4 賢すぎます
その夜、財務課に移った私は、いつもよりも数時間早く帰宅したものの、居ても立っても居られず、意味もなく屋敷のなかをウロウロとさまよっていた。早くゴールしたいのに、手がかりがなく、ひたすら迷路の中を何時間もさまよっているような感覚に襲われた。
そこにエリオットが帰ってきた。
「ただいま、ソフィ。会いたかった。財務課はどうだった?」
「初日ですので、現行の業務内容の把握で終わりました。」
「そうか。それはよかった。」
そして、抱き寄せられて、軽く口づけされる。いつもと変わらない。
「エリオット様、何か私に仰りたいことはありませんか?」
「何だろう。特にないな。」
そのまま、私の肩をポンと叩くと、自室に下がってしまった。
いつも通りのやり取りなのに、私は背筋が凍った。
てっきり、解任の理由を説明してくれると思っていた。しかし、冷静に考えてみれば、エリオットの性格を考えれば、追加の説明などないことは分かりきったことだ。
エリオットは賢い。複数の資料から状況を読み込み、最適解を見い出し、それを適当な人物に指示として与えることができる。そして、驚くべきはその処理速度である。迷うことなく最短経路を通って、解に到達する。
しかし、エリオット自身はそれがどのくらい特殊な能力なのかを正確に把握していない。それが彼を「冷酷」とさせている原因に他ならない。相手の理解力にあわせて説明せず、自分基準で結論のみを伝えるので、ものによれば「不条理な判断」を押し付けた形になってしまう。そう、今回のように。
だが、エリオットの判断は不条理なのではない。ただ、彼は結論に至るまでの過程を省略しすぎるのだ。 私の補佐官としての一番の仕事は、この判断を相手に理解できるように説明することだった。
今日一日、私は温泉地での視察を事細かに思い出し、解任の理由を探していた。確かに、サラに引っ張られて転倒はしたが、あれは突発的な事故であり、口論したわけではないし、私に非はない。なのに、何をどう考えれば解任にたどり着くのか――。
エリオットの考えがさっぱり分からない。
そして、エリオットは私が理解していないことに気がついていない。
もし、ここでさらに説明を求めたら、どうなるのだろう。それこそ、自分の理解力のなさを露呈させ、見苦しいだけだ。もう少し、自分で考えてみるしかない。今日の一日で何十回とたどり着いた結論を自分に言い聞かせる。
気づけば、私は自分の寝室でいつも通り本を開いていた。そして、読書に励む。しかし、何ページか進んだところで、知らない人物がべらべらと見知らぬ状況に対する見解を述べていて、今日の読み始めのページに戻った。
そうしている間に、いつも通りに、エリオットがソファに横たわる。珍しく本から顔を上げて彼の方を見ると、彼はいとおしそうに私の方を見つめていた。また寒気がした。
「私は、君とこうやって過ごせることがすごく幸せだ。手放したくない。」
彼は私の髪を掬い、口元に持っていった。
思わず私はソファから立ち上がり、逃げるようにベッドに駆け寄った。
「すみません。今日はもう寝ます。」
私は、エリオットに背を向けたまま告げた。
「そうだね。職場が変わって疲れたんだろう。おやすみなさい。また明日。」
また明日、何なの。全く読めないエリオットは、ただの「冷酷宰相」だった。
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1週間経った。
財務課の仕事にはもう慣れた。仕事内容は以前と比べると単純なものが多く、空いた時間を作っては、解任理由を調べていた。財務課課長もベルナールも何も知らなかった。事故の目撃者である近衛兵にも話を聞いたが、ありのままの事実を報告しているだけだった。この事故を解任まで大事にする理由が見つからない。
解任理由を探しているはずなのに、気づけばエリオットそのものが分からなくなっていた。
その結果、ここ数日は、なぜ解任されたか、ではなく、なぜこの「冷酷宰相」は私を愛しているのか、ということばかり考えている。
私が宰相補佐官に任命されたのは3年前だった。弱小貴族で、後ろ盾がほとんどない私は平の文官からのスタートだったが、高い事務処理能力を買われ、季節が変わるごとに辞令が出され、うなぎ登りで出世していった。そして、たどり着いたのが宰相補佐官だった。
この仕事は、やりがいしかなかった。各部署にいる時は分からなかった、エリオットの考えを、同じ資料を読み込んでいることで理解することができた。そして、彼がおざなりにしていた説明を私が担うことで、不条理な判断が、合理的な指示になる。
足りない部分が補われ、歯車がかみ合い、王宮という大きな機械が上手く動き始めた。こここそ自分が納まるべき場所だったんだ。そんな充足感があった。
そんなある日、エリオットに求婚された。そして、辞令を受けるように、申し出を受け入れ、婚約に至った。
しかし、エリオットにとって、私という歯車は代替可能な歯車に過ぎなかったらしい。残念の一言では言い表せない気持ちが、まだ私のなかで渦巻いている。とはいえ、私生活では態度が全く変わらないので、彼のなかに私が入るべき場所は残されているらしいが、それが全くつかめない。今の私はどこともかみ合わないまま、空回りしている気がした。
この1週間で、エリオットを見失ったのは私だけではなかったようだ。
私が解任されてから、財務課に訪れる人が激増した。むしろ、王宮関係者は宰相執務室を出ると、迷わず財務課に訪れるようになっていた。
「宰相様に○○といわれたのですけれど、どうしてでしょうか。」
「○○という指示を受けたのですが、具体的にはどういうことでしょうか。」
私の後任がいないというのもあるが、首になった補佐官に泣きついてこないでほしい。しかし、王宮の業務が滞ることはいただけないので、私が把握している限りで答えられるものは答える。すると、前以上に感謝される。その対応をしている間だけは、余計なことを考えずに済んだ。やっぱり、私は必要なんじゃないか。
「宰相室にはいつ戻られるのですか。」
「どうして異動されてしまったのですか。」
こうした質問が私の傷をえぐる。それは宰相に言ってくれ。私だって聞きたい。さらに何を深読みしたのか、「ご結婚間近なんですか」なんてものもあった。
極めつけはベルナールだ。
さすがに彼が私に説明を求めることはないが、昼食になると、「聞いてくれよ」と私のところに愚痴を言いにやってくる。今までの人生で、こういう性格のせいで、人の愚痴をこぼされるようなことはなかったが、情報収集の一環として、適当に相槌を打ちながらベルナールの話を聞く。
私が着任して以降、全て説明を私に丸投げしていたせいか、私の着任前よりも言葉足らずになっているらしい。そのせいで、「冷酷宰相」どころか、「残酷宰相」になりつつあるらしい。それを止められないベルナールは、日に日に疲労の色が濃くなっていた。
「僕の方から、ソフィを戻してほしいとお願いしたんだ。そうしたら、こっちの方が彼女にとってはいいんだっていうんだよ。だから、どうしてですかって聞いたんだ。すると、リスクの軽減だそうだ。ははは。王宮の運営より優先すべきリスクって、国王関係以外に何があるんだろう。もしかして、ソフィは国王とつながっていたりしたの。」
「何それ。冗談にしては面白くないわよ。よっぽど疲れているのね。」
「冗談じゃない方がよかったよ。それならば納得できるから。何なんだよ、その“リスク”って。はぁ。やっぱり僕には宰相様は理解できないな。」
「......私もよ。」
もう誰も彼のことを理解していない。
一体エリオットは何を考えているのだろう。




