表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
日本仙妖譚 ― 現世と幽世のはざまで、かぐや姫と桃太郎の時代に仙人を目指す ―  作者: 紅連山


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/37

第36話 闇、終わらぬもの

【闇】


 静かな闇――いや、静寂という言葉すら生ぬるい。そこには音も、光も、風も、温度もなかった。時間の流れさえ存在しない。


 ただ、果てのない虚無だけが広がっている。常盤正雪は、ゆっくりと意識を取り戻した。


 「……」


 声を出そうとした。だが、自分の喉がどこにあるのかすら分からない。目を開こうとするが、何も見えない。


 いや、閉じているのか、開いているのかさえ判別できなかった。正雪は必死に瞼へ力を込める。


 もっと。もっと強く。


 だが、視界には一筋の光すら生まれない。


 「ここは……どこだ……」


 呟いたはずの声は、闇に吸われ、消えた。時間の感覚が崩れていた。一瞬なのか。百年なのか。それすら分からない。


 ただ、暗闇だけが続いている。


 ふと。正雪の脳裏に、最後の光景が蘇った。


 ――六羽蝶衣。紫紺の光。涙を流す紗綾。そして、光の中へ消えていく彼女の姿。


 「ああ……」


 あの瞬間だけが、異様に眩しかった。思えば、それが最後の光だったのかもしれない。


 再び静寂。闇は深く、重い。まるで世界そのものが死んだようだった。



【永劫の刑罰】


 どれほど時が流れたのか。不意に、闇の奥から音が落ちた。


 ――すぅ……すぅ……蛇が獲物へ息を吹きかけるような、不快な呼吸音。


 正雪の意識が鋭く震える。分かる。忘れるはずがない。蛇頭の妖の声だ。


 「魂を燃やす灯が……ようやく整った」


 低く湿った声が、闇そのものを震わせる。


 続いて。硝子を擦るような女の声。


 「随分待たせてくれたわねぇ」


 女妖が、愉悦を滲ませながら笑った。


 「早く始めましょう。私はもう待ちきれない」


 蛇男が低く唸る。


 「焦るな」


 その声には、奇妙な落ち着きがあった。


 「こいつは、容易く壊してはならぬ。至高の供物なのだからな」


 キィ……ン。どこかで金属が擦れる音がした。


 その瞬間。


 「ッ――!!」


 正雪の脳髄に、未体験の激痛が走った。頭蓋を内側から焼かれる。脳髄に焼けた鉄杭を突き込まれる。


 そんな痛みだった。


 「がぁぁぁぁぁッ!!」


 絶叫が闇へ響く。


 だが痛みは止まらない。それは波のように押し寄せ、引くたびにより強固な絶望を連れてくる。


 燃える。裂ける。砕ける。


 肉体ではなく、魂そのものが不可視の刃で削り取られていく。


 「ぁ……ッ……!」


 正雪の意識が崩れかける。


 そのとき。蛇男の冷徹な声が再び響いた。


 「力を弱めろ」


 激痛が、わずかに和らぐ。女妖が不満げに鼻を鳴らした。


 「もう止めるの? まだ一割も焼いていないというのに」


 「愚か者」


 蛇男の声は低く冷たい。


 「最初から燃やし尽くしてどうする」


 闇の向こうで、毒々しい蛇の瞳が細められた気配がした。


 「我が子を殺した罪……死だけで償えると思うな」


 その言葉には、万年氷のように固着した怨念が滲んでいた。


 「千年だ。千年かけて、この者の魂をじっくりと、丹念に炙り続ける」


 女妖が狂おしげに笑い声を上げる。


 「素敵じゃない。壊れる寸前まで削って、癒して、また焼く。永遠に繰り返される螺旋のね」


 「そうだ」


 蛇男は静かに告げた。


 「絶望にも慣れた頃、さらに深い苦痛を与える」


 「逃げ場も、死も、許さぬ」


 再び。キィン――金属音が響く。


 次の瞬間。


 「ッァァァァァァ!!」


 激痛が再び炸裂した。今度は先ほどより弱い。だが、その分だけ終わりがない。細く長い針で、永遠に魂を削られるような苦痛。


 逃げられない。気絶もできない。痛みだけが、延々と続く。


 蛇男が満足そうに呟いた。


 「そうだ……それでいい」


 「少しずつ、一欠片ずつ、壊れていけ」


 女妖の笑い声が重なる。


 「千年後、魂はどんな色に濁っているかしらねぇ」


 正雪の意識は、暗闇の底へ沈んでいく。その絶望の淵で――。


 ぽたり。微かな水音がした。狂気の笑い声と激痛の嵐の中、あまりにも小さい音。だが、それだけが不思議と消えなかった。まるで暗黒の底に落ちた、一滴の雫のように。



【終わらぬもの、その一:天界の修復】


 常世の国。空は薄紫に霞み、永遠に散ることのない花弁が、静かに風に流れていた。


 その花の海の中央。百花は、孤高の姿で座していた。白い指先にあるのは――天女ノ涙。かつて澄み切った蒼を宿していた霊宝は、今や見る影もなく無数の亀裂に覆われていた。


 百花は静かに霊力を流し込んだ。


 淡い光。繊細な霊糸が亀裂へ染み込み、砕けた霊脈を少しずつ繋ぎ直していく。


 長い時間をかけ、ようやく最後の亀裂が塞がった瞬間。百花の瞳に、わずかな安堵が浮かぶ。


 だが――ぱき。非情な音が響く。


 次の瞬間。修復したそばから、別の箇所に新たな亀裂が走った。


 百花の指先が止まる。


 「……また」


 小さな呟き。疲労は、とうに限界を超えていた。現世から戻って以来、彼女はずっとこの修復を続けている。


 眠る時も。食事を摂る時も。霊力を止めることはなかった。


 それでも。直しても、直しても。新たな傷が生まれる。


 まるで、この宝石は自ら崩壊を望むかのように傷を増やし続ける。


 百花は静かに目を閉じた。脳裏に浮かぶ。あの少年。燃え狂う霊力。壊れた運命。


 「……あなた、本当に」


 呆れたように笑う。だがその声には、怒りよりも深い疲れが滲んでいた。


 「どれだけ無茶をしたの……」


 呆れたような、しかし深い哀しみを帯びた笑み。彼女は再び、終わりのない霊力供給を開始した。



【終わらぬもの、その二:焦熱の悔恨】


 現世。珍鐘寺。かつて荘厳な霊光に満ちていた寺は、今や半ば焼け落ち、黒く煤けていた。


 その裏庭。一本の巨大な柱へ、蛇が縛り付けられている。清代姫だった。


 巨大な蛇身には無数の封印杭が打ち込まれ、霊鎖が鱗へ深く食い込んでいる。紫の妖火が、その身体を絶えず焼いていた。


 鱗が焦げる。肉が焼ける。煙が上がる。


 だが清代姫は、悲鳴を上げなかった。


 彼女の前には、魂が抜けたように座り込む老夫婦――実の父母がいた。


 二人の目は虚ろだった。涙は、もう枯れている。どれほど泣いたのか。今では、頬に乾いた跡だけが残っていた。


 清代姫は、その姿を見ていた。炎より苦しかった。身体を焼かれる痛みではない。


 自分自身への悔恨。愚かだった。ただ、愛されたかっただけなのに。認めてほしかっただけなのに。


 その願いが。憎しみとなり。怒りとなり。全てを壊した。


 「……父さま」


 掠れた声。だが父は答えない。ただ娘を見つめている。その視線が、清代姫の胸をさらに裂いた。


 「母さま……」


 蛇の瞳から、一筋の涙が落ちた。炎の中で蒸発し、消える。清代姫は、初めて理解した。苦しいのは、自分だけではなかった。


 愛してくれた者たちまで、自分は傷つけたのだと。その事実が、妖火よりも深く魂を焼いていた。



【終わらぬもの、その三:止まった時間】


 同じ頃。珍鐘寺のさらに奥。崩れた石庭の片隅で、一人の少女が座っていた。祀花。


 彼女は微動だにしない。ただ静かに座り続けている。


 時折。眉がわずかに歪む。唇の端が上がる。あるいは下がる。まるで夢の中で、何かを見ているかのようだった。


 肩には、薄く埃が積もっている。いつも完璧に整えられていた衣も、今は乱れたままだった。


 髪には蜘蛛が糸を張り、小さな巣を編み始めている。


 それでも彼女は動かない。誰も近づかない。誰も声をかけない。まるで、この場所だけ時間が止まってしまったようだった。



【終わらぬもの、その四:修羅の螺旋】


 そして――熊野三峯。深山の奥。濃い霧の中で、激しい轟音が響き続けていた。


 刀がぶつかる。岩が砕ける。木々が倒れる。


 早波川兄妹。二人は、なお戦っていた。兄の瞳は赤く染まり。妹の呼吸は荒い。


 だが止まらない。何度倒れても。血を吐いても。骨が折れても。再び立ち上がる。


 まるで互いが、長年追い続けた宿敵であるかのように。


 「……まだだ!!」


 兄が咆哮する。刃が振り下ろされる。妹はそれを受け止め、逆に拳を叩き込む。


 衝撃。


 血飛沫。


 それでも止まらない。


 なぜ戦っているのか。もはや二人自身にも分からなかった。ただ、止まってしまえば、自分という存在が粉々に砕け散ってしまう。その焦燥だけが、二人を戦鬼へと変えていた。


 世界のあちこちで。壊れた者たちが。終わらない痛みの中にいた。そしてその全ては、まだ静かに繋がり続けている。


 まるで、見えぬ運命の糸のように。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ