31.5「おまけ〈バーミリオン〉」
この話はおまけです。
没というか蛇足です。そのうち別のところに移すと思います。ジャメビュ!
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──おれは発狂した。
つぎに正気を取り戻したとき、その記憶は抜け落ちていたのだけれども、それはきっとその記憶を覚えていては生きることができないからだろう。
◆
「みんな すべてのひとは のろわれている──」
体から意識が遠ざかり、闇をつんざく咆哮が聞こえた。
自分の喉がビリビリと震えているのに気づいたとき、おれはもう倒れ込んでいた。
頭の中の理性を司る部分が地面を失い、落下しながらもがき続ける。
認識が暴走し、左右の区別がつかなくなっていく。
わずかに残っている正気は、これってヤバイんじゃないかとしきりに訴えかけるが、自分ではどうしようもない。
狂気は黄色い朱をしている。
正常ではないのだ。
正常とは愚鈍な慣性によって担保される感覚だ。意識の連続性を信じ、自分というものを架構しつづけるためには、細かい変化に注視するような感性は邪魔になるだけだ。もしも人の頭に賢くなるための部分があるのなら、それはそのまま狂気を司るに違いない。
見開いた目が乾いて痛い。
エーテルで強化された鋭敏な視野は、夜をはっきりと見通した。
絵がそのまま画として映る景色すべてが直接意識に滲みこみ、眼の前の小さな石に砂粒ほどの虫が這っているのが、涎が垂れるほど啓示的で美しい。呆然とする。世界は無限に精細なのだ。世界の作りこみに限界がないことを理解して、おれは気が狂いそうになった。
もともと世界はこうだった。
ならば、ふだん見ていた景色はなんだったのだろうか?
自分が砂粒より小さくなった錯覚に陥る。
いくら手を伸ばしてもどこにも届かない。
空間が消え、あまりの鮮烈に自分が粉々に砕け散り、精神が奇妙な平静に陥って深みに落下していく。その進行は自動的だ。現象としての自分を阻害する自我が消えうせる。耐え難い歓喜が全身に満ち、人生で一度も感じたことのない安堵で体が解れた。
自分というものが溶けていく。
──世界は無限に狂っていく。
人間の生命は、本来はこうして生きるべきなのだろうか? いや、魔獣たちもまたこのような歓びの中にいることを理解した。これを知らないままに生きるなんて、なんて愚かな人生を送っていたのだろう。目を見開いても盲目のまま生きていたのだ。なにも見えたことがなかったのだ。おれはいままで生きていなかったのではないだろうか?
罪なくしては、このようなことはあるまい。
罪だけが人と獣を分かつというのなら。
願わくば獣になりたいものだ。
特異な精神状態は長続きしない。
視界の境界線が滲んで色が躍りだす。
遠くにみえる蜘蛛が左から右に移動したあと、左から登場する蜘蛛をみる。因果が崩壊していた。
必死で逃げ道を探す。
呪い子──カノンという名前がなぜか伝わる──カノンが、優しい笑みを浮かべておれを見つめていた。その表情に普段は読み取れなかった啓示が読み取れる。カノンは燃え盛る炎の柱のような龍の血の化身だ。その業火に燃やされる──
吐き気だけが唯一の感覚だ。
罪を燃料に自分が愛に滲んで滅んで消えてゆく。
つぎの瞬間、蛾のなかにおれは居た。
たしかに居た。焔の光輪に引き寄せられ、焼け死ぬ寸前の蛾のなかにおれは居た。
おれは卵を抜け出し、糸を吐き出して繭に閉じこもり、やがて蛾として飛翔し焔の車輪に突っ込んで燃えつきた。
何度も、何度も……蛾としての一生を何度も追体験する。その繰り返しがリフレインとなって魂に印を焼け付ける。
刻印された印象。
光に向かって羽ばたく天使の大群が燃えつき、地に潰えた燃える羽根を拾った人は松明として掲げ、薪となった天使から炎を得た人はやがて天使を狩り、そして彼らは次の天使として──蛾となって燃えつきる。
──永遠に回る焔の車輪、その名はラフェレン。
永遠に回る魂の風車。
おれは、蛾なのだ。
よだれが生々しく口の端を流れる。
吐き気が通り過ぎ、体が心地よい。
もう何百年も過ぎた心地がする。
気が付くと、蜘蛛がいまだ左から右に移動していた。
時間の崩壊はそのまま自己の崩壊だった。前と自分と後ろという、三つの最も基本的な認識に起因する人の世界。未来と現在と過去という時間の感覚は、そのまま空間の感覚と紐づけられている。その境界線が滲んで三つのものが同じだと気付いてしまったらどうなるだろうか?
空間がなくなる。
すべてが炎の車輪になる。
狂ってしまう。
おれは尻の根元の骨が痛くなり、爆発するかのような脈動に首を振って耐え続ける。
願わくば獣になりたいものだ。
気が狂いそうなのだ。世界は鏡なのか、自分が世界なのか、どちらが左でどちらが右か瞬間ごとに理性が崩壊していき、よだれを垂らして笑うことしか出来ない。
視界は虹彩を深め、物質的でなくなる。
いつしか夜空を一兆匹の青白い蛾が飛んでいた。
月光の下、蛾の濁流が世界を網目のように網羅している。
キラキラ舞い落ちる鱗粉は虹色で、その中にあらゆる複雑性を内包しているものだから、万華鏡のように自分のすべての可能性が光っていて、なにもかも馬鹿らしくなってしまう。
積乱雲よりも厚い光の蛾の濁流が夜空を覆い、その一匹一匹の動きが意識に焼け付く。
蛾は、地上を呪っていた。
虹の鱗粉を注ぎ、地上の人間すべてを嘲るためだけに飛んでいた。
この世界は残酷な万華鏡で、人がいかに愚かなのかを教えていた。
すべての可能性が叶う世界では、すべての想像が現実と等価性を持つ。人の罪はどれほど深いのだろう?
罪だけが確かな感覚だった。
罪だけが道を示している。
願わくば獣になりたいものだ。
──鏡の中にいる生き物が自分だと認識できる生き物は、左右という概念を持っている。鏡の中の自分が自分であることを理解しつつ、鏡像が自分ではないということを理解する能力があってはじめて自分と他者が理解できる。
中心があるからだ。
前と後ろは自分がなくとも成立するが、自分という中心が確立しなければ見分けのつかない左右の区別は成立しない。3は人に認識できる最大の印だ。空間の記号はそのまますべての観念の記号でもある。空間が統合されれば観念も統合される。
だから人は己と対象の関係性そのものに自己をみつける。
目のない芋虫。這い喰らう葉だけをたしかめて今日も世界をたしかめる。
わたしと世界、わたしとあなたの間にだけ人は実在する。
そうでないとき自分は砕け散る。世界と自己の境界線を保証するものがなくなる。
人にとっての存在とは孤立した個ではなく、すべての間にある関係性なのだ。
世界に底はない。
しかし無限か?
無限の時間の中ですべての要素はバラバラに散っても無限の中で全く同じ配列に戻ってしまう。それが閉じた系でも開き拡張しつづける系でも同じだ。物質とはどこまでも観念だ。
破壊の中に座標を観ずる。
人の次の生命、人がいつか創り出すであろう次の生命は、時間を操作できる次元とみなし、あらやるリソースを無限とみなすだろう。
リソースが無限に近い世界では、抽象的な精神活動はそのまま現実として顕れる。
我々がそうであるようにして。擬似的に似たような紋様が生まれる。車輪は回転している。
宇宙が終わるそのときまで。物質的な世界観から解放されたその生命は、きっと人形や機械にも似た体なのに、どこまでも精神的な生命になるのだ。
おれはいったいなんなんだ?




