↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
日本仙妖譚 ― 現世と幽世のはざまで、かぐや姫と桃太郎の時代に仙人を目指す ―  作者: 紅連山


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
66/81

第66話 火霊王の密議

【火霊王の密議】


 桜島――。その地下数千丈。人の足では決して辿り着くことのできぬ、灼熱の霊域が存在する。


 幾筋もの溶岩河が大地を縫うように流れ、赤黒く脈打つ岩盤は、生き物の心臓のように規則正しく鼓動していた。


 ごう、ごう――。火霊脈が吐き出す霊炎は天地の霊気そのものと言ってよい。並の修仙者なら、一息吸うだけで経脈は焼き尽くされ、魂魄すら灰となって消え去るだろう。


 その灼熱の世界の中心。天地開闢の昔より存在すると伝わる巨大な空洞の中で、三つの霊影が静かに向かい合っていた。


 最初の一柱は、火霊鳥の王。


 鋭く湾曲した嘴を持ち、背には天を覆う双翼を広げている。翼が僅かに震えるたび、万千の火羽が星屑のように舞い散り、暗黒の地下世界を朱に染め上げた。


 二柱目は、火霊馬の王。


 逞しい四肢は山岳のごとく力強く、その蹄が大地へ触れるたび、轟音が地下深くまで響き渡る。赤熱した岩盤には幾筋もの亀裂が走り、灼熱の溶岩が噴き出していた。


 そして最後の一柱は、火霊狐の王。


 細長い面貌。黄金色の双眸には、万年を超える歳月を見届けてきた静かな叡智が宿っていた。穏やかな佇まいとは裏腹に、その身を覆う深紅の霊炎は絶えることなく燃え盛り、放たれる威圧は決して他の二柱に劣らない。


 三柱には、一つだけ共通するものがあった。肉体を持たぬことである。その姿は火霊本源を極限まで凝縮した霊体。


 羽も、毛並みも、牙も、瞳も。すべてが純粋なる霊炎で形作られていた。


 三柱がそこに在るだけで空間は歪み、地下数千丈を巡る火霊脈は共鳴し、大地そのものが低く唸り続ける。


 彼らこそ――


 火霊一族の頂点。三柱の火霊王。


 人間たちは古来より「火霊王は一柱のみ」と語り継いできた。


 歴代の巫女も。神官も。修仙者たちも。誰一人として、その伝承を疑わなかった。


 だが、それは真実ではない。誰も知らぬ地下最深部では、三柱の王が数万年もの時を生き、火霊一族を統べ続けていたのである。


 三柱は長き歳月を共に歩んできた。しかし、その道は決して平坦ではなかった。


 思想は異なり。守ろうとするものも違う。幾度となく衝突を繰り返しながらも、互いの力だけは認め合い、絶妙な均衡によって桜島を支え続けてきた。


 だが――今日だけは違った。


 三柱は円陣を組み、極秘の密議を交わしていた。地下世界を揺るがすほど重大な決断。


 それゆえ、幾重もの封霊結界が三柱を包み込んでいる。音は漏れない。霊波も届かない。神識さえ遮断される。


 たとえ仙人であろうと、その結界の内で交わされる言葉を知ることはできなかった。


 火鳥王が翼を大きく広げる。鋭い眼光とともに何事かを激しく訴えた。


 火馬王は鼻息を荒げ、巨大な蹄を踏み鳴らす。


 轟ッ――。地下霊域が震え、赤熱した岩盤が砕け散る。互いに一歩も譲らぬ。意見は真っ向から対立していた。


 やがて火鳥王の霊炎が激しく燃え上がる。


 轟――!!その身は巨大な炎柱と化し、地下空洞を照らす太陽となった。白き霊炎は天井を焼き焦がし、溶岩河は怒濤のように沸き立つ。


 それに応えるように火馬王も咆哮した。


 轟ッ――!!火柱が天を衝き、二柱の霊炎が真正面から激突する。


 瞬間。轟然たる爆音が地下世界を震わせた。無数の火花が飛び散り、空間そのものが軋みを上げる。


 もし、このまま二柱が全力を解き放てば。火霊脈は寸断され。天地を覆う大噴火を起こし。この地は、一夜にして炎獄へと変わるだろう。


 その時だった。火狐王が静かに一歩を踏み出す。黄金の瞳が柔らかく輝いた。音もなく、穏やかな霊波が地下世界へ広がっていく。


 それは春風が湖面を撫でるように静かでありながら、天地の理すら鎮める不可思議な力を秘めていた。


 火鳥王はゆっくりと翼を閉じる。火馬王も燃え盛る火柱を静かに収めた。


 轟々と荒れ狂っていた霊炎は次第に鎮まり、地下霊域には再び重苦しい静寂が戻る。


 三柱は互いを見据えた。意見はなお並行線。誰一人として己の信念を曲げるつもりはない。


 それでも三柱は理解していた。本気で争えば、勝者は存在しない。


 たとえ一柱だけが生き残ったとしても。火霊脈は崩壊し。火霊一族は滅び。その災厄は人間界、妖界、修仙界のすべてを焼き尽くす。


 それだけは、火霊王として決して許されぬ未来だった。ゆえに、誰も最初の一撃を放つことはできない。


 灼熱の地下霊域。溶岩の流れる低い響きを背に、三柱の火霊王による密議は、なおも静かに続いていた。


 そして――。


 この密議で語られる一つの決断が、やがて桜島のみならず、人間界、妖界、そして修仙界すべての命運を揺るがす引き金となることを、まだ誰一人知る者はいなかった。




【火毒の幻・其ノ三 ――帰るべき場所】


 火毒の幻境は、なおも正雪の神魂を深く包み込んでいた。


 いつしか眼前には、一面の白銀世界が静かに広がっていた。音もなく舞い落ちる雪。


 山々は純白の衣をまとい、村外れを流れる川は厚い氷に閉ざされ、天地はただ静寂だけに支配されている。


 その景色は、正雪が幼き日を過ごした故郷――そのものだった。


 正雪は、その雪景色の中に一人立っていた。だが、その姿は青年ではない。


 幾十年という歳月を歩み終えた、一人の老人であった。


 白く染まった髪は肩へ垂れ、背はわずかに丸まり、節くれだった両手には深い皺が幾重にも刻まれている。


 冷たい風が頬を撫でるたび、長き人生の記憶が雪のように舞い戻ってきた。


 正雪は空を見上げ、小さく息を吐く。


 「……人生とは、かくも短いものか。」


 その独り言は、降り積もる雪に吸い込まれ、静かに消えていった。


 幼き日の自分は、空より高い志を抱いていた。妖魔を討ち、人々を救い、この乱れた世に安寧をもたらす修仙者となる。


 木の枝を霊剣に見立て、山野を駆け回りながら、世界には無限の可能性が広がっていると信じて疑わなかった。


 だが、人は成長し、やがて現実を知る。家族を養うために働き、夜明け前に家を出て、日が暮れてようやく帰る。


 春も、夏も、秋も、冬も。休むことなく働き続けた。立ち止まれば、大切な者たちを飢えさせてしまう。


 だから前だけを見て歩いた。ただ、それだけだった。


 気づけば、幼かった子どもたちは、いつの間にか大人になっていた。


 「父さん!」


 袖へ飛びついてきた小さな手。無邪気に笑う幼い顔。


 昨日のことのように思えるその記憶も、いつしか遠い昔となり、それぞれが己の人生を歩むため、家を巣立っていった。


 賑やかだった食卓は静かになり、囲む者も、一人、また一人と減ってゆく。


 家族を守るために生きてきた。そう信じていた。それなのに――。


 最も守りたかった家族と過ごす時間だけは、指の間から零れ落ちる砂のように失われていた。


 正雪は雪景色を見つめたまま、静かに目を閉じる。  「……もっと、一緒に遊んでやればよかった。」


 幼い子どもが袖を引き、


 『遊ぼうよ』


 そう笑っていた、あの日。


 『仕事がある。また今度な』


 そう言って頭を撫でた自分。


 だが、その"また今度"は、ついに訪れなかった。


 時は、霊石でも買えぬ。仙丹でも戻せぬ。たとえ飛仙となり天地を巡ろうとも、一度過ぎ去った歳月だけは決して取り戻せない。


 もっと笑えばよかった。もっと話せばよかった。もっと、小さな手を握ってやればよかった。


 胸の奥から湧き上がる悔恨は、冬の寒気よりもなお深く、老いた心を締めつけていく。


 それでも――。不思議と涙は流れなかった。振り返れば、この人生は決して不幸ではない。


 天下に名を轟かせた英雄ではなかった。莫大な財を築いたわけでもない。


 ただ一人の夫として。一人の父として。家族を守り抜き、大過なく生涯を終えようとしている。


 それこそが、何ものにも代え難い幸福だったのかもしれない。


 その時だった。


 「あなた」


 家の中から、穏やかな声が聞こえた。


 「外は冷えますよ。早くお入り」


 その声に導かれるように、正雪はゆっくりと振り返る。戸口には、一人の老婦人が立っていた。


 白髪を美しく結い上げ、優しい笑みを浮かべている。その面影は、若き日と少しも変わらなかった。


 共に笑い、共に泣き、時には些細なことで言い争い、本気で離縁を口にしたことさえあった。


 それでも、幾十年という歳月の果てに、なお隣に立っているのは彼女だった。


 子は巣立ち、友は一人、また一人と旅立ち、人生という長い道の終着で、自分の帰りを待ち続けてくれる者は、ただ一人。


 正雪は皺だらけの頬を緩め、小さく微笑んだ。


 「……ああ。今、帰る」


 その何気ない一言が、長い人生の果てに辿り着いた、何よりも温かな言葉だった。


 白雪はなお静かに降り続ける。世界は凍てつく冬に包まれている。


 だが、小さな家の窓から漏れる橙色の灯火だけは、寒ささえ忘れさせるほど柔らかく、静かに揺れていた。


 その光景は、あまりにも穏やかで、あまりにも幸せだった。


 帰るべき家。待っていてくれる人。何気ない日々。


 それは、修仙者が幾千年の寿命を得ても、なお求め続ける「人としての幸せ」の姿だった。


 そして火毒は、その最も甘美な安らぎを餌として、正雪の道心を少しずつ蝕んでいく。


 ――戦わなくてもいい。


 ――旅を終えよう。


 ――こここそ、お前が本当に帰りたかった場所ではないか。


 甘く囁くその声は、吹き積もる雪よりも静かに、そして確実に、正雪の心の最も深い場所へと染み込んでいった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。