1 仕事が早すぎます
「宰相様、こちらの臨時予算の稟議書ですが、何かご存知でしょうか。」
宰相補佐官であるソフィ・アルノーは、環境課の課長が執務室に持ってきた、見知らぬ計画の稟議書――王都内主要道路石畳改修 三ヵ年計画 特別予算申請書。添付資料含めて計二十七枚。臨時の書類とは思えない程、体裁が整った書類を、宰相に渡した。
「ああ、王都内の石畳改修のものだろ。環境課は仕事が早いな。不備はないだろうか。特になければ、明日の会議で承認を得る。」
「仕事が早いな、ではありません。この計画はどこから来たのでしょうか。早すぎて、私の方では把握しておりませんが。」
「これは、昨日私の方から環境課の方に相談をして、馬車交通の多い主要道路の石畳を敷き直す計画の立案と見積もりをお願いしておいた。」
彼は話しながらも、書類をめくり、目を通していく。私も目を通したが、見積の数字は細かいし、運送ギルドからの要望書も添付されており、不足のない内容で、昨日今日で作ったということが信じられない出来である。
「確かに石畳の老朽化が進んでおり、高低差や欠陥部による怪我や事故が起きているので、改修するのはよい考えだと思います。ですが、どうして臨時予算申請なのでしょうか。このような計画はまず事前調査を十全に行い、工程や工期を最適化させるべきですが。」
「だが、そうなると改修の開始が早くても1年後になり、君の腰が悪化するではないか。」
「……」
宰相横の書記官のかみ殺した笑い声が執務室に響く。
一瞬、聞き捨てならない箇所があった。そして、稟議書を持ってきた、環境課課長の方をひとにらみする。表情を変えず、思いっきり目を逸らされる。やってるな。
かねてから要望の多かった石畳改修を、ここぞとばかりに徹夜で予算案と施工工程表をあげてきたのだろう。そして、この課長は稟議を通すために、私に助け舟を出すようなことはしない。
しょうがないので、横の書記官をにらみつけたら、また下を向いて笑い始めた。
「運送ギルドの方にも、馬車のスプリングの改良の通達と開発費補助金の申請書を渡したが、こちらは時間がかかりそうだ……。」
そんな無言の応酬を無視して、この宰相様が言葉を続ける。スプリングの改良…、そういうことではない。大きなため息をひとつつき、目の前の上司をにらみつけた。
「宰相様。」
「うん。」
「あなたは、私的な理由で、王都の石畳を修繕しようというのでしょうか。」
「私的な理由って。君のためではないか、ソフィ。」
「エリオット様。つまり、あなた様は、私のために臨時の国家予算を申請するというのでしょうか。」
「でも、馬車による腰痛に悩んでいるのは、君だけでは…。」
「でも、臨時なのは、私のためですよね。」
「その点に関しては、そうだね。」
この宰相様は悪気もなく認めた。この反省ゼロの常習犯め。昨日、腰が痛いと呟いただけで、なぜ翌日には国家規模の公共事業計画書が出来上がっているのだろう。 しかも恐ろしいことに、内容自体は極めてまともで、物流効率や事故率低下の観点からも有益だった。 だからこそ、質が悪い。
「却下です。」
「え。あくまできっかけは君だけど、これは公共の福祉に…。」
「そうですね。立派な公共事業です。だから、来年度の予算会議に間に合うように、通常の手順を踏んで、進めさせて頂きます。」
「せめて、王城の門から出た大通りだけでも。」
「必要ありません。」
「じゃあ、君の腰痛は。」
「もしこのようなことをするのであれば、国家施策と私個人の健康問題の癒着案件として、調査部に監査の依頼を回しますが――。」
「相変わらず、手厳しいね。わかった。」
「承知して頂けたなら、幸いです。」
私は、ほっと胸をなで下ろした。宰相の手元から稟議書を回収し、環境課課長に戻し、退出を促す。
王国貴族たちから「冷酷宰相」と恐れられる、エリオット・グランディエは、この国随一の実務家である。彼が厄介なのは、私情で始めた案件であっても、最終的にはきちんと国家利益へ着地させてしまうところだ。だからこそ、周囲は止めないし、あまつさえ便乗しようとする。もちろん、本人は一切反省していない。
「代わりに、何か出来ることはないだろうか。湿布薬の開発や腰痛防止の座席開発なんかも検討したのだけれども。」
「お気持ち、大変有り難いのですが、全て私個人には必要ありません。」
「え……。」
表情は大して変わっていないが、明らかにしょんぼりとしている。可哀そうな気がして、妥協案を出してみる。
「そんなに心配してくださるのならば、アガタにマッサージをしてもらうために、いつもより早めに退勤することをお許し下さい。」
「もちろん。では、今から早馬で…。」
「エリオット様、もう一つお願いがあります。もう私のために動かないで下さい。」
何か言っている宰相をガン無視して、思いっきり踵を返し、自分の机に戻った。書記官のクスクス声が背後から聞こえた。
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予告通り、いつもより1時間早く退勤し、アガタからマッサージを受け、腰の痛みが和らいだところで、旦那様が帰宅した。時刻はすでに深夜に近い。
「今帰ったよ、ソフィ。」
足音から、すごい早さでこちらに向かっていることが分かる。私も身だしなみを確認した後、廊下に出て、旦那様を迎えに向かった。
「あ、ソフィ。ただいま。今、帰ったよ。会いたかった。」
思いっきり、抱き寄せられ、頬に口づけを落とされる。
「おかえりなさいませ、エリオット様。先に帰らせて頂き、ありがとうございました。」
「硬すぎる!」
「おかげで、腰の調子がよくなりました。」
ソフィ・アルノーは、宰相エリオットの補佐官でもあり、婚約者でもある。いつもならば、そろってこの時間に帰宅するところを、ひと足先に出てきた、というだけである。
執務室では、仕事中ということで、基本的には触れあうこともなく、淡白に接しているが、自宅ではそういうわけではない。
エリオットは、日中の反動なのか、愛情を表現することを躊躇わない。かくいう私も、家の中では、基本的にその愛情を受け止めるようにしている。表現の仕方に差はあれど、私だって、自分なりにエリオット様に好意を抱いているのだ。
長めの抱擁が終わり、各自の寝室に入り、就寝準備が済むと、ここから就寝前の読書時間。
私が自室のソファで横たわりながら本を読んでいると、ノックが聞こえ、ガウンに着替えたエリオットがそっと入ってくる。そして、無言のままこちらに足を向けて横たわり、手にしていた本を開いた。
ほとんどのものが寝静まる真夜中、私たちは半刻ほど読書を楽しむ。ソファ脇のランプが、私たち二人を包むように淡く照らしている。ページをめくる音だけが、ゆっくりと夜の中へ溶けていった。
こうして同じ場所で、それぞれ本を読む。ただそれだけの時間だが、すり減った何かが埋められていく気がした。
時間になると、お決まりの言葉がささやかれる。
「今日はこちらに来ないかい。」
そして、私は毎日同じように返事をする。
「明日がありますから。」
「わかった。おやすみなさい。また明日。」
軽い口づけを交わし、彼は二つの寝室を隔てる扉から、名残惜しそうに出ていった。
「冷酷宰相」にあくびをさせるわけにはいかない。私は、もう一度小さな声で「おやすみなさい」といって、眠りについた。




