28「蜘蛛 三」
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ドルツカ基地は、記録も残っていない大昔に関所として生まれた。
現代人より賢かった疑いのある鼻持ちならない古代人が架橋した、両岸から中州につながる巨大な石橋はあまりに便利で、だからこの地域の権力者は橋の上に兵を駐屯させた。
大河である。船も人も橋をくぐるか渡るかせずにはいられない。戦のたびに焼き討ちと増設が繰り返され、変遷していく所有者はみなこの中洲に建造された関所は権力の根源であるとの判断を繰り返し、やがて中州は巨大な水上要塞となった。
高度な技術で築かれた緩やかなアーチ状の石橋を渡ると、大門で区切られた黒木づくりの門に阻まれる。門をくぐると所狭しと堅牢な櫓や詰所が並んでいる。防火のためだろうか、夜にかがり火は少なく、灯っている場所には必ず兵がついていた。
土のみえる外延部には船場もあれば漁網も放り出されているが、中心に近づくにつれ堀や壁が幾重にも現れる。ちょっとした城塞都市のようなものだ。本丸にあたる楼閣を中心として、外側には市場や宿もあるが、内にいくほど宿舎や兵糧庫など施設が点在し、軍事施設の色をしめした。
「はぁ、はぁ……!」
肌寒い夜だというのに、汗がにじみ出た。
哨戒の目を縫って闇から闇へと渡っていく。
子供を背負い、メテウスは走っている。
もう長い時間、外延部を迷っているようにしか感じられず、たまらず、前を走るガレアーンに問いかけた。
「検討はついてるのか!?」
「大丈夫──よ!」
ちょうどかがり火についている兵の背を肘で打撃し、そっと抱いて横たえたガレアーンは目を爛々と青色に輝かせている。
考える時間は終わり、体を動かしているのが嬉しいのだろう。
砂色の髪をした少女はジャガーのように剽悍で闘志に溢れている。
──本能で動いているようにしか見えん。
エーテル遣いが興奮すると一瞬だけ滲む目の輝きは、すぐに消えても残像のようにメテウスの目を眩ませる。
メテウスはなおも言い連ねた。
「それじゃすぐ見つかるぞ!」
「もう検討はついてる! 上流側の最奥、櫓が集って、壁に囲まれた場所があるわ。見つかるまで、五分持てばいい! エーテルを熾しなさい!」
メテウスは苦い顔で胸に掌を当てた。
──エーテルを熾す。
熟達のエーテル遣いにとって、種火を保っているのならば臨戦状態へ移行するに十秒もかからない。
心臓と位相を同じくする〈炉心〉のなかで、埋め火として熱を持っていた僅かなエーテルを励起し、冷たい感覚を付与していく。
冷水を浴びたい気分だったのだ。
そのまま冷感を付与したエーテルを押し出し、背骨に沿って流しつつ、会陰と丹田と額を経由して胸の〈炉心〉に戻す。はじめは粘度を持った速度で、やがて流水のように廻る。回転によって体内に形成された回路に誘い出されたエーテルは、指数的に量を増していった。
魂膜を纏う発光を、同時に打ち消して隠密を維持する。
「交戦許可を与える。見つかったら、自分の判断で殺しなさい!」
ガレアーンは外套を脱ぎ、近接戦闘用の宝核武装をあらわにしていた。
肌着に象嵌された首元の赤い宝石が光ったかと思うと、真っ黒な布が肌に張り付いて、エーテルを纏い、要所に刃を通さぬ鎧と化す。ここ二十年で一気に普及した量産型の宝核武装だ。
走る速度が増す。
少女は獣のように地に張り付いたかと思うと、天高くつきだした物見櫓へ跳躍した。外套がたなびいたかと思うと視界から消える。
メテウスは慌てて多少不格好に後を追って、何度か柱を蹴り櫓の屋根へ乗る。幸い、櫓の中は無人だった。
──この女。わかってはいたが、十四かそこらの年で本物のエーテル遣いだ。侮れん。
……カーン……カーン……
遠く鐘楼から甲高い鐘の音が鳴る。
荒い息を吐きながら、伏せて見守る。何度も鳴るうち、にわかに要塞各所は活気立ち、松明を持った兵がそこかしらにあふれ出していった。戦争に兵を取られているのだろう、人影は少ないが、怒号から死体が見つかっただの侵入者だのかすかに聞こえる。
──陽動が効いている。近場のエーテル遣いがすべて臨戦態勢に入り、よほど感覚の鋭い探知特化型のエーテル遣いでもいない限り、本命の動きはバレない。
「ついてきなさいッ」
一言放った瞬間、ガレアーンは夜空に跳躍していた。月がいやに巨大で、見つかるのではないかとヒヤヒヤした。
「置いていくな!」
宝核武装の黒い肌着が太ももまでピッチリ張り付いて闇と同化しており、あまり遠くにいかれると目で追えなくなる。メテウスは少女の小ぶりな尻を追って跳躍した。
二人は20レヌテほど跳躍して別の櫓に着地した。
衝撃を全身のバネで殺し、ぎしと木の鳴る音だけを残して、また跳躍していく。
奇跡ですらない、エーテルを用いた簡素な影迷彩を施すのも忘れない。
多少気配が漏れてもかまわない。空を特別に警戒しているエーテル遣いでもなければ、蝙蝠のような暗い影が空を飛んだからといって、それが人間だとはわからない。
櫓から櫓へ飛び移る。
基地の一点を目指す。
「ハァ、ハァ……!」
全身に薄い汗をかいて肺は酸素を求めて荒れ狂った。
心臓の動悸が耳の血管を打ち、耳が変になりそうだ。
メテウスは極度の緊張に達していた。
──任務とは、別の緊張。
──仕掛けにいくときが、一番、仕掛けられやすい。
「あった!」
ガレアーンが指さす先、壁に囲まれた一角があった。
喧騒から外れ、巧みに物見櫓の視界からも外れている中庭は、元は高官の邸宅か式典用の広場にみえた。壁に立つ。
奇妙な起伏がある。
不規則に盛り上がった地面は、月光を反射して不気味に光る艶があった。
門に一本だけかがり火があって、兵が六人ほど座り込んでいる。
光の届く範囲は、光沢のある真っ白な地面に覆われていた。
「──どうやら当たりだな。あれは、糸、か?」
「火を消すわ。私は左からやる……」
臨戦態勢に入ったガレアーンは無駄がない。
砂色の髪の少女は冷たい集中を宿して人間味がなく、鋭利な刃物のように本分を全うする歓びに満ちていた。
バロート流の軍人教育を受けた戦士、ということは経験はともかくメテウスより正式の訓練を受けている。黙って従う。
たむろする兵は雑兵ではなくエーテル遣いだ。
いよいよ本格的に戦わなければならなかった。
「合わせなさい」
──少女が虚空から抜き出したるは、緋色の大剣。
両刃の刀身はまだら模様に紅の線が走り、まるで血管のようで不気味だった。
メテウスは思い出す。
蔵遮腑の食料を分けるのを嫌がっていた。あれは、武具で蔵遮腑の容量がとられていたからなのだろう。
砂色の髪から汗を垂らし、両腕で剣を横に構えた少女は、兵らの目が一瞬でも逸れる間を探っている。
──宝核剣ヌエンキは、エーテルを込めれば所有者の血に対して斥力と引力を発生させる。
メテウスの首筋に汗が垂れて、じりじり焦れた。
言葉がないのは、無言で合わせて当然だからだ。
ガレアーンは、メテウスの力量を『可もなく不可もなく』と見切っている。
見下げたのではない。
それは大陸随一の紛争地帯で、最強の名を欲しままにするブウェイック家戦士団の基準で、だ。
「──シィッ!」
ガレアーンはいきなり大剣を投擲した。
エーテルに強化された膂力で、刀身は真っすぐに夜闇を疾駆する。
年配の兵の背に吸い込まれて剣は突きたち、一角の地面を血に染めた。
一人。
風を切る轟音に兵は瞬時に反応し、得物を引き寄せ構えていた。
実戦経験豊富な兵だ。だが──
「──戦士ではないわね」
跳躍したガレアーンは、宝核剣ヌエンキへエーテルを放って脈動させる。
ベクトルを得た宝剣は赤い楕円となって飛んだ。弁を解放された死者の血流は、まだ動く心臓の動きに合わせて噴出する。真っ赤な噴水が近場の兵を染め上げた。
「ッ!? 飛んでくるのは、宝核剣だ! 敵は戦士だぞ!!」
死体から飛びぬけた剣を凝視し、叫んだ兵は槍を回転させ弾き返す。弾かれた緋剣はクルクルと回転して走るガレアーンの手に吸い込まれ、そのまま勢いで兵の背を切り伏せた。
二人。
「ウォ!?」
「こいつ、ブウェイック家の戦士だぞ! 鐘はどこだ!?」
手を口にあて、遠叫びをあげようとした兵に小さな影が走り寄る。
「──ァアッ!」
宝斧を斜めにふりおろしたメテウスは、すれ違いざまに二人の兵の足を両断する!
「ぁ、ああっ! おれの足が!」
「畜生っ! 敵は二人いるぞ!」
無傷は残り二人。
半鐘に飛びついた兵へとガレアーンが駆け寄り、首を斬り飛ばした。
「グズグズするな! すぐ集まってくる!」
「わかってるよ!」
背に子供を括ったメテウスは動きが鈍い。
切断された足を抱えてうずくまる兵の首を慎重に斧で両断し、腰の抜けた残り一人に近寄る。
「は、ヒャ──ブウェイック家は、テメェみたいなガキまでバケモンか……」
「おれは無所属だ!」
斧を振り下ろす。
霜を纏った宝核斧はインパクトの瞬間に凍り付いて重量を増し、兵の構えた剣を叩き折って胸に突き刺さった。
斧を引き抜き、噴き出す血を避けて血ぶりする。
ガレアーンは「無所属……?」と首をかしげつつ、無造作にかがり火を蹴り倒し、少量の水を生み出して鎮火する。
光に慣れた目が、訓練された速度で月明りに慣れるまで数秒。
十秒前まで兵が愚痴をいいあっていた広場は、首や死体が転がり、大地は血の海と化していた。




