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2 非がありません

 


「早速、本題に入る。今年をもって、カレード領の水害被害支援金を打ち切る。」

「どうして…。支援金はあと2年頂けるはずでは。」


 エリオットの前に、座っていた中年のカレード伯爵が、焦って立ち上がる。彼の領地は3年前、大きな洪水で5つの村が流されていた。寝耳に水なのか、動揺の色が隠せていない。


「確かに、そうだったな。」

「被害にあった村々の復興はまだ完了しておりません。荒れた田畑の回復にはまだ年月がかかります。どうかもう一度、再考して頂けないでしょうか。」

「断る。」

「理由は…。」

「心当たりはないのか。誠に残念だ、カレード伯。詳しい説明はアルノーから受けるように。」


 エリオットの前で、固まっているカレード伯の肩を叩き、執務室の隅にある、応接スペースへの移動を促した。エリオットは、もう次の書類を取り出し、目を通し始めている。


 私にとっては、1日に何回か行われるこの流れだが、目の前のカレード伯にとっては、衝撃的だったようだ。落ち着いてもらうために、お茶出しをお願いする。


「落ち着きましたか。」

「お願いだ。この支援金は我々に…。」

「それでは、説明に入らせて頂きます。こちらの資料をご覧ください。」


 水害後のカレード領のデータと監査部からの調査報告の概要を手渡す。


「ほら、見てみろ。収穫量は増加しているが、水害前と比べれば、まだ6割程度だ。復興は完了していない。」


 カレード伯が、収穫量の書かれた紙を叩きながら、こちらに訴えかけてくる。


「確かに、元の収穫量まで回復するためには、あと2年はかかると予想されます。」


 私の言葉に満足したのか、鬼の首を取ったかのような顔でこちらに鼻を鳴らし、部屋の奥の宰相の方に視線を向ける。しかし、エリオットが顔を上げることはなかった。


「しかし、こちらをご覧下さい。オークションの売り上げがここ数年急速に伸びています。さらに、鉱山の新規発掘も始まりましたね。素晴らしいことです。税収も増加しているのではないでしょうか。」


 カレード伯の顔色がだんだん悪くなっていく。さっきまで、挑戦的にこちらを睨んでいた彼の視線は、今は部屋の隅をなぞっていた。


「支援にも様々な形がありますので、こちらから用途は措定しておりません。なので、そちらの領地での使用方法を咎めることはありません。」


 カレード伯がこちらを見た。なんとも情けない顔をしている。


 特筆することがないこの男が横領していないことは、調査部の報告に上がっている。しかし、その先である程度まとまった額が抜かれており、個人の懐と新規事業の元手として使用されていたことが判明している。税収を管理し、鉱山開発の認可を出している以上、それを伯爵が全く知らないというのは、無理な話である。ただ、農村の復興は計画通りに進んでいるからと、目をつぶっていたのだろう。


「残りの復興は、領地内の資金で事足りるはずなので、こちらからの支援金は打ち切らせて頂きます。引き続き、効率的な領地運営をお願い致します。それでは、お帰りはこちらからどうぞ。」


 そういって、後ろに控えていた近衛兵に誘導を促した。


「そろそろお昼ですが、どうしましょうか、宰相様。」


 私は、部屋の奥に呼びかけた。


「宰相様。」


 隣の書記官が、エリオットに呼びかける。


「すまない。では、昼食としよう。再開は30分後だ。」



 ======


 午後の就業中に、予定のない来訪があった。騎士団付きの文官である。


「アルノー様、お迎えに参りました。」


 相手の口ぶりからしてみても、これは事前に組まれたスケジュールだということがわかるが、心当たりが全くない。


「向かう前に、これからの流れを説明して頂いてもよろしいでしょうか。」


 万が一の場合、こちらが分かっていないことを悟られないように尋ねた。


「はい。これから騎士団の練習場に移動し、着替えを済ませたあと、退官した元騎士の指導のもと、30分間トレーニングをして頂きます。といっても、初回なので、まずは筋肉量の把握などから始まると思いますが。」


「お迎えに頂いたところ、申し訳ないですが、所用を済ましてから向かいますので、10分後に練習場ということで、よろしいでしょうか。」

「職務なので困ります。それでは、部屋の前で待っておりますので、ご用事が済んだら、お送りします。」


 文官とはいえ、騎士団所属。よくも悪くも融通がきかない。彼が退出したことを確認し、この件の犯人の方に振り向いた。


「宰相様。私の方で、聞き取りを進めておきますね。では、いったんこちらにお願いします。」


 これから起こることを予測した書記官が、無駄に気を効かせて、宰相の来訪者を応接スペースの方へと誘導する。


「ほどほどに。」


 すれ違い様に、小さな声で呟かれたので、そちらを向くと、片手で口を覆っている。それが火に油を注いだ。


「宰相様。練習場でのトレーニングとは一体何なのでしょうか?」

「もちろん、君の腰痛対策だよ。医務局によれば、筋力の低下が腰痛の要因のひとつらしい。1日30分程度の運動でそれが改善するらしい。」

「それだけのために、騎士団を動員したんですか。」


 昨日の石畳の次は、これか。一体この人、私の腰痛のために、はいくつ仕掛けたのだろうか。


「もちろんそうではない。文官の運動不足による健康被害は多いと医務局から証言をもらっている。よって、まずは君に被験体になってもらい、プログラムを固め次第、王宮全体に希望者を募り、大々的に行う。」

「福利厚生の一環だと。」

「また、退官した騎士たちの雇用増加にもつながる。」


 非のない完璧な論理武装だった。人を理論で叩き斬る冷酷宰相は、自分の守備にも抜け目がない。


「分かりました。でも、エリオット様。それならば私である必要性はないですよね。」


「効率的なプログラムにするためにも、改善点の分析が出来る人物でないといけない上に、企画者が責任をもって、経過観察をしなければいけないだろ。」


「エリオット様、…。」


 言いたいことはいっぱいあるが、次いで出せる言葉はなかった。


「いってらっしゃい。ソフィ。1週間後にトレーニングの報告書、楽しみに待っているね。」


 執務中には珍しい笑顔で送り出されてしまった。胃が痛い。もちろん、それが悟られないように、私は執務室を出た。


 ======


 エリオット様と婚約してから、私は王宮内の移動が億劫になっていた。それなのに、毎日、王宮の反対側にある騎士団の練習場まで移動しなければならないなんて、気が重い。


 さらに、この付き添い文官。私を女性扱いしているからか、歩速を緩めて先導してくれている。ここは競歩一択なのに、焦ったい。


 と、思っていたら、早速手前から刺客がやってきた。農業課課長だった。


「アルノー様、おでかけですか?少しご一緒に歩いても?」

「いえ、急いでいるので。」

「大丈夫です、すぐに終わりますから。パンはお好きですか?」

「はい。」


 農業課課長の話が唐突に始まった。振り切りたいのに、騎士団文官のせいで、相手につけ入る隙を与えてしまっている。


「最近、パンの値段が上がったことはご存知で?」

「一応、報告は受けています。」

「お菓子やケーキの値段も上がったんですよ。お茶の時間の楽しみが減るなんて、嘆かわしいと思いませんか。」

「だから、何なんですか?」

「運動の後の甘いものは至福の時ですよ。それでは、私は。」


 農業課課長は、元来た方へと去っていった。どうして、彼は私がトレーニングすることを知っているのだろうか。私ですら数分前に知ったばかりだというのに。心当たりがありすぎて、咎める気にもならない。この分だと、腰痛もすでに周知の事実だろう。前を向くと、向こうの柱の影から誰かの腕が見え隠れしている。徽章(きしょう)からすると、貿易課だろうか。


 冷酷宰相エリオットをこちらの意向では動かせない。それは、王宮勤めの者全員が知っている常識だった。


 そこに現れた、例外。

 それが私だった。


 私の発言で、宰相が動く。これが更新された王宮の常識である。だから、各部署のお偉いさん達が、宰相を動かそうと、私に働きかけてくる。


 最初は、稟議書や伝言といった直接的なアプローチが多かったが、中途半端なものを宰相の前に出すことは出来ないので、結局正規ルートを通すのと変わらない。最近、そのことに気づいて来たのか、手を変え品を変え、間接的に私に働きかけようとしてくる。


 さっきの農業課課長も、小麦の減税案を優先的に扱って欲しくて、私がエリオットに「最近、ケーキが高くて困るわ」というのを狙った発言だろう。


 もちろん、そんな安直な罠に引っかかる気はないが、こちらはエリオットの暴走で困っているのだから、勘弁してほしい。


 ひとまず、私は柱の裏の貿易課の職員に背を向けて、歩き続けた。

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