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バレンタイン

 昼休みの教室の中はいつもよりざわついている。

 教室のイスに腰かけて机に肘を突き組んだ手の甲にアゴを乗せて、ぼんやりとクラスのみんなの様子を眺めていた。

 期待して待ってるヤツ、タイミングを計ってる子。そういうヤツらは生き生きしてる。

 うちの学校は、バレンタインチョコの持ち込みは建前上、基本的に禁止だ。

 だけど、田舎ゆえの校区の広さで、学校が終わって一旦家に帰ってから、相手の家までチョコを渡しに行くのが困難になってきている。

 いまの学校の校区は、山間部で廃校になった学校のエリアと合わせて、以前の4倍近い広さだ。

 何年か前には、遠方まで自転車でチョコを届けに行った子が、暗くなって用水路に落ちて大ケガをする事故もあった。

 なので、いまは本命チョコだけは黙認されているという状況だ。ただ、それは太古の昔のように――オレが小学校に入るより、いや、生まれるよりもずっと前だ――義理チョコに紛れて、素知らぬ振りでこっそり本命の人にチョコを渡すという裏技は出来なくなっていた。

 きょう、学校でチョコを渡すのは、紛れもない本命宣言を兼ねているんだ。

 というわけで、きょうのチョコのやり取りは、ほとんどが予定調和。もうすでに付き合ってる奴らが熱々ぶりを見せつけるためにチョコを用意しているんだ。

 そういう連中は、昼休みにチョコを届ける。みんながいる場所で渡さないと手渡しシーンを見せ付けることが出来ないからだ。なので、昼休み組はある意味、人生の勝ち組と言えるのかもしれない。

 一方、ホントに告白目的でチョコを渡す子や隠れて付き合ってる連中は、放課後の帰り際を狙う。

 教室、廊下、校舎の出入口、花時計、校庭、築山、校門等々で、獲物を狙う禿鷹のようにタイミングを見計らって突撃していく。

 下校時間が同じで家が近所なら帰り道で渡すこともできるが、学年が違ったり帰る方向が違ったりしたら、学校から出る前に渡すしかない。

 小学生の恋愛事情も大変だ。

 その点、オレはいままで、学校でチョコが貰えるか心配したことはない。

 余裕だぜ。

 学校から帰ると真っ先にフッカがチョコを持って来てくれる。ついでに親父への義理チョコも一緒だけど、オレのは手作り――明治の板チョコを融かして型で固めただけ――チョコだ。

 なので、ことしも安心だ。

 いや、ことしはいままでみたいにそんな半義理チョコではない。ラブチョコだ。いつものような動物の型じゃなくてハート型かもしれない。

 しかも、今朝「きょうは学校でみんなの前で渡す!」と拳を握り締めていた。ひょっとしたらもうすぐここにチョコを抱えてやって来るかもしれない。

 チョコだけじゃないぞ。本命なんだ。

「けーくん、チョコと一緒にわたしもどーぞ!」なんてこともありうる。

 あれから頻繁にキスはしてるけど、さすがにそっから先はなぁ。

 どう誘えばいいかわからん……。

 でも、きょうはバレンタインデーだもんなあ。

「けーくん、エッチしよ!」なんて、案外フッカって肉食系野獣系が入ってるから、迫ってくるかもなぁ。

 それで、チョコを受け取ったら、すぐさま〝これ〟でカウンターパンチだ。

 ポケットの中の、カードを取り出す。情熱の赤いカードはフッカのリクエストだ。

「バレンタインにチョコあげるから、カードちょうだい!」って!

 アイツの方からカード要求してきたのは初めてだ。何か知らないけど、もう一枚カードが欲しいらしい。

 メッセージに『愛してる』なんて言葉を書いちまったぜ。我ながら見るのも恥ずかしくて中は確認できない。これに、ウサギのハンカチを添えて渡すんだ。前にキミトで見つけて買っといた『わたしのワンピース』って絵本のキャラクターのやつだ。ホントはアクセサリーとか、もっといいものを渡したいけど、フッカに預けた〝お家のお金〟が戻ってきていない。通帳もだ。まあ、それはおいおい話をするとしよう。ハンカチだって色もいいし可愛いと思う、それにすぐに役に立つし。

 とにかく、きょうはビシッとキメてやる。

「よし!」ポケットにカードをしまって上着の上からぽんぽんと叩いた。

 と、同時に誰かがオレの頭をぽんぽんと叩いた。

 妄想の世界にのめり込んでたせいで気付かなかったのか、目の前に金井が立ってた。

 顔を見なくても、名札を確認しなくても、ちょうど目線の高さ、鎖骨と鳩尾の間を見れば、金井だと分かる。

 その間の発育だけ小学生なのにドラフト1位間違いなしの超高校級なのだ。

「何、ニタニタしてるの?」

「ああ、ちょっとね」

 見上げたら、さもイヤそうに顔をしかめてる。

 オレはどんな顔をしてたんだろう。両手で頬っぺたを叩くように包んでにやつきを押さえた。

 金井が前の席のイスを90度回して腰を下ろす。ピッタリとした白のニットのセーターで、首のところから下に着てるブラウスの丸い襟が覗いてレースの縁飾りのようになってて可愛いけど、横向きに座ると胸の出っ張りがなおさら目を引いて、そこより上に視線が行かない。

 なんにもないように見えるフッカでも生で鑑賞したら十分に堪能できた。触ったら、たいした〝女の子〟だった。いや、あれは不可抗力ってやつだったんだけど。

 もし金井のを生で目にしたら、どんな景観が拝めるんだろう。

 図書室に『日本の絶景100』ていう本があったけど、もし101番目があるとしたら、きっと金井の胸だろう。やっぱ、ふかふかなんだろうなぁ。

「もう、ヘンタイ!」

さすがに視線を感じたらしく、セーターのお腹のところをパタパタさせて、前にゆとりを持たせる。

 こちらは、うまい言い訳を思い付かなかった。

「いいじゃん、別に。服の上からなんだし」

「正直だねぇ……」

 呆れたって風で眉を上げる。

「あんた最近アホになってない?」

 なかなか鋭い指摘だ。でも、思い当たりたくない。

「もともと」

 オレの返事に金井がひとつ溜息をついた。溜息というか、あれは鼻息だな。

「はい、これ」

 右の握りこぶしをオレの机の上にとんと置いて、手を開く。その手を退かすと、机の上にチロルチョコが一個乗っかってた。

「オレ?」鼻の頭に人差し指の先っちょをくっ付けた。

 金井が頷くと、アゴの動きに合わせて胸も上下する。

「どうぞ」手のひらを上に向けて勧めてきた。

「いいのかよ、義理チョコなんて」

 オレは金井に顔を寄せて、回りに聞こえないように音量を一段下げた。

「義理じゃないよ」

 金井はちょっとすました顔で、合わせた手を脚の間に挟んで、ロッキングチェアーに乗ってるみたいに、身体を前後に揺らした。短めのプリーツスカートの裾がちょっと上がって、膝小僧がわずかに覗いてる。

 真冬でも、金井はスカートで過ごす。女の子ならそれが当たり前って思ってるんだ。

「寒くないのかよ」去年だったか、通学路がスケートリンクみたいになったときに、踵に全体重を掛けてロボットみたいに歩きながらそう聞いたんだった。

「女の子でいるにはね、痩せ我慢が必要なの」さらっと言ったのは、足元を注意しながらだったからかも知れないけど、ドキッとして、カッコいいと思った。女子をブスとか可愛いとかの容姿での分別じゃなくてカッコいいと思ったのは金井が初めてだった。

 誰かさんみたいに、ジャージ姿でトレーナーの袖口から中に着てる長袖ヒートテックがだらしなく覗いてるようなのは、女であっても女の子ではないのかも知れない。

 金井にとって、痩せ我慢は、きっと苦痛が伴うことがあってもイヤなことじゃないんだろう。

 プライドとか、自分の存在とか、よく耳にする言葉だけど、意味はよくわかんないけど、きっとそんな感じで、うん、金井はカッコいい。

 オレは机のチョコに目をやって、そっと指を添えた。

 そんな意地でも女の子らしくを貫く金井が、オレに義理じゃないチョコを? 義理じゃないって、それは、つまり本命チョコ? コクられてんのか、オレ? 金井に? チロルチョコ一個で?

 確かに、このきな粉もちのチロルチョコはオレのお気に入りだ。だけど、これで恋が叶うなら、きょう、五百円もするモロゾフのチョコを用意して髪にリボンのついたシュシュ巻き付けて、勝負パンツ穿いて――勝負パンツはオレの妄想だけど、多分当たってる――気合いを入れてる女子が気を失う。

 いや、違う、これはオレ次第、オレの問題だ。オレがOKなら、チロルチョコでもセコイヤチョコでも洗い晒しで右横に二つ小さな穴の空いたパンツでもいいじゃないか。

 金井なら大歓迎だ。この場でハグしてチュウしてやっても……、いいやダメだダメだ、それは先週までのオレだ。

 たとえ、袖口からヒートテックが覗いてても、オレにはフッカだ。身も心もフッカに捧げて、これから一生フッカの尻に敷かれて下僕として生きていくんだ。フッカにならたとえグーで殴られたって、靴で踏まれたって、多少手加減さえしてくれれば構わない。

 ゴメン、金井! オマエの好意を受け入れるわけにはいかない。でも、たわわに実るおっぱいだけでも拝見したい、突っついてみたい気はする。それぐらいなら相手をしてやってもいい。

 いやダメだダメだ! やっぱりダメだ! 冷静に考えてるつもりでも、かなり動転してる。

 チョコを指で摘み上げて金井に差し出した。

「いや、なに? そんな、いきなりは、さ……」

 オレの引きつった笑いに、エア・ロッキングチェアーを止めて冷めた目で見返してきた。

「アホ? これは、義理じゃなくてお悔やみ!」

「お悔やみ?」

 最近身内に不幸はなかった。入院してた婆ちゃんが経過観察とかでしばらく病院暮しすることにはなったけど、いまさら酒とタバコは止めたくないなんて嘆いているらしいけど。

 金井が顔を寄せて、声を低くした。

「わたし、てっきり白井さんって高森くんのこと好きなんだって思ってた」

 ん? 白井さんって、フッカのことだよな?

 そうだよ、その白井さんっていう子は、オレにメロメロなんだ。オレがメロメロなのかも知れないけど、とにかく二人でメロメロ、メロメロし合ってるんだ。

 あのとき、ちゃんと好きって言ってくれたし、あれ以来ずっと『けーくん』と呼んでくれている。鼻水混じりのほんのり塩味のキスも悪くないもんだ。それにだな、何を隠そう、オレとフッカはだな、既に婚姻届に…………。

「スゴかったそうだよぉ。あの子の告白! 花時計前で。いま、もう学校中大騒ぎ!」

 花時計は、山小の恋人達の聖地だ。その前で手を繋ぐと恋が成就するというお手軽な伝説がある場所で、毎年バレンタインデーには調子に乗ったヤツらがチュウまでいって――それ以上のことをしたツワモノはいないみたいだが――職員室に呼び出される事件が発生している。

「コクハク?」

 何だ? 意味がよく分からん。

「なんかね、おんなじクラスの子で、結構イケメンの子」

 こういう話をするときの女子って、すごく楽しそうだ。

「久坂……とかって、か?」恐る恐る思い付く名を挙げてみる。

「ああ、そうそう、久坂内科の子だ」

「そいつが、告白したって?」

「なに聞いてんの? 白井さんが内科にコクったの! お付き合いしてくださいって!」

「……そう……」

 そう……、そう……、そう、そうなんだ……、へぇ、そうか………………。

 えっ? いや、なんで?

 口元が震える。言葉が浮かばん。なんにも出てこない。

「ショックだった?」

 頷いた。

「チョコ期待してたん?」

 頷いた。

「えっ? ひょっとして、高森くん、あの子のこと好きだったん?」

 頷いた。

「じゃあ、さっきの子は?」

 首を振った。

 昼休みすぐに沢木ほのかがチョコを持ってきた。

「やったあ、文香より先に渡した!」とずいぶんはしゃいでいたんだ。でも、あの子のチョコは「しっかりしろ」というオレへの叱咤激励だ。「もたもたしてると取っちゃうぞ」というフッカへのエールだ。本命よりも大きな意味を持つチョコだ。みんなに冷やかされはしたが、そんな軽い想いじゃなかったんだ。

「あ、あのさ……」

 首を振った。

「ゴメン、お悔やみなんて言ってゴメン」オレの手からチロルチョコを掴み取った。

 金井はオレを、妹を彼氏にとられた兄貴に見立てていたんだろう。「かわいそうなお兄ちゃんだね。チョコでも食いな」ってか。

 分かる。

 ずっとお兄ちゃんって呼ばれてたんだからな。滑稽だと思っているか?

 血の繋がらない妹を本気で好きになるなんて、ヤバイ物語だ。

 でも好きだった。全部。鼻水も。婚姻届を書いて、キスもした。

 そうだよ、したじゃないか!

「ああ、でも高森くん、あの子のことちゃんと慰めてあげなよ」

「慰める?」

 なにを? 慰めてほしいのは、オレの方だ。

「あの内科、クラスの他の子と付き合ってるんだって。あの子振られちゃったんだよ」

 金井の噂話ではフッカは泣きながらチョコレートをゴミ箱に投げ捨ててたらしい。

 そんなバカな。いままでのフッカの言葉は、あのめくるめくような逃避行はなんだったんだ。

 そういえば、今朝、吉田商店前で、きらりちゃんがフッカを横目で睨み付けながらオレに笑顔でチョコを渡してきたとき、オレはヘラヘラしながら「ありがとう」なんて言ってたけど、あれが原因か?

 あれは二年の子にまじで返事をするなんて大人気ないと思ったからで、決してフッカを裏切ったわけじゃない。

 近くにいた金井だって本気にしてなかったし、フッカも「モテモテじゃん」なんて笑ってたじゃないか。

 金井が項垂れてるオレの頭をガツンと殴った。

そう、殴った。それもグーでかなりきつく。

 しっかりしろ! ってことなんだろうけど、一瞬意識を失いそうになった。急性硬膜下出血で二、三日後に死んだらコイツのせいだ。

 なにか、いろんな言葉が頭の中をぐるぐる浮かんでは消え浮かんでは消えして、考えがまとまらない。くそっ頭もマジで痛い。

「あの、さっきのチョコ、くれよ」

 何となく、チョコのことを思い出して、金井に手のひらを差し出した。

「いいけど」握ってたチロルチョコをその上に乗っけた。

 ラベルに書いてある細かい文字を眺めながら、封を開けて塊を口の中に放り込んだ。甘い、きな粉のサクサク感がなおさら甘い。

「ちょっとぉ、今食べちゃダメでしょお」

 金井が周りを見回しながら慌ててヒソヒソと忠告を入れるけど、もう三回噛んだあとだ。

「金井はさあ、本命チョコって、渡さないの?」何となく、聞いてみただけ。

「もう渡した」

 そういって、前を向いてまたロッキングチェアーを揺らし始めた。

 誰に? なんて、聞いてもしょうがない。目の前でゆらゆらしてる、巨大なおっぱいを見つめながら、今朝、電信柱の陰でフッカとした、おはようのキスを思い出していた。

 なんか、よく分からない。

 フッカのことも、オレ自身のことも。



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