第10話 挙兵、そして王都炎上
「全軍、進め」
ノーボディーの一声で
空気が変わる。
朝靄の向こう。
旗が一斉に立ち上がる。
赤。
青。
銀。
エルフの緑。
ドワーフの黒鉄。
風がそれを孕ませる。
馬が地面を蹴る。
車輪が回る。
鎧が鳴る。
戦が始まる音だった。
「本当に行くんだな」
隣でレイが言う。
腹に手を当てたまま。
でも目は強い。
「行く」
ノーボディーは前を見る。
王都へ続く街道。
その途中に連なる砦。
腐った王家の牙城。
「止めないのか」
「止めたところで、どうせ行く顔をしてる」
「そうか」
「そうだ」
レイはふっと笑う。
「なら勝ってこい。おまえは負ける顔じゃない」
「縁起でもないな」
「私は剣士だぞ。勝つ奴の背中くらい見分ける」
カヤが横から割って入る。
「はいはい、朝からいちゃいちゃしなーい!」
「お前な」
「でも、いいなあ。私も出陣の見送りしたい年頃なんだけど」
「十分してるだろ」
カヤはにっと笑って
ノーボディーの手に小瓶を押しつける。
薬草の匂い。
少し甘い。
少し苦い。
「秘伝の強運薬」
「そんな名前だったか?」
「今つけた!」
「効くのか?」
「お兄ちゃんが持つと効く」
レイが呆れたように息を吐く。
「ずるい言い方だな」
「だってほんとだもん」
カヤは少しだけ真顔になる。
「……生きて帰ってきてね」
その声が
やけに静かで。
ノーボディーは
小瓶を握りしめた。
「帰る」
短く言う。
それで十分だった。
軍は動き出す。
先鋒は騎兵。
側面にエルフの弓兵。
後列にドワーフの重装。
補給車がその後ろを固める。
乾いた土の匂い。
朝露を踏み潰す感触。
張りつめた兵たちの息。
ノーボディーは馬上で地図を開く。
「第一砦は正面から見せるだけでいい」
副官が目を瞬く。
「落とさないのですか?」
「落とす」
「では」
「正面からは落とさない」
エルフの隊長が口元を吊り上げる。
「森道か」
「そうだ」
ノーボディーは指を滑らせる。
砦の裏手。
古い水路。
放棄された見張り道。
「王国軍は補給線の管理が雑だ。裏は空いてる」
ドワーフの将が鼻を鳴らす。
「石組みも甘かったな。昨日見たが、北壁の下地が古い」
「崩せるか」
「静かには無理だ」
「派手でいい」
ノーボディーは地図を閉じる。
「正面で火を見せる。横で風を流す。裏から山を崩す」
副官が呟く。
「……風林火山」
異国の言葉だ
「速く、静かで、重く、燃やす」
ノーボディーの目は冷たい。
「無駄な流血は避ける。だが、腐った門は蹴り破る」
第一砦。
昼前。
王国兵が見下ろして笑う。
「辺境の寄せ集めが!」
「新領主だか何だか知らねえが、ここは王国軍の??」
その瞬間。
正門前に
火矢が降る。
油を含ませた藁束が
一気に燃え上がる。
熱風。
煙。
焦げた木の臭い。
「火だ!」
「消せ、消せ!」
兵が正面へ殺到する。
その時にはもう
裏が破れていた。
ごごん、と鈍い音。
北壁が沈む。
石が落ちる。
悲鳴が上がる。
土煙が舞う。
「後ろだと!?」
「侵入された!」
エルフ兵が
音もなく壁を越える。
喉元に矢。
手首に短剣。
王国兵が次々倒れる。
そこへドワーフが突入する。
「道を開けろぉ!」
鉄槌が門扉を叩く。
蝶番が吹き飛ぶ。
最後にノーボディーの騎兵が
炎の間を駆け抜けた。
「降伏する者は武器を捨てろ!」
声が砦に響く。
「生きたいなら剣を下ろせ!」
王国兵たちが
次々と槍を落とす。
早い。
あまりにも早い。
副官が呆然とする。
「……半日もかかっていない」
「一つ目だからな」
ノーボディーは馬を降りる。
燃えた門に触れる。
まだ熱い。
「次へ行く」
その日だけで
三つの砦が落ちた。
夕方。
空は赤い。
煙が棚引く。
各地から伝令が走り込む。
「西の同盟軍、進軍開始!」
「聖王国の残存兵、合流!」
「南部街道、住民が門を開放しました!」
ノーボディーは
その報告を静かに聞く。
王国はもう
内部から腐っている。
税で締め上げ。
飢えで支配し。
恐怖で黙らせた。
その綻びに
今、全部の風が吹き込んでいる。
「王都までの最短路は?」
「河岸道です。ただし敵の本隊が??」
「本隊は来ない」
「なぜそう言い切れるのです?」
「動けないからだ」
ノーボディーは答える。
「連中は命令を待つ軍だ。俺たちは考えて動く軍だ」
レイがいたら
きっと笑うだろう。
それでいい。
今はそういう時間だ。
「夜襲をかける」
場がざわつく。
「夜ですか?」
「王都は自分たちが攻められると思っていない」
「ですが、補給が??」
「現地で受ける」
「住民が協力すると?」
「する」
「そこまで信じるんですか」
ノーボディーは
少しだけ笑う。
「信じるんじゃない。そうなるようにしてきた」
市場を開き。
道を繋ぎ。
飢えた村にパンを回した。
それは戦のためじゃない。
だが今
全部が力になる。
夜。
王都外縁。
高い城壁。
閉じた門。
見張りの灯り。
だが下町は静かじゃない。
窓の隙間から
人の目が覗く。
息を潜める気配。
飢えた都。
怯えた都。
もう王家のために死にたくない都。
ノーボディーは
馬上から城壁を見上げた。
「始めるぞ」
「合図は?」
「鐘だ」
「鐘?」
「王都の鐘を、王都のために鳴らす」
その直後。
ごん、と重い音。
一度。
二度。
三度。
城内から鐘が鳴る。
門番が叫ぶ。
「誰だ! 誰が鳴らした!」
混乱。
その隙に
下町側の小門が内から開く。
「今だ!」
騎兵が雪崩れ込む。
エルフの矢が灯火を落とす。
ドワーフが杭を砕く。
聖王国の兵が広場を制圧する。
怒号。
悲鳴。
駆ける蹄。
王都の夜が
一気に裏返る。
「なんだ、なんだ!」
「敵襲だ!」
「どこから入った!?」
「下町だ! 下町からだ!」
石畳を走りながら
ノーボディーは叫ぶ。
「王家の兵に告ぐ!」
その声は
夜気を裂いて広がる。
「民を斬る者は許さない! だが武器を捨てる者は生かす!」
窓が開く。
誰かが泣いている。
誰かが祈っている。
誰かが
小さく言う。
「……来た」
「本当に来た」
「終わるのか」
いや。
終わるんじゃない。
始まるんだ。
王宮前広場。
ついに王国軍の近衛が立ちはだかる。
金の鎧。
重装の槍列。
最後の意地。
「止まれ!」
近衛隊長が吠える。
「ここから先は王の??」
言い終わる前に
ノーボディーが前へ出る。
馬を降りる。
剣を抜く。
夜の火を映した刃。
「王?」
その声は
低く、でもよく通る。
「民を飢えさせ、兵を捨て、国を食い潰したあれがか」
近衛隊がざわつく。
「黙れ!」
「黙るのはお前たちだ」
一歩。
また一歩。
「見ろ」
ノーボディーは
背後を示す。
そこには
人間も、エルフも、ドワーフも、聖王国の兵もいる。
そして
王都の民がいる。
怯えながら。
でも、確かに見ている。
「お前たちが守るべきものは何だ」
近衛の槍先が揺れる。
「玉座か」
一人、また一人と
顔色が変わる。
「腐った王家か」
槍が下がる。
「それとも、この国か」
沈黙。
長い沈黙。
やがて。
からん、と音がした。
近衛兵の一人が
槍を落とす。
次に二人。
三人。
隊長が叫ぶ。
「貴様ら!」
だがもう遅い。
雪崩みたいに
武器が石畳へ転がる。
ノーボディーは
剣を下ろす。
「門を開けろ」
誰も逆らわない。
王宮の大扉が
重く、重く開いていく。
その夜。
王都は燃えた。
王宮の一角。
軍需庫。
腐敗を積み上げた倉。
炎が走る。
赤い。
熱い。
空まで染める。
だが不思議と
恐怖の色だけじゃなかった。
長く閉ざされていた夜が
ようやく明ける前の火みたいだった。
広場に立つノーボディーを
民衆が見上げる。
兵たちが見上げる。
炎を背にしたその姿は
もうただの追放者じゃない。
カリスマだ。
時代を押し開ける者の
顔をしている。
誰かが叫ぶ。
「新しい王を!」
別の誰かが続く。
「民のための王を!」
歓声が大きくなる。
波になる。
揺れる。
夜そのものを動かすみたいに。
ノーボディーは
炎の向こうを見つめる。
この先に
まだ終わっていない地獄がある。
閉ざされた扉の向こうで
今も過去に縛られている連中がいる。
でも。
もう戻らない。
戻る気もない。
彼は
静かに剣を掲げる。
炎がその刃を赤く染める。
そして新しい時代の最初の夜が
王都の空で、激しく燃え上がっていく。




