26「蜘蛛 一」
「貧乏くじだぜ。こんな任務うっちゃって酒でも飲みてえよ」
漆黒の水面をみつめながら、兵士がぼやいた。
背中を預け合っている、もう一人の兵士が呟く。
「馬鹿いうな。みつかったら殺されちまうぞ」
年配の兵は真剣な声色でいう。
相棒として配属された、まだ産毛のような髭しか生えていない青年は、勇んで戦争に来たというのに深夜の哨戒任務に駆り出されて不満があるのだろう。諫めるのも年嵩の役目だった。
「こんな基地ン中にある桟橋、見張ってる意味あるのか?」
「馬鹿、命令をこなすことだけ考えろ。前線ならともかく、ここじゃあ命令違反は棒打ちだぞ」
「俺も前線で敵と戦いてえよ……殺しまくって略奪してぇ」
冬を前にして、基地の守りに残された兵の士気は低い。
川の離合地点に設営されたドルツカ基地は肌寒く、轟々と流れる水音だけが耳に響き、点在するかがり火はいかにも心もとない光を灯して闇に吸い込まれている。中州に建造され、建物を残して堀を掘削した水上要塞からの移動手段は渡橋あるのみであり、深夜となると船の上にも似ている。
昼には賑わった人の世界があっただけに、魔の支配する異界にいるような心細さだ。
「そのうち前線組が戻ってきて、交代になる。平等だろ?」
「賭けもできねえ、女ともヤレねえじゃ馬鹿らしくってないや。夜じゃ、釣りもできねえしな……ウワッ!?」
ざばん!水面を割って大きなナマズが飛び跳ね、二人の前でぴちぴちと踊り狂った。
二人は驚きで顔を見合わせる。奇跡だ。
「おい!なにボサッとしてる、捕まえろ! 良いみやげになる!」
「おう!」
ナマズに飛びついた若者は笑って抱え込んだ。
規定の飯はでるが、腹いっぱいというわけにはいかない。食い出があって淡白な身の美味なナマズはごちそうになるはずだった。
ざばん──
「また、なんか跳ねたぞ! あれ? おい──どこいった?」
ナマズを引き上げた兵が振り返って相棒を探すが、いるはずの男は消えていた。
いくら探しても姿は見当たらない。
かがり火の頼りない輝きに目を凝らすと、水の跡が点々と並び、桟橋から川の中へと消えていた。
「まさか……落ちたのか!?」
夜に桟橋から落ちた兵が、そのまま消えてしまったという話も珍しくなかった。
あわてて叫ぼうとする。
「ァーーーッ!?」
だが、声がでない。首元を抑えると、何かが刺さっていた。
激痛と呼吸ができない恐怖でパニックになり、倒れこむ。
固い木板に倒れこむはずなのに、柔らかい人の手に抱きかかえられた。
今度こそ本当の恐怖に襲われた若者は、目を見開いたものの、そのままクルリと目は裏返る。
人影は、コキッとその首を無造作に折り、静かに地面に横たえたのだった。
ずり…ずり…
死体を引きずり、人影は川に消えた。
ざぷん……
人のいなくなった一角。
かわらず轟々と川の流れる音だけが場に満ちる。
すこし経ったあと、つぷり、と水面から人の頭が浮き上がり、桟橋の様子をうかがう。
危険がないとわかると、大胆に手をついた人影は姿を見せた。
まだ少年だ。銀髪をしていて、息は荒く全身を震えさせている。
──そう、おれである。
◆
「なあ、暗殺者だったんだろ? お前は長命で人を百人くらい殺して田舎でほとぼりを冷ましてるんだろ? 対岸から見てたがプロの殺し屋の犯行にしかみえなかったぞ?」
「曇りなき眼でみろ。おれはチンチンも勃たない無垢な子供だ」
「無垢な子供はそんなこと言わない!」
作戦の第一段階はそうして始まった。




