かにも、呪い子に同情したのだろう」
長い黒髪と豊富な髭を瀟洒に整えた男は、こんなときでも鷹揚な笑みを崩さない。
「おまえたち下民はいつもそうだ。ありもしない被害妄想にとらわれ、人生を無駄に過ごし、人の邪魔をする。頭を抱えて日銭仕事をこなしていればよいものを……義務の邪魔をする」
「ヘヘヘ……そのとおりかもしれないな。でも、聞かせてくれ。なぜこのタイミングできたんだ?」
「なにを疑っている? エーテル遣いが広場に迫るのを、十人ほど殺していた。幸い、主戦場へ高位の戦士が出払っていたから、私ひとりでなんとかなった」
ガレアーンがいったん動作を止めたことを確認し、なおもメテウスは連ねる。
「ヘジケーのおっさんはどうした?」
「退路の確保を頼んだ。援軍がみえたら、合図を送ってくれるはずだ」
「聖環をハメられた呪い子が、元気を取り戻しただろう。なぜだ?」
「愚問だ。聖環とて万能ではない。呪い子という神々の生み出した脅威に、限界がきて枷が外れたのだろう。不測の事態などいくらでもあるというのに、まったく──愚か者に言葉など通じないのだから、この問答は無意味だな。戦場だというのに、仲間同士で争う愚もわからないのか?」
「そうよ!バカなの!いまなら半殺しですませてあげる!」
ガレアーンを無視して、脂汗をにじませたままメテウスは笑った。全く納得できていない。
グノークスは笑みを崩し、不快そうに嘆息する。
「納得できねえ。グノークス様。アンタ、そんな無能には見えない」
「フン──愚か者はいつも他人のわかりやすい過失を探そうとする。自分でなにかを成したことがないから、物事がどう運ぶか理解できず、大上段からものを言えば優位に立てるという本能を抑えることができない。そういった態度が周囲にどれほど知性の欠如を伝えているかも想像できないし、他人に相手をされずに一生を過ごしているということすら彼らには理解できない。愚か者には尊厳もなければ、知性もないからだ」
「ヘヒヒ……」
緊張で頭がおかしくなりそうだ。
言葉が傭兵時代のものになっている。
「そりゃあよ……だます相手に、馬鹿のレッテルを張る詐欺師の言葉だろうが! あんた、なにを騙そうとしてるんだ?」
……おれの言いたいことが、ガレアーンに通じたのだろう。憤怒を目に宿して歩み寄る少女を無視して、なおも言い連ねる。
「恐れ多くも、ふへっ、グノークス様のような高貴なお方に言うのは気が引けるがよ──
──どうしてガレアーンに呪い子を殺させようとする。
目的を言えよ。下手な芝居はやめろ!
将軍の女も、呪い子を殺させるためにわざわざ注文付けておれみたいな孤狼児を雇って生贄にしようとしたんだろうが! 呪い子を殺せば呪われかねないと考えていたからだ!
おまえはどう考えてもなにか意図を持った裏切り者の動きをしてるんだよ!!」
「そんなわけないじゃないの!!」
どぐし!と拳で横腹を強打されたメテウスは倒れた。足で何度も顎を蹴られ、やがてメテウスは動かなくなる。
「叔父様、わたしの雇った孤狼児が無礼を申しました!
犬猫が噛んだなら、飼い主の咎です!
馬鹿で阿呆ですが、裏切りものではありません!命まではとらないでやってくださいませんか!」
「ふむ──時間切れだな……」
大蜘蛛が足を痙攣させながら、立ち上がるのをグノークスは観察した。
顔はやはり笑みを浮かべているが、わずかな月光を反射する目がガラス玉のようにみえてガレアーンはすこし怯える。
──叔父様は、ハヴォック家の第三位相続人。裏切り者のはずがない。それを孤狼児は知らなかったから──
脳裏にひらめく言葉。
女ながら戦士を目指すガレアーンを嘲笑するものは多く居た。
それらを黙らせ、不自由をいつも陰で支えてくれた叔父の姿を思い出し、その信頼を思い返すことで、胸に暖かいものが湧いた。
ガレアーンは宝核剣ヌエンキを握りしめ、痙攣する呪い子に構える。
子供の姿に騙されるような間抜けではない。
──振り下ろした。
胸の真ん中に突き刺さり、心臓をかち割った。
パッと血の華が咲く。
ほうと胸をなでおろした。
作戦は成功だ。叔父がいるからこの足でも逃げられるはずだ。
あとは逃げるだけ──
初陣を果たしたことを褒めてもらいたくて、頬を紅潮させて叔父のほうを振り向くと、叔父はなぜか指先をガレアーンに向けていた。
「〈隷襲〉」
低い声が響く。
えっ?と頭が空白になる。
手足がなにかにからめとられた。慌てて剣を振り回すが、その紫色の触手は力強くガレアーンを締め上げる。
「うッ、ガッ──たすけ、て」
呪い子の胸を割った傷から内臓が、いや、紫色の触手が何本も飛び出て、ガレアーンをからめとっていた。
圧力に右肩が外れ、剣を取り落とす。
絶望の黒い滲みが胸に垂れた。死ぬのだろうか? 叔父の助けは間に合うだろうか……
灼熱の痛みが逆の腕を襲う。
触手から生えた円状の牙が肩の肉を喰らっていた。
助けを求めて手を伸ばしたが──叔父は泰然と微笑みを浮かべ、いつもの立ち姿で、静止している。
(まさ、か──)
「すまない、レア」
「う、嘘でしょう……?」
触手の縛り付けが止まる。
グノークスは明らかに言葉ではない方法で呪い子を御していた。
「まさか、意図が露見するとは。
後味が悪いがこうなっては致し方ない。
おまえと私の仲だ。恨むなよ。
だって、おまえを騙すこともできた。
……そう、私たちは口先に生きる人間ではない。戦士として潔く死ぬがよい。
言い残すことはあるか?」
虚空から巨大な剣を引き出したグノークスに、涙ながらに叫ぶ。
「嘘だッ!!」
涙がでているのは、頭はもう事態を理解しているからだ。
叫んだのは間違いであったほしかったから。
嘘だと言ってほしかったからだった。
「なぜですか!? 戦士になると誓ったわたしの味方は、父と貴方だけだったのに……!」
「順序がさかさまだ。
おまえの味方だったのは嘘ではない。おまえには素質がある。それは確かだ。
だが、他家からすれば、おまえは従兄弟殿が耄碌して娘を優遇し、戦士になった女。
付け上がった娘のしつけもできぬ父親など、だれも尊敬しない。
おまえが生きているだけで、評判を落とすことができた。だから私は義務の範疇を超えておまえに肩入れをした。
……しかし、おまえには素質がありすぎた。嘘ではない好意を持ってしまうほどに。
出来損ないになるよう取り計らったおまえの兄たちと違って、生き残れば申し分のない戦士になってしまう。だが、殺してしまえば、ブウェイック家はお得意の呪術で下手人を見つけ出すことだろう。
──殺す機会が来たから殺す、それだけだ。
──呪い子が絡む殺人は、呪術で追えないと知っていたか?
慈悲を乞うてくれるなよ。おまえは呪い子に食わせる。これは決まったことだ」
歯を食いしばり、口元から血を流すガレアーンに、グノークスはわずかに痛ましいものを見る目をする。
「そう敵をみるような目をするな。
恨みなどないのだ。
直情的な人間は嫌いだが、おまえは可愛い姪のようなものだった……。
逆境を生きる人間を私はどうしても嫌いになれん。
みせかけの情が本物になってしまうとは、我ながら甘いが。
──しかし、甘味を好む女ではないのでな。
甘さも度を過ぎると吐きそうになる。
殺さねばならん。それが私の義務なのだ。
──相食らう獣の園に生まれた、哀れなバロートの女よ。
もう重荷など捨て、冥府に召されるがいい。
安堵して膝をつくといいい。運命の車輪に轢かれるは恥ではない。おまえの何倍も才能のある人間も、おまえよりも生まれの良い人間も、おまえより善良な人間も……みなが過ちなど関係なく無慈悲に死んでいった。若くして大病を患った人間に、囀る人間はこう言う。
『運命の車輪に轢かれるのは運の悪い人間だけだ』
事実は違う。運命の車輪は人の違いなど判別などせず、すべてを轢き潰すものだからだ。
そう、いつかは人はみな死ぬ。そのことを理解しない阿呆だけが、運命の車輪を恐れないのだ」
振り上げられた巨剣をガレアーンは睨みつける。
「なぜ、ですか……?なぜ、ハヴォック家を裏切るのですか!?」
動揺と反対に、ガレアーンの頭は激しく回転していた。
万一、生き残ったときのために情報を集めなければならない。
「冥土の土産というやつかな?
フン、おまえの父は、ハヴォック家の当主として申し分のない戦士だ。尊敬していた。私の戦士団を罠にはめるまでの話だったが」
「そんな、勘違いでは……?
口さがないものがさえずる噂でしょう!
幼い頃に聞いたことがあります、事故だったと聞きました!」
「父を信じたのか?
私も信じた。
もしも私が逆の立場なら、膨れ上がる私の戦士団を処断すべきだと、非情な判断を下せるお方だと私もご当主殿を信じたのだ。
実際に事故であったかどうかなど、なんの興味もないことなのだよ。事実として私の戦士団は壊滅した。
さあ、ガルゥジン・レア。終わりだ。可愛いレアよ、嫁にでも出れば殺さずにすんだというのに。せめて楽に殺してやる──」
振り上げられた巨剣は月光を遮り、ガレアーンは信じられないまま見上げることしかできなかった。
無造作に振り下ろされる──
ガギン!
「グゥゥゥウ!」
ガレアーンは涙のにじむ目で少年の背中を睨みつける。
斧を両腕で構えたメテウスが、巨剣を受け止めていた。
◆




