第5話 鉄の女は泥水をすする
「……パンは?」
「これだけです、団長」
掌に乗せられたのは
石みたいに乾いた欠片。
女騎士ピューリは
それを見て笑った。
「いいね。歯が鍛えられる」
「冗談言ってる場合ですか……」
若い兵士が顔を伏せる。
腹が鳴る音が砦の石壁に反響している。
風が吹き込む。
血と湿った獣臭が混じる。
遠くで角笛。
「魔物の群れ、接近!」
「数は?」
「三十……いや、もっとです!」
ピューリは
欠片を口に放り込む。
ぱきん、と歯が鳴る。
喉に刺さる粉。
乾ききった舌。
「水」
差し出された木椀。
中身は濁った泥水。
鉄の匂いがする。
彼女はそれを飲み干した。
「よし。行こう」
「団長、待ってください! 援軍が??」
「来ない」
即答だった。
沈黙。
「……どうして、そんなに平気なんですか」
誰かが呟く。
「勇者様が敗れたのは……あんたがついていながら……」
小さな声。
でも砦は狭い。
全部、聞こえる。
ピューリは
ゆっくり兜を被る。
「文句があるなら、あとで聞く」
剣を抜く音。
「生きてたらね」
門を蹴り開ける。
腐臭が押し寄せる。
牙。
爪。
濁った唾液。
「来い」
彼女は一人で突っ込んだ。
骨が砕ける音。
肉が裂ける感触。
温い血が頬に飛ぶ。
視界の端で
何かが光る。
遅れた。
ざくり。
顔を横に裂かれる。
熱い。
焼ける。
片目に血が流れ込む。
「……くそ」
それでも剣は止まらない。
何体斬ったか分からない。
最後は膝で魔物の喉を踏み潰していた。
静寂。
息だけが白くなる。
砦に戻ると
兵士たちが目を逸らす。
「団長……顔が……」
誰も近づかない。
鏡代わりの水面。
裂けた頬。
もう戻らない線。
ピューリは指でなぞる。
ぬるい血。
「……はは」
喉が震える。
ふと、浮かぶ顔。
あの男。
『秘伝なんだ。顔の傷には効く』
そう言って
小瓶を差し出してきた。
陽だまりの匂い。
薬草の甘い苦味。
「こんなとき……お前なら……」
涙が落ちる。
泥に混ざる。
誰にも見せないように
兜を深く被った。
その頃。
「新領主様だ!」
歓声が波になる。
旗がはためく。
パンの焼ける匂い。
果物の甘い香り。
石畳は陽に温められている。
ノーボディーは
ゆっくり馬を進める。
「すげえな……」
隣でレイが笑う。
「市場、倍に広がってるぞ」
「物流が通ったからな」
子供が走ってくる。
「領主さまー!」
小さな手が触れる。
体温が伝わる。
カヤが菓子をばら撒く。
「はいはい、幸福税だよー!」
笑い声が弾ける。
その時。
視界の端。
汚れた外套。
煤けた顔。
路地の奥で
何かを拾っている男。
金貨の代わりに
泥をすするような仕草。
一瞬、目が合った。
……気のせいか。
ノーボディーは
首を傾げる。
「どうした?」
レイが覗き込む。
「いや。なんでもない」
馬を進める。
陽光が強くなる。
後ろで
誰かが咳き込む音がした気がするが
もう聞こえない。




