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二人だけの夜

 お喋りを楽しみながらの料理はとてもおいしく満足のいくものだった。

  中にはなんとも不思議な味付けのものもあったが、それは大人の舌に合わせたものだからだろう。

 しかし、オレはすべてを食べきることはできなかった。絶対的な量が大人仕様なのだから仕方ない。食べ残しがなかったのは大人の三倍食べるフッカのおかげだった。オレの残り物をご機嫌で食べてくれるのはいいのだが、危うくデザートのリンゴのシャーベットまで食われてしまうところだった。

 食事が終わって部屋に戻ると、もう布団が敷かれていた。それを見たら「ホントに泊まるんだ」という思いで胸がドキドキする。

 窓側と入口側で、当然ながらオレたちはどちらの布団で寝るか決めなければならなかった。なんとなく、窓側の方が良さそうな気がするが、ジャンケンで勝った方が好きな方で寝るということで、窓側はあっけなくフッカに取られてしまった。

 早速、フッカは布団の中に入り込んで寝心地を確かめている。

「うわぁ、お兄ちゃん、ふかふか!」

「えっ、ホントか?」

 オレも自分の布団に潜り込む。

「おお、あったけえ!」

 敷布団に体が沈み込む。掛布団は軽くてふわふわで、じんわりと暖かい。

 目を閉じて布団の感触を楽しむ。

 まるでマシュマロだ。家の堅焼き煎餅とはまるっきり違う。

 が、いきなり衝撃とともに掛け布団の重さが百倍になった。

 驚いて目を開けると三センチ前にフッカの顔があった。

「お兄ちゃん、寝ちゃダメだよ!」

 近すぎる! 驚いて声も出ない。

 オレの驚きすぎる表情に安心したのか、体を起こしてオレの腰の上に馬乗りになった。

「起きてたよ、ちゃんと……」

 驚きすぎてせっかくのキスのチャンスを逃してしまったじゃないか。

「まだまだ、お風呂とか、夜のお喋りとか、することがいーっぱいあるんだからね」

 布団で転がってるオレが寝ないようにと腰の上でどんどんと体を揺するのだが、そんなことをしたら起きるのはオレの体の一部分だけ、それこそ寝た子を起こす行為だ。

 布団から上体を起こす。

 フッカの与えてくれている刺激はとても心地よいものだけど、今の状態のオレを悟られてはいけない。それに、この体勢でのフッカの浴衣の裾が気になる。

 が、フッカの浴衣は残念なことに乱れていなかった。膝をちゃんと閉じてのしかかってきている。浴衣を着るとフッカでも少しはしおらしくなるもんなんだ。プロの着付けがしっかりしていることもあるんだろう。

 オレは起き上がった勢いでそのままフッカに抱きついた。はずみで二人して布団に倒れ込む。旅館の布団に負けないぐらいフッカが柔らかかった。

 じゃれつくつもりがあまりに抱き心地がよくて胸元に頬を当てたままフッカの香りを感じていた。クリーニングされた浴衣の洗剤の匂いの奥に一日はしゃいだ汗の香りが息づいている。

 洗練されたオレンジの香りとは違う生々しいほどに女子だ。

「お兄ちゃん、寝てない?」

「起きてます」

 匂いを嗅ぐ鼻息が寝息と思われたみたいだ。

「ほら、もう起きて起きて、ほんとに寝ちゃうよ」たしなめるように後頭部をぽんぽんと叩くミニママが出てきた。まったく、どれだけ寝坊助と思われてるんだ?

「用意して。お風呂行くよ」

 おっ、いよいよ温泉か。ここは、ガッツいた感を出さずにさらっと誘おう。

「部屋のに入る?」

「お風呂場に洗ったタオルとか干してるし、せっかくだから大浴場に行こう」

 足湯に浸かったときのタオルを洗ってくれたのか。多分、オレが寝ている間だろう。

「タオルぐらい気にしなくていいだろ」

「いいから、大きいお風呂行こうよ。眺めのいい露天風呂があるって書いてあったよ」

 眺めがいいって言っても、もう外は真っ暗だ。

 だけど、あまりしつこく部屋の風呂を勧めるのも、いかにも一緒に入りたいとせがんでるように思われてしまう。残念だけど、やっぱり二人で入るのは抵抗があるのかもしれないし……。

「ああ、まあいいけど……」

 温泉地の豪華旅館だ。きっとお風呂も自慢の宿だろう。

「じゃあ、行くか」

 しがみついていたフッカを解放して起き上がる。

「バスタオルって、部屋のを持ってくんだよな」

リュックを開けて着替えの下着を取り出しながら背中のフッカに声を掛ける。

「あのね、バスタオルも手拭いも大浴場に置いてありますって」

 さすが温泉地のでかい旅館は違う。

 大浴場に行くのには旅館の名前が入った防水製の巾着袋が用意されていて、それにTシャツとパンツを突っ込んでオレの準備は実に簡単に完了した。

 フッカはボストンとリュックを開けて準備中だ。小四の女子って旅行に何を持ってきてるんだろう。フッカの準備を後ろからそっと覗き込むと、リュックから手回り品を取り出している。

「お兄ちゃん、ひょっとしてパンツ見にきたの?」

「そんなんじゃないって」なんでわかるんだ? コイツ、やっぱり背中に目があるに違いない。

 いくつかのポーチを取り出して、そのうちの一つを手元に置く。

「それ何?」

「これ? ローション」

 なるほど、旅先でもそれは必要だ。

「これは?」

 横にあった水色のポーチを摘まみ上げる。

「これはいいの!」

 素早くフッカに取り上げられた。

「えーっ、なんだよ、いったい」

「女の子にはいろいろ必要なものがあるの!」

 意味深な言い方。

 ひょっとして、それってまさか……。

「フッカ、そうなの!?」

 そんな情報は上がってきてないぞ。いきなりか。それで露天風呂パスしたのか。

「もおっ! まだだけど、いつそういうのになるかわからないでしょ!」

 水色のをリュックにしまいながら「まったく、デリカシーのないアホウなんだから」と毒づく。

「だったらさ、オレのナイフだっていつ必要なときがくるかわからないだろ?」

 このリュックにはオレから取り上げたオピネルが入ってるはずだ。

 フッカがリュックの底からそいつを取り出してきた。

「だったら、今すぐ使ってあげましょうか!?」

 こちらを向いて伸ばしたナイフの切先をオレに向ける。

 ナイフ以上に目が怖い。切れたフッカ相手に命の保証なんかなにもないのだ。

「ごめん、ごめん。それは、やっぱりフッカに管理しててもらわないと、ね」

 恐る恐る頭を撫でてなだめるオレを睨みながら獲物をリュックの底に沈める。

 二人っきりのせいなのか、開放感からか昨日からのフッカは感情が剥き出しすぎる。頼むから女の子が悪態つきながらの舌打ちはやめてくれ。

 お風呂に持っていく着替えやスキンケアセットを巾着袋にまとめて、フッカが立ち上がった。足の裏への力の込め方が、まだ怒りの残り火を感じる。

 オレはフッカの目の高さより低く頭を下げて仁王立ちしてる小さな手を取った。

「行こ」

 フッカの目は「まだ怒ってるんだぞ」と言いたげだ。

「やっぱ、フッカって浴衣姿似合うよな。無茶苦茶可愛いもん」

 明らかにお世辞のように聞こえるオレの言葉にフッカの頬が緩んだ。

「お兄ちゃんも、浴衣、カッコいいよ」

 少しはにかみながらオレの浴衣の襟元に触れる。さっきまでの目付きからの落差が激しい。

 どう見てもオレの着こなしは夏祭りの子どもの盆踊りだ。

「もうちょっとキマッてたらいいんだけどね」

「いいの。わたしだけがカッコいいと思ってたら」

「え?」

 それじゃあ、一般的に見たらかっこ悪いってことじゃないか?

「お兄ちゃんはわたしだけのお兄ちゃんなんだからね」

 ストレートだ。こんなこと、いままで一度だって言ってもらったことはなかった。

 抱くぞ!

 もう、いまここでキスするしかない!

「行こ。お兄ちゃん」

 生唾を飲み込んでる間に手を引っ張られて、オレは引きずられるように部屋を出なければならなかった。


〝婦人〟と染め抜かれた暖簾の前で、フッカは繋いだ手を離すとこちらに向き直った。

「お兄ちゃんはこっちに入ってきちゃダメだよ」

「わかってるよ」

 目の前の頭にぽんと手を置く。

 いたずらな笑顔が愛らしい。

「本当は一緒に入りたいんだけどなぁ」

 頭を撫でながらからかってやる。

「じゃ、明日はお部屋のお風呂に一緒に入ろ」

「明日……」

 ぴょんと後ろに弾んで「先に上がったらここで待ってるね」と手を振ると暖簾の向こうに消えていった。

 待ってるのはオレの方だよな、絶対。ああ、でも明日が待ちきれない。

 女湯の前で、ぐっと拳に力を込めていたら、暖簾をくぐろうとしたおばさんに不審な目で見られてしまい、慌てて殿方の暖簾に飛び込んだ。


 入念に体を磨き、落ち着いた雰囲気の内風呂と、自然と一体になったような露天の岩風呂をのぼせ上がるほどに堪能しても、やはり暖簾の外で待つのはオレの方だった。

 そういう客のためなのか、大浴場の前には休憩用のベンチと飲料の自販機が置いてある。

 脱衣場にあったウォーターサーバーのおかげで喉は渇いてないけど、キツい炭酸をぐっと飲みたい気分だ。

 フッカとの愛の生活を想像しすぎた頭を冷やしたい。

 が、サイフは部屋だ。

 もう一度脱衣場に戻って冷たい水でも飲もうかと何度目かの逡巡をしていたら、暖簾を開いてフッカが出てきた。

「おまたせ」とオレの前に立つ姿は着付けに苦労したのか、なかなかに崩れている。しかし、隠すべきところはちゃんと隠れているので、これはこれで色っぽいと表現してやってもいいだろう。

「あ、お兄ちゃん、なんか飲む?」

 フッカが自販機に目を留める。

「お金、持ってるの?」

「うん、小銭だけ」

 フッカが巾着袋を振ると小さく金属音がする。

「いいの?」

「うん、お部屋で半分こしよう」

 ファンタグレープだ。フッカが飲める炭酸飲料を選ぶ。この際、フッカが喜べばなんだっていい。

「お風呂広かったね」

 広さを表したいのか、いきなり両手を広げた。

手を繋いでいるので自分の手に胸を殴られそうになる。

「露天風呂、岩風呂だったよ」

「へえー、わたしのは木のお風呂だった」

「夜中に男女のお風呂を入れ替えるんだって。書いてあったよ」

「じゃあ、明日は反対のに入れるんだね」

「ああ……、まあ、そうだけど……」

 明日は部屋で入りたいんだ。

「じゃあ、明日は早起きして、朝入りに来よう。夜はお部屋のお風呂に入って〝お兄ちゃんとわたしタイム〟ね」

「おうっ、早起きしようぜ!」

 フッカにとっては〝お兄ちゃんとわたしタイム〟というままごとのような言葉がオレの頭の中で増幅されて思わず繋ぐ手に力が入った。


 部屋に戻ると、明日の行動計画をたてる〝世界征服の作戦会議〟だ。窓際のイスに座って、テーブルにいままで集めた観光案内やパンフレットを広げる。

 フッカがグラスを二つ持ってきて隣に座った。

 ファンタグレープのプルタブを開けるのに悪戦苦闘している姿が可愛くて手伝う気になれない。

 ようやく開けると何事もなかったように澄まし顔で二つのグラスに注ぎ入れた。

「じゃ、カンパイ!」

 部屋のグラスはあまりいい音はしなかったけど、フッカとするカンパイは楽しい。喉の乾きもあって、一気にグラスを飲み干した。炭酸の刺激が心地いい。

「くうっ! やっぱ美味いね!」

 空けたグラスをどんとテーブルに置いてフッカを見た。

 両手でグラスを包むように握って肩を震わせている。

「えっ、おい、どうしたの?」

 俯いた頬を涙が伝って落ちる。

 グラスを取ってテーブルに置いてやると、顔を覆ってわあわあと声を上げて泣き出してしまった。

「どしたの? どっか痛いの?」つい、小さな子をあやすような言葉になる。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん……」

「ん? お兄ちゃんが悪かった?」

「お兄ちゃん、とカンパイした……」

「カンパイならご飯のときもしたでしょ?」

 フッカが頭を振る。

「ファンタ、グレープで、カンパイしたの……」

「ファンタ美味しいよね。いくらでもカンパイしてあげるからね」

 フッカが泣きながら頷く。

「お兄ちゃんがいい、お兄ちゃんがいい……、ああ、お兄ちゃんがいい……」

 激しくしゃくり上げるので、そばにあったバスタオルを手を伸ばして取り上げ、フッカの顔に押し当てた。フッカの涙と鼻水は普通のタオルではおさまらないことは実証済みだ。

 フッカが落ち着いて顔を洗いに行くまで、オレは自分の行動の中にフッカを泣かせる原因を探ったが、結局、ファンタグレープでのカンパイの意味を見出すことは出来なかった。

「お兄ちゃんのせいでせっかくのファンタがぬるくなっちゃった」のだそうで、その後、怒られてしまった。

「お兄ちゃん、この次泣かせたら殺すからね!」

 オレのナイフが役立つ時が来ないことを願わずにはいられない。


 作戦会議といっても、面白そうなところをいくつか挙げて、マップにマルをつけるだけだが、お喋りが楽しくて成果の割に時間だけが経っていく。

 オレはフッカと手を繋いで歩ければどこだっていい。一日中旅館の部屋でゴロゴロベタベタしていたって構わない。いや、その方が嬉しいかもしれないのだが。ひとまず、朝ごはんの後は出掛けることに決まった。今日入らなかった伊香保の温泉巡りをしようといったところだ。

 時計を見ると、もう11時をとっくに回っている。

「そろそろ寝るか?」

「うん、そだね」

 オレは酷く緊張していた。

 寝る前のトイレはフッカに先を越されて、用を済ませて出てくるともうフッカは布団に潜り込んで顔だけを出していた。

 オレも自分の布団に入ろうと掛け布団を捲る。

「お兄ちゃんは、そのまま寝るの?」

「えっ?」

 そうか、シャツにパンツに、浴衣まで着た重装備だ。

「フッカは?」

「わたしはもういつも通り」

 掛け布団を剥がして確かめたくなるのを我慢した。

「オレもいつも通りで寝るよ」

 布団に入ってごそごそといつもの寝る時の格好になる。

 やはり解放感が違う。寝る時はこうでないと。

「お兄ちゃん、電気」

「あっ、オレかよ……」

「だって、わたしは出られないんだもん」

 オレだって事情に変わりはない。布団から出て壁のスイッチを操作する。

 フッカは布団を被って見ないようにしているが、逆の立場ならオレは絶対に見るだろうけど。

 床の間の間接照明の淡い明かりだけを残して電気を消した。

 オレが布団に入った気配を察したのか、フッカが布団から顔を出してきた。

「夜だね」

「ああ、もうすぐ明日になるよ」

 壁に架かった時計がまもなく日が変わるのを示している。

「おやすみ、フッカ」

「うんお兄ちゃんも、おやすみ」天井を向いて目を閉じたが、フッカの息遣いを感じて眠れそうにない。

「お兄ちゃん、寝れる?」しばらくしてフッカが声をかけてきた。

「なんだ、フッカ。寂しいならこっち来るか?」

「うん」

 フッカが掛け布団の下でこちらに移動してくる。

 えっ、来るの!?

 オレに触れるフッカの全部がひんやりとした素肌だった。

 すぐ目の前まで顔が迫ってきて、オレの腕を枕にして愛らしい頭を乗っけた。

「お兄ちゃん、暖かいね」

 多分、異常に体温が上がっていると思う。

「カイロみたいでいいだろう」

枕になった腕で肩を抱き寄せる。

「揉んだら暖かくなるやつだね」

 揉んでほしい……、揉みたい。

「それで、朝になったら冷たくなってる?」

「そしたら、わたしがあっためてあげるね」

「そんで、夜はまたオレがあっためる」

「繰り返し使えてお得だね」

 フッカが揉んでくれたらいくらでも暖かくなるだろう。

「一緒だとお得だよな」

「じゃあ、一緒にいないとね」

「そうさ、一緒だよ」

 肩を抱いた手に力を込める。

 フッカもオレの胸に手を回す。

「お兄ちゃん、ずっと一緒だよ」

 フッカの小さな頭がオレの肩に乗っかる。大浴場のシャンプーとボディソープの微かな香りに頭の中が蕩ける。

 フッカはオレが〝お兄ちゃん〟じゃないことを分かってくれているのだろうか。お兄ちゃんじゃないオレを受け入れてくれるだろうか。

 怖い。

 蕾のように幼い体に触れたら、ままごと遊びのようなこの世界が終わってしまうかも知れない。

 でも……。

 好きだ。愛してる。

 ああ、フッカ、あの壁に掛かった時計の二つの針が重なるように、オレたちもひとつになろう。

 今日をオレたちの日にしよう。

 子供だとか、幼いとかそんなのは関係ない。

 ただ、愛し合おう。

 空いた手に気持ちを込めて、フッカの腰に腕を回すと、掌に少し汗ばんだ柔らかな肌が張り付く。体を捻ってフッカに向き合った。オレの体の尖端がフッカの――多分、太腿に触れる。

 ビリビリと痺れるような感覚が頭を突き抜ける。

 フッカ……。

「………………」

 寝てた……。

 この、どうしようもない状態になったオレは、もう、どうしようもなかった。

 起こそうか? いまなら揺らせば起きそうだ。

 起こして、なんて言う?

『……しよ』

 言えない。

 こんなに可愛い寝顔じゃないか。

 天使のようだ。

 この愛らしい少女をオレの欲望で汚さずに済んだんだ。

 フッカの髪に口付けをして仰向けに転がった。仄明るい部屋に少し、割と、結構大きめの寝息が響く。

 でも、汚すとかじゃなくて、愛し合うのならいいんじゃないのか? 大事なコミニュケーションのひとつだって言うじゃないか。

 ちっぽけな体のこわばりがなかなかほぐれず、馬鹿な妄想を重ねて、フッカの吐息にそっと頬を寄せてみた。

 ああ、なんてことだ。

 オレたちはすっかり歯磨きを忘れていた。



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