14「悪夢 十四」
◆
メテウスは街道沿いにたたずむ老貴婦人のような目をした沈黙鳥〈デンダー〉を推し量る。
外見から強さはわからない。弱いわけはないが、パっと見の〈位階〉は高くない。前線用の使役魔獣ほどの戦闘力はないと信じたかった。戦場ではよくあるぶっつけ本番だ。
──わからないことばかりだ。おれはブウェイック家のことも、バロート人のことも、ガレアーンという少女のことも、この戦争のこともてんでよくわかっていなかった。死んだはずの自分がなぜここにいるのかもわからないし、一年後の自分がなにをしているかもわからなかった。
だが、いますべきことだけはわかる。
状況が混沌としていればいるほど、一人の人間にとっては現実と戦う以外に生き延びる道がないため、逆に物事が単純化してやりやすくなる。いまあのカラスを倒さなければ自分が死ぬということだけは理解していたのだ。
枯木の根に寝転び、沈黙鳥〈デンダー〉を見下ろす。
彼我の距離はだいたい600レヌテだろうか。街道を行き来する馬車の三倍はあろうかという背丈の沈黙鳥は、活性化したエーテルの塊に反応するという。
本格的に体内のエーテルを熾せば感知されると考えていい。だが、しかたがない。
警報を発する前に殺すことは己の力量では不可能なので、街道から人の消えたタイミングでエーテルを熾した。
急激に戦闘モードに入る方法もないではないが、通常、エーテルを〈熾す〉のには数分の時間がかかるため、背筋を曲げて遮蔽物に隠れる。
──心臓の奥にある、魂の井戸から〈真空〉のようなものを汲み出す感覚。
エーテルは俗に、魂の井戸から汲み上げられる神秘と称される。
心臓と位相を同じくする井戸をのぞき込み、虚心で集中のみを高めた。
やがて対象がなくなる。
井戸を見つめる〈己〉の存在が消え去り、集中力に真空が生まれる。
エーテルの行使の第一段階は、その真空を呼び水として、エーテルを汲み取ることからはじまる。通り道を観ずると、おのずとエーテルは昇り胸に溜まりはじめる。魂の香気のような、気配だけが直感に伝わる。
実際の感覚はない。滲んだばかりの純粋なエーテルは、あまりに神秘そのもので感覚器で感知もできない。しかしエーテルが汲みだされているだろうという経験則で、気配を錯覚する。
いっさいの感覚がないエーテルを用いて、わずかな温感を志向すると、その願いに応じてエーテルは心地よい湯のような温かさを伴った。
身体感覚の付与。
エーテル使いの初歩の初歩。修業してこの段階に進むことができる人間はおよそ半数とされている。だがこの段階を行えるということは、逆に、メテウスにエーテル遣いとしての才能がないことを証明していた。
──おれはしがない傭兵として生きるしか道のなかった凡人だ。人類の終末に活躍した英雄や悪人を間近で見たからこそ、その認識には確信がある。
本物のエーテル遣いは、神秘の領域にあるエーテルを、人間の理解できる領域に貶めることを嫌う。
たとえば、アリの巣を人間が理解してしまえば、それは幾つもの小部屋に湧かれた昆虫の巣でしかない。言語化してしまえば、いくら微細に描写して世界の無垢を保ったつもりでも、人の目に映るものに変換した時点で、可逆性などなくなる。
だがアリの巣が創られる背景には森羅万象そのものがあり、もしもアリの巣をそのままに理解できるなら、森羅万象に通ずる観を得られるだろう。アリの巣はアリを囲む生き物やすべての環境を内包しているからだ。
日常生活では全く問題ないその差異が、奇跡には致命として働く。
奇跡には物理法則と違って再現性がない。
定量的観測が意味をなさない。
別の人間が行えば別の結果が生まれる。
同じ人間が行っても、昨日と違う結果が生まれる。
天気と同じで、表面的に似たような空模様があってもその内実は別の空だ。唯一、同じ人間の精神が全く同じ願いを与えると、エーテルは同じ結果を導きだすと推測されているが、そんなことは机上の空論である。
人間の精神は常に変化しているし、その微細な変化を失えばエーテルを扱う資格──魂──をも失う。
物質界と神秘界の対比は、シンプルな二元論ではなく、それぞれが別の次元に属するものだった。
ゆえに、科学者は錬金術師を〈まじないしの類〉と忌み嫌うし、錬金術師は科学者を〈盲目の画家〉と蔑む。
エーテル遣いの正統は間違いなく物質界に囚われない者たちだ。
──だが、神代から幾万年。人間は神秘を天上から引きずり降ろした。人には理解できぬ神の理を、人の理に貶めて利用する術を発達させてきた。
それが今メテウスが行っている、エーテルに人間の感覚器に反応する性質を与える行為だ。身体感覚の付与と呼ばれる。
なお天才的なエーテル遣いは例外なく全否定する方法なので、おそらく非効率的なのだろうが、人類の九割九分九厘九毛が天才ではないので、ほとんどのエーテル使いたちはちょっと悲しみを覚えながらエーテルをあったくして胸をぽかぽかさせている。
やがて準備が整うと、心臓が痙攣し、鋭く冷たい快感が背骨から会陰を貫いた。
──胸のエーテルの受け皿〈炉心〉から、エーテルがあふれ出した合図だ。
ここまでくると加速度的にエーテルの汲み上げは速まる。
温感を伴ったエーテルを、背骨沿いに丹田と会陰を巡らせ、再度胸に登ってきたところで、体と魂に馴染んだエーテルにさらなる性向を付与する。その繰り返しで楕円のエーテルの通り道が形成され、背骨沿いがスッと通る感覚とともに、重低音の冷たい快感がビリビリと骨を鳴らして頭蓋まで駆け上った。
第二の行程。
──〈魂膜〉を纏う。
エーテルは万象の力であり扱いは難しい。だが自分の身体なら話は別だ。腕に力を込めるのとそう違いはなく、己の肉体をさらに頑強にしたいという、奇跡ですらない身体強化〈魂膜〉が発現し、エーテル遣いにだけみえる光の膜を全身に纏った。
──修行して〈魂膜〉を纏うことができる人間は、およそ五人に一人だ。ここまでくると荒事を覚悟できるなら最低限くいっぱぐれはない。
なお〈魂膜〉を纏うときにひかり輝いてしまうのは無意味であり、あったかぽかぽかタイプのエーテル遣いはなぜか本能的にぴかぴかしてしまうため、天才からみると謎の輝きを纏う凡人たちとして笑い話になっているらしい。悲しい。
悲しみを原動力にメテウスは光量をわずかな輝き程度にまで落とした。
これが最低限の光量であり、輝きをゼロにするためには逆に無駄なエーテルを使ってしまうという謎のジレンマがある。とても悲しい。
準備は整った。
傍らのガレアーンが顎で〈早く行け〉と合図する。
──こうして〈魂膜〉を纏ったエーテル使いの戦闘者を、感知特化の使役魔獣が感知できぬはずもない。
ぎょろりと目を動かした鳥の化け物に睨まれたメテウスは、草原に紛れるようにして疾駆した。




