6 止められません
噂通りソフィ・アルノーは優秀だった。いや、予想以上だった。
宰相補佐官になって1週間、これまでの補佐官以上の働きをしていた。スケジュール調整や書類の精査だけでなく、私の発言に対して、的確で適度な補足をしてくれる。今までは、この場では来訪者たちが私の通告を感情的に受け止め、後日手紙などで認識のすりよせが行わていた。しかし、今では来訪者たちは、この場で理解して退室するようになったため、後日の認識調整も激減し、執務効率は劇的に上がった。
ある日の会議後、退出者を見送りながら、ソフィは書類の整理を始めていた。
「宰相様、ひとつ質問をよろしいでしょうか。」
「構わない。」
「先ほどの、南部の洪水被害についてです。どうして石の堤防ではなく、松を植林した土手になさったのでしょうか。それでは、同じ程度の大雨が降った際に、防ぎきれないのではないでしょうか。」
「確かに、石の堤防を築く方法もある。だが、長い目で見れば土手の方が利が大きい。木が根付けば、根によって土手が強化される。……」
彼女は質問をはさみつつも、話を聞き、理解したようだった。
「自然を完全に制することはできない。だからこそ、災害を防ぐのではなく、被害を防ごうとしなければいけない。そして、ひとつの施策に依存してはいけない。もし堤防に亀裂が入ったらどうするんだ。」
これが私の基本的な考え方だった。人によっては些細な違いに映るかもしれないが、考えの根本が違う。彼女ならば、理解してくれるだろうと思い、この機会に共有した。
「意外でした。効率や費用などが判断の基準だと思っていたので。」
「もちろん、そこも検討した上でだ。」
「宰相様は、意外と小心者なんですね。」
ソフィは少しからかうように言った。賞賛以外の言葉をもらい慣れていない私には、新鮮な評価だった。
「悪いか。」
「いいえ、悪いことではないと思います。」
「どういうことだ。」
「だって、それだけ守りたいものが大切ってことじゃないですか。いいことですよ。」
「……」
いつからか、私は自分自身について考えることをやめていた。
必要なのは判断であり、結果であり、国家運営だ。そこに「私」という人間は不要だった。周りの評価も私の下した「判断」を私として見ていた。
だが、彼女は違った。
ソフィは、私の下した判断だけではなく、その先にいる「私」という存在を見ていた。今なら分かる。私は、彼女の瞳を通して、久しぶりに自分という人間を認識したのだ。
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国を支える貴族として教育されてきた私にとって、「好きだ」という言葉は信用ならないものだった。だから、彼女に、彼女のことを好きな私を見てもらうために、努力したつもりだ。でも、それはいつしか自己満足になっていたのかもしれない。
「私は、君が隣にいてくれることが当たり前になっていた。」
「……」
「だから、失うかもしれないと思った瞬間、怖くなった。すまなかった。」
願わくば、許してほしい、そんな気持ちを込めて、頭を下げた。
「もういいんです。私はいつも公私混同するなとあなたを叱っていましたよね。でも、公私混同していたのは私の方でした。夫としてのあなたをきちんと見ていなかった。あなたは見ていてくれていたのに…。」
宰相としての私。夫としての私。分けるべきなのだろう。だが、その境界は未だによく分からない。
「そろそろ、王宮へ戻らなければいけないな。王にお叱りを受けてしまう。」
「......」
「ここに送り出してくださったんだ。ベルナールや他の職員たちと一緒に。」
「もしかして、このことって王宮中が知っていたりしますか。」
「全員というわけではないだろうがな。「国家の危機」だそうだ。」
「はあ。」
「何か、対策案でも作ろうか、アルノー補佐官。」
私は、宰相としてソフィに話しかけた。
「えっ。」
「君の辞表は受理されていない。その前に、辞令だ。宰相補佐官でいいな。」
「はい。」
「就任にあたって、何か要望はないか。」
「私のために対策案を出すのは控えてください。」
「それは難しい。」
「即答しないでください。」
「だが、今後はもう少し目立たない形を検討しよう。」
「検討、ですか。」
「ああ。これまでは少々やりすぎた。」
「少々ではありません。」
「しかし、君といると次々と思いつくんだ。仕方がないだろう。」
そうして、2人そろって王宮に向かった。
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「詳しい説明はアルノーから聞くように。」
「どうぞ、こちらに。」
宰相室ではいつもの光景がくり返されていた。 あの後、私は即日、宰相補佐官に再任命された。そして財務課の方に報告に行ったら、拍手で迎えられ、こっちが口を開く前に、再就任の祝辞をもらった。やっぱり、エリオットと私の間に何があったのかは、筒抜けみたいだ。
また、私に対する過剰な接触について、宰相命令で調査が行われた。 そして、『アルノー様 データ集』があると聞いた時は耳を疑った。そこには、私の好き嫌いや毎日の動向などが記録されていた。
全て焼き払うようにお願いしたが、エリオットが「今後の再発防止のための資料だ」と、もっともらしい理由をつけて、手に入れていた。あの本がどこに保管されているのかは知らないが、資料室にないことだけは確かだ。
「宰相様、こちらの宰相室付き文官の増員とは、どういうことでしょうか。」
「そのままだが。」
「宰相様。説明をお願いします。」
「すまない。ベルナールやアルノーの業務が増加しているので、増員したい。それに、視察中や休暇中に宰相室が空になるのはよくない。」
「それはいい考えですね。ぜひお願いします。」
顔色が良くなってきたベルナールが、珍しく賛同してきた。
「でもそれって、視察や休暇を増やしたいからということですね。」
「確かに、そう解釈も出来るな。」
「もう少し上手く隠して下さい。」
「お前以外には、バレないだろう。なあ、ベルナール。」
「僕にとっては、理由はどうであれ、いいと思います。」
私はつい癖で出そうになった言葉を飲み込んだ。
「まあ、今回はこちらで上手く隠しておきます。」
「ありがとう、アルノー。頼りにしているよ。」
次の書類をめくる。
『西部一帯の温泉地視察計画案』
……エリオット様。
どうやら、国家規模の公私混同はまだまだ続くらしい。
ありがとうございました。少ししたら、タイトルを変更して、短編で置いておきます。




