11「悪夢 十一」
◆
夜になった。
「ガレアーン様。焼けましたよ」
「ん……」
焚火が夜の臓器林をオレンジに照らし、伸びた影が躍っている。
ガレアーンが焼けた肉をひっつかむのをみて嘆息しつつ、メテウスは調理に戻った。
ショッキングピンクの毛皮をした兎の死体を丁寧にさばく。毒兎〈タビーヒ〉の皮剥ぎは面倒そのものだ。毒腺と毒袋を切り裂いてはならず、大雑把にできない。
肌寒いなか汗をかき、血まみれの手をぬぐい、メテウスはこっそりガレアーンを盗み見た。
もきゅもきゅ頬をいっぱいにして、焼けた肉を食っていた。ギリと奥歯をかみしめる。リスみてぇなアホヅラしやがって……。自分がさばいた肉なのに独り占めだ。
食い出のない前足は放置されているので、それを引き寄せ、あるかわからない肉をメテウスは前歯で削り取った。
さもしい。
うまいが腹は満ちない。鶏の肋でも食べている気分。
どうしても肉への未練がある。
なんせメテウスが自分で食うと思って塩加減と焼き加減をみた肉なのだ。食い物を奪われるということの屈辱が本能に刻まれている。メテウスはまたしてもガレアーンを盗み見る。
……真ん丸に頬をふくらまし、ほっぺた落ちそうな顔をしている。
まるでそのへんの年頃の少女みたいな顔をして、とても幸せそうだ。
──この女。「捌くのなら私のほうがうまいわ」とか言い出し、早々に失敗して一匹ダメにしてしまったくせをして、なぜ当たり前の顔で……おっと。睨み返された。
「……なに?分けてあげないよ?意地汚い……そういう目をしてる!」
やたら目つきをディスられるので目頭を揉みつつ、メテウスは目を逸らした。すっかり牙を抜かれている(文字通り殴られて犬歯が吹っ飛んだあとだ)。
黙って焚火の上の鍋に近寄り、スープに肉を投入していく。
惜しむ必要はない。
毒兎〈タビーヒ〉は林にたくさんの穴倉をつくって繁栄を謳歌している。
強い毒を備えたせいだろうか、動物的な警戒心を失ったこの愛らしい魔獣は、人間が近寄るとつぶらな瞳で「もきゅ?」と鳴いて小首をかしげるので、棍棒でぶん殴ればいくらでも肉が取れた。
なお、ひとたびスイッチが入るとつぶらな瞳からネオングリーンの液体を滲みだし、全身の毒腺から毒を噴き出しながら襲い掛かってくるので命懸けだ。初撃で倒さないと一般人は毒殺される。
魔獣というものは人肉を好むうえ、エーテルで浄化しなければ食えないので普通の家畜にはできないが、狩りの獲物としては上等な部類である。尋常の動物を一方的に狩ることができるため、痩せている魔獣はいないもので食い出もあった。
「肉に飽きてきた。孤狼児、スープはまだ?」
「もうすぐできます。かまわずガレアーン様はおくつろぎください。ごゆるりと……」
「ん……」
寝ぼけ眼のガレアーンが、鼻歌を歌いながらナイフを整備しはじめたのをみて、メテウスはほくそえんだ。
──油断しやがって。おれは昔から報仇雪恨を忘れたことはない。恩を返すかどうかは気分次第だが、恨みだけは一生忘れたためしがないんだ……。
「ペッ!」
メテウスはこっそり口内の唾を集め、ペチャッとスープに吐き出した。
陰湿な嫌がらせである。
自分に害はなく他人にだけ害のある心の狭い復讐である。このような行いをする者はいつか報いを受けるだろう。
メテウスは自分の唾の入ったスープを飲む小娘を想像し、微笑みを浮かべた。
「なにしてるの?」
──耳元で。声が。
メテウスが口元を歪めたままそっと背後を見やると、ガレアーンが至近距離にいた。無表情で顔を見つめている。極度の緊張で鋭敏になった嗅覚が、甘いような若い女の体臭を嗅ぎ取り、鼻頭がぴくぴく動く。
……そりゃ、毒を盛られるかもしれないのに油断なんてしないよな。クソ……
メテウスはワンチャンに賭けた。
「……実はこうすると肉が柔らかくなるんです。
滋養強壮にもいいし、隠し味にもなプゲラァ!」
念入りに殴られた。
◆
「おまえ、根性が腐りきっている……!家でこんな無礼な下仕えがいたら、切り捨てるだけなのよ⁉ わかってるの⁉」
「ふぁい」
憤怒の化身となったガレアーンの折檻は長く続いた。
これから任務なのだからバレても軽い罰ですむだろう……というメテウスの小賢しい計算は裏切られ、首元を真っ赤にしたガレアーンに顔面をグーで何度も殴られた。骨が折れない程度の力加減だが、耐えられる痛みでもない。
「フゥ、フゥ……! ありがたく思いなさい!このガルゥジン・レアには理性があります!任務で使うから生かしてやってるの!それにしても、なんて性根をしている……!この、この!」
「うっ、うっ……! おなかはやめて……!」
「わがままいわないの! ほら、おなかを差し出しなさい!」
メテウスはうずくまって腹を守った。内臓破裂はシンプルに死にかねない。
顔は限界まで内出血で膨らみ、筋状となった目から涙をこぼしている。
悪因悪果の体現である。十五歳かそこらの小娘にぼこぼこにされて心底みじめな気持ちで、五分前の己の行いを呪った。
「いい⁉おまえは食事抜き!私は食べるわ!」
激発しすぎてうっすら汗の浮いたガレアーンは、外套の前をゆるめて焚火の前に陣取った。
メテウスの唾が入ったスープを嫌そうに眺めたあと、椀に掬ってすすりはじめる。
メテウスはいまさら卑劣な気がして罪悪感に駆られたが、どう考えても死の任務につかされているので罪悪感は錯覚だと考え直し、むしろ小便をいれなかった自分は善良なのでは?という謎の自己弁護がはじまり、少女への怒りが湧いてきた。どのみちこのまま無言だと気まずいので、声をあげる。
「ふぁの、ふくりなおひまふんで (あの、作り直しますんで……)」
「時間がもったいない。戦士を舐めないで!訓練では馬の血もおしっこも飲んだんだから!こんなことで臆すると思ったの?おまえの愚かさは……ほんと……ほんとうに愚かもの! 愚かもの!」
「ふぁ……」
やがて怒りが冷めて肌寒くなったガレアーンは、外套をかぶって木の幹に背を預け、眠り始めた。
訓練を受けた人間だ。眠りながら警戒ができるのだろう。
メテウスは心底みじめな気持ちになりながら、エーテルを廻して自己治癒を継続する。
もちろん本職の治癒師のように、戦闘中に傷をいやせるほどではないが、傭兵のたしなみとして骨折までなら一夜もあれば治癒ができる。内出血あんんてコツを掴めば案外すぐに治るのだ。
腫れの引き始めた顔を撫でつつ、抜けた犬歯の跡を舌でつつき、つぶやいた。
「畜生……次は口で言えないドギツイことをしてやる」
「聞こえてるわよ」
「間違えた。ありがてぇ……生かされたようなもんだ。ガレアーン様の恩に報いなくちゃな」
「それでよし」
──このメスガキ。
メテウスは腹を空かしたまま眠りについた。
夜警をするそぶりもない少年を薄目でみて、ガレアーンは〈こいつ……大外れじゃない?〉と内心でごちる。そうして夜は更けていった。




