13「悪夢 十三」
◆
「ウッ、ぐ──」
悪夢に唸る少年を見下ろし、少女は慈悲を与えた。
「さっさと起きなさい!」
「グファッ⁉」
メテウスは衝撃に目覚めた。
焚火がちょうど燃え尽きようとしている、夜中だ。
メテウスを蹴り起こした少女は旅装を整え、夜に原野を歩く準備をしていた。これは普通の旅人にとって狂気の沙汰だが、軍属のエーテル使いならばできて当然の行程でもある。
「行くわよ──ペッ!」
唾を吐かれた。
いちど寝たせいで怒りがぶり返した少女による仕返しだ。髪についた唾をぬぐったメテウスは、ぼんやりと手を眺め、ただ生き残るためだけに活をいれて動き出す。
「最悪の寝覚めすぎる……うぅ、ひどい」
メテウスは五秒遅れで傷ついている雰囲気を醸したけども、ガレアーンはシラーっとしているので騙されていないらしい。
──唾を吐かれたけれど、それだけだ。
メテウスの内心は楽天的だった。現状は悪いことばかりではない。雑兵の死にやすい大戦から離れられて、いざとなれば逃げられそうな状況だ。
しかし……本当に未来があるのだろうか?破滅するような気がしてならないメテウスは、自分の希望を疑っている。
「ほら、暗視の術式をかけてやるから、後ろについてきなさい。何してるの?」
メテウスは傷ついたふりをしていたらなぜか本当に悲しい気持ちになったので、ご主人様に叱られた小型犬みたいな瞳をしてガレアーンを見つめた。
「うっ。なぜそんな悲しそうな眼をしているの……?
憂さ晴らしをしたのは悪かったわよ。ああ、反射的に謝っちゃった……。なんなの、こいつ……」
ガレアーンは少年を観察する。
昨日は性質の悪い孤狼児そのものだった。
今日は、なぜか無垢な小動物みたいな瞳をしている。
(もしかして気分がランダムで変わってる……?)という疑念を抱きつつ、少女は初陣に向けて歩き出した。
◆
夜通し歩き、やがて大河にぶつかったところで朝を迎えた。毒兎の焼肉の残りを口に含みつつ、なんか恰好つけて川を眺めるガレアーンに声をかける。
「これ、ドルツカ川ですよね?もう完全にレナツァイト家の領地の中でしょう。なにをするんですか?」
砂色の髪をたなびかせ、両手を腰にあてたガレアーンは面倒そうに振り向いた。
「黙ってて」
メテウスは黙った。真似をして腰に両手をあてる。
しばらく二人で格好良く川面を眺めた後、無言で上流へ向かう。
ぽつぽつと農民や漁民を見かけるようになったが、すれ違っても挨拶すらない。戦時ということで余所者が増え、警戒心が高まっているのだろう。
大河を上る船と下る船が綺麗に左右に分かれて通行しているが、対岸が霞むような大河にしては船が一人か二人の乗るものばかりだ。
「なんか船、小さくない……?」
「河口でブウェイック家とレナツァイト家の軍船がにらみ合ってるはずだわ。レナツァイト家は水運業で栄えてるから、うちも無理をして船を出している。
地縁の船なんてもう徴発されたあとだろうし、大きな商船は軍船を護衛にして固まって動くだろうし。戦士が一人いたら船一つ沈められるしね、しかたがない」
……イナゴより有害だな、バロート貴族ども……。
流通をつかさどる商船は保護され、徴発船も貸与金を支払っていて返却するとのことだが、しょせん蛮族である。(手下を乗せるのにちょうどいい船だぜ!)となったら、ノリでそのまま戦士の故郷まで乗っていかれそうだ。女のケツが揺れる光景より自然に想像できる。
メテウスは大河に流れる木の葉のような小舟に我が身を思って悲しい気持ちになった。
このドルツカ川が行き着き先は、ベルレーシ海という楕円形の内海である。
汽水は滋養に富み、養える人口が多く、交易に向いていた。必然としてバロート民族はベルレーシ海を母なる海と呼ぶ。
ベルレーシ海とピレー山脈の間に挟まれた土地を一般的にバロート地方と呼ぶが、勢力圏から遠く離れたベルレーシ海の南沿岸にもバロート人の港や土地があったりする。軍事に魂まで捧げてそうなバロート人と好んで戦を起こしたい他民族はいない。なんなら飛び地の他民族の都市も平気で支配して税をとっている。素人考えでは一瞬で反乱されそうで、どうやって支配が行き届いているのか、メテウスには見当もつかない。
穀物すら満足に育たない呪われたバロート地方を捨てて移住すればいいというのはメテウスのような余所者の意見だ。
価値観の底にある前提が違う。
豊かな土地だろうと、バロートから離れた土地は戦神のいない土地であり、バロート人にとっては名誉ある戦死をしても神に見守られていない感じがして縁起が悪いのだとか。
メテウスは正直、非合理的な未開の蛮族など早く滅んでほしいと考えている。
◆
鋳造品のダンビラをおびた兵隊がぽつぽつ歩くようになったところで、ガレアーンは陰行に切り替えた。
徴兵された兵士ならばまだいいが、バロート戦士は例外なくエーテル使いであり、戦時では密偵を常に探している。ガレアーンたちの〈戦に出てきた平民です〉という旅装が通用する保証はない。
大河へとせり出した大木の根元に隠れ、手の甲でひさしを作って、基地を眺めている。
二つの川が合流する中州に橋をかけた水上要塞は、レナツァイト家が戦のために兵糧を集めているとロワットラから説明があった。水運業に長けているレナツァイト家らしい要塞である。
「作戦はわかってる?」
「いえ。敵地に兵器を運ぶとは聞きましたが……細かいところはわかっていません」
隣に座る、銀髪の少年を横目で見る。少年の目は澱みすぎてヘドロの纏う油膜じみた光さえ放っていた。ギラギラ光る盗人じみた目つき。汚い。
明日この少年が担う役目からして、ほぼ確実に死ぬと考えていたのだが──生き残るかもしれない、こいつ。
「明日、レナツァイト家との決戦がある。私たちは兵隊が出払った隙に、あの基地に保管されている呪輪兵器を破壊する役目を負った。神族製の兵器なんてぎりぎりまで使いたいものではないだろうけれど、劣勢になれば使うかもしれない……否、使うとの情報が入ってるの。味方を救う役目、誉れでしょ?」
「ほまっ……れ……?」
……馬鹿にしているのか?
露骨に阿呆面になった少年をぶん殴りたくなったが抑える。これでも少年を買っているのだ。少なくとも自分に殴られて怯えない子供は少ない。
戦士になりたいと言う一族の青年を訓練に連れて行ったことがある。二十歳近くの格好良いお兄さんで、ひそかに憧れていたので、ガレアーンははりきって勇ましいところを見せようとした。
敵地の村を襲う実戦訓練だ。
青年はハヴォック家一門衆だというのに、足が震えて動かなくなり、動かないと死ぬぞ!と殴り飛ばしたら怖気づいて背を向け、村人の放った矢で死んでしまった。
戦場でものを考えることはとても難しく、珍しいことではない。
どのような生まれ育ちであろうとも戦に適性のない人間は多い。人と平和に仲良くやっていけない人間が一定数いるのと同じで、これはもう生まれ持った適性である。
一方、少年の澱んだ目をみると、こいつは足が竦まないだろうな、と感じる。
下民のくせに生意気すぎるし性根は腐っているが、戦場で生き残ってきた孤狼児だけあって、虫じみた生命力があり場慣れしている。他人の飯に唾をいれるか、普通?
だが反抗的な態度も、無理やり徴発したという経緯を考えれば当然の態度でもあり、腹も立たない。
ガレアーンは表向きの態度と違って、内心ではメテウスの獣じみた人間性を気に入っている。平時では犯罪者にしかならなくとも、戦場では役立つ素質だ。
……使い捨ての道具にしては、上出来じゃない?
ガレアーンは予定を一つ加えて試験することに決めた。
◆
敵軍の集積基地から徒歩で離れて数時間、小高い丘の上でガレアーンは囁いた。
「向こうの街道に何がいるか、みえる?」
「あれは……カラス、の使役魔獣か?」
巨大な一つ足のカラスが街道沿いに立っていた。
家屋よりも巨大なカラスはどうみても尋常の生命体ではなかった。
目がサファイアのように真っ青で、分厚い羽は幾重にも大げさに身を覆っている。
都市部で死体が放置されると集ってつつくカラスは、様々な文化で魂を運ぶ生き物とされており、カラス系の魔獣はそういった認識もあいまって使役されることがよくある。
ガレアーンは首を振る。
「黒いけどカラスの魔獣じゃない。沈黙鳥、監視用の使役魔獣よ。
一匹の沈黙鳥は数匹の沈黙鳥と繋がって、監視線をつくって、強いエーテルを見つけると使役者に伝える。レナツァイト家の監視網はだいたいあれね」
──軍事用の使役魔獣か。上品な老婦人にも似た人間的な垂れ眼をしていて、通行人を機械的に注視している。
「こわすぎ……」
「かわいい……。あれ、値が張るのよね。製法はユガ家の秘伝だから、数に限りがあるのが弱点だわ。ほら、やってきなさい」
「???? やる?」
──なにをやるの???小便か?
メテウスは素で困惑した。
ふふんと鼻を鳴らした少女は得意げに説明を行う。
「もちろん、殺すわ。
沈黙鳥が重宝されているのは、広範囲を監視できるエーテル感知能力なの。
直線状に繋がった沈黙鳥がいると、エーテル使いの部隊や兵器は確実に察知されるわ。あの大きな目の神秘視で敵をあぶりだしてくる。明日、呪輪兵器を持っていく私たちには邪魔よね?」
「……ガチモンの軍用魔獣っすね……めちゃくちゃ高そうっすね……そりゃ邪魔でしょ」
……バロート人、おそるべし。
下っ端の傭兵とはあまり縁のない、組織的に運用される軍用魔獣はメテウスにはただ恐ろしいものとしかわからない。軍用魔獣の運用コストは軍艦の建造費用に例えられることもある国家資産だ。間違っても辺境の蛮族がくだらない戦争にポンポン活用していていいものではない。
「もともとの予定では、おまえは名誉ある役目を背負い……一人で魂を火の玉として沈黙鳥の監視網に突っ込む予定だった。そのあいだに私が対抗兵器を持ち運めば作戦成功というわけ。名付けて火の玉作戦ね!」
尻尾に火をつけた牛をけしかける作戦。
メテウスが任されたのは、その牛役だった。
──やはり殺される予定だったのか……!このクソガキ……!
内心の激怒を慎重に顔から消し去り、メテウスはいたいけな少年の瞳で問いかける。
「それは……おれが爆散するのでは?」
少女はいかにも大儀そうに頷いた。
メテウスは名誉ある役目とやらの実態を目の当たりにし、ショックで声が詰まった。そして非人道的な軍事作戦で爆散するはずの子供に偉そうにしていたガレアーンにドン引きした。
「でも、気が変った。おまえ、沈黙鳥を倒しなさいよ。目標からすこし離れた沈黙鳥を何体か倒しておけば、警戒網に穴ができて、敵は必ず兵隊をこちらに回す。襲撃がやりやすくなるというわけ」
メテウスは漬物石を横にかたずけるようなしぐさで感情を横に置き、考え込む。
いくつか疑問が生まれた。
「……どうして気が変わったんですか? どうせ洗脳か奴隷化の星輪具でおれを使いつぶすつもりだったんだろ? ええ?」
「昨日からずっとおまえを観察していた……。
私が襲い掛かっても対応できるように警戒してエーテルを熾していたでしょう?
単なる孤狼児じゃない……なら計画を変更して、目標まで連れて行ったほうが作戦の成功率があげるわ。
私は限られた人員でうまくやれるかどうか試されているの。生き延びる可能性が高くなるんだから、文句はないでしょ?」
白砂色の髪をかき上げ、ガレアーンは少年を見つめた。
バロート人らしい色素の薄い肌に、異国の血が混じった暗い緑の瞳。ヘドロのような負の感情が宿っている。
この年でこんな目をした子供、戦場にしかいない。
愛玩犬にはならない。
牧羊犬としても使えない。
だが、闘犬としては使い道がある。
ハヴォック家は戦士を束ねる貴族だ。ガレアーンは己の資質が問われていると知っていた。
従順でないものを従え、使いこなすからこそ、ハヴォック家は戦士たちの頂に君臨しているのだから……。




