第5話 第三棟
どれくらい進んだろうか。どれくらいの時間をかけて、ドアにたどり着いたか。静かになってもしばらくは目の前も見えず、ただ世界が揺れていた。拭っても、拭っても。
こんなにあっさり、こんなにも簡単に。わたしの大事な友達だったのに。見捨てたんだ、わたしが。わたしが、わたしのせいで——
「あっ、ぅっ、あぁっ……! ナツキ、ナツキがっ……!」
「メイ、顔を上げて。責める必要なんてない。私達はメイ、あなたのために走るんだから」
「そんな……っ、そんな、のっ! それで、死んだら……っ!」
「ここを見れば分かるよ。ここにはメイの答えがあるから」
フミの声に、濡らしながらとやっと目を上げた。薄暗い空間。第三棟、先生達の棟。やっぱり人の気配はないけど。なにかあったとして、それはナツキに変わるものでもないのに。
「……うん、わかった。うんっ」
「うん、今はそれでいいから」
目の前にあるのは大きな扉。鍵穴はないけど、なにかで閉ざされてるようでびくりともしない。他には普通のドアの部屋があるみたいだけど、先にそっちに行くかな。
頭の中の、落ち着いてる自分がちょっとこわいけど、でもこれは仮面だ。いつこわれるかわからない。気を抜けばすぐにも、わたしはまた泣いちゃいそうだった。目も鼻も痛くて、頭の中はうるさく叫んでるのがその証拠。
「フミ、こっちの部屋から見よう。あの大きいドアの向こうは何があるのか知ってる?」
「あれは……外に繋がる部屋だよ。ここを出て、出るための扉」
「外?」
『星の園』の外ってことなのかな。それとももっとちがう意味? 外っていうのが単純な外だとは思えないけど、ひとまずは後回しだ。
さりげなくフミの手をにぎりながら、小さい方のドアに向かった。ドアノブを引いて、開ける。先生の棟とは言うけど、これといって特別なふんいきはなかった。でも——
「紙がいっぱい。第二棟の部屋よりも……これもキロクなのかな?」
「そうといえばそうだけど、あっちのとは少し違うよ」
「……そうなんだ」
黒くて小さな部屋に、冷たい机、かさばった紙。どれから目を通そうか。第二棟のキロクとは違うと言うし、まぁまずは、一番上から読んでみようかな。……読めるかな。
◇
お兄ちゃん達が死んだらしい。オニと戦って、あいうちをしたんだとか。みんな悲しんでいた。わたし達も、先生達も。でも、それよりも。お兄ちゃん達はヒーローになれたんだ。望まれる子になれた。だからみんな褒めていた。わたしもお兄ちゃん達みたいになれるかな。なりたいな。オニをやっつける、すごいヒーローに。
◇
最初の紙にはそう書いてあった。たしかに、第二棟のキロクとはちがう。これはなにか、日記みたいな。でも、誰の? ここは第三棟、ふつうに考えたら先生のだ。でも、これはどうもちがう気がする。
「ねぇ、フミ。これって……いや、おかしいとは思うんだよ。だってここは先生の棟でしょ? 先生しか入れないなら、こんなものは……」
「見ていけば分かるよ。一つずつ、読んでごらん。焦らなくていいから」
「……わかっ、た」
とくとくと鳴る心臓が、ゆっくりと加速している。けど、それに負けずにまたいくつか、紙を取った。ふしぎだけど、答えがここにあるなら。わたしはそれを探さないと。
◇
先生が、オニを一体連れてきた。私達がオニを殺すための訓練なんだって。だから私達はぶきを向けた。抵抗がなかったわけじゃない。すこしこわかった。でも、先生達が教えてくれたから。わたし達はヒーローになるために。思ったよりも、こわくはなかった。
————
オニはことばを話さないけど、オニにはオニのことばがあるんじゃ、とも思った。自信はないけど。じっさい、オニを見た回数なんてさそんなに多くはないし、わからないことだらけだよ。でも、どうしてかな。オニにも意思があることはたしかだと思う。
————
先生達は、なにかを隠しているのかもしれない。というよりは、なにかを必死に見せたがってるのかも。オニは敵、私達はヒーローで、ヒーローになることでよろこんでもらえる。
だったら私はヒーローになりたい。でも、そうじゃないとしたら? ううん、変に考えるのはやめよう。そんなことは教えられてないんだから。
————
人は死ぬ、わかっていた。オニを殺すように、人も殺される。なんで? なんでこんなことに。わたしが守るべきだったのに、すこし遅れただけだったんだ。逆に守られてしまった。ナツキとフミが、オニに殺された。
◇
「……え?」
息が止まった。おかしい、なんてものじゃない。だってこれは……じゃあこれは、いつのキロクなのさ。フミは生きてる。わたしの目の前で。ナツキだって、ついさっきまで生きていた。わたしの目の前で、生きていた。
「ねぇ、フミ。これはなんなの……? 生きてるじゃんか、フミはさっ。どういうこと……? 第三棟はほんとうは……なんなの!?」
目の前の現実。そしてキロク。信じられるのはふつう、目の前のフミのはずなのに。でも答えがあるこの第三棟に、ウソがあるとも思えない。だとしたら。わたしが見ているもののほうが——
「ここは、メイ。あなたの記憶そのものだよ。失った記憶、過去の事実。それそのものが記されてる」
「ウソだよ、そんなの……だって!」
「私は確かにフミだよ。見た目と性格は、だいたいフミ。でも私を作っているのは記憶を失くす直前の、メイの記憶の全て。メイの本来の理知そのもの」
ウソだ、って思いたいけど。そう言うことはできなかった。だってフミはわたしにウソをつけないらしいし。そんなおかしなウソをつく理由も見当たらないから。でも、どうしても頭の奥では認められなかった。
「じゃあ、ナツキは……っ!?」
「ナツキも似たようなものだよ。でもあっちは少し違うね。記憶を失くす直前、それよりさらに少し前の記憶。分かりやすくいえば全てに気づく前の、いつものメイの記憶だよ」
信じられない、そんなの。とてもじゃないけど、だって目の前にいるんだもん。形があって、実在して。これは夢じゃないんだから——え、いや。夢じゃない、よね。だって、そんな……こんなにも鮮明に色があるんだし。
「幻覚って、自分じゃ分からないんだよ。特にメイは、現実から逃げるために見てるんだから。でも、心の底では現実を見たがってるんだ。受け止めようとしてるんだよ」
「そんなの、なにがなんだか……」
フミがわたしの記憶で、ナツキもわたしの記憶で。じゃあここもわたしの記憶? どこからどこまでが? フミとナツキは実際に存在してたはず。『星の園』もたぶんそう。キロクは事実、ってことなのか。
「だからメイ。メイは大丈夫」
「大丈夫って……!? フミ……!?」
考えがまだまとまらないうちに、フミの身体に異常が起こった。指の先からすこしずつ、まるで灰みたいに消え始めている。これが記憶、なんだとしたら。わたしはそんなの、望んでなんかないのに……!
「待って、フミ。待っ……待ってよ!!」
「もう要らないんだよ、私はここにはさ。大丈夫だって。もうメイは十分強いから。私なんていなくても平気」
「平気じゃないよ……! 置いてかないでよ、一人になったら……わたし、私、ムリだよ!」
叫びみたいな嘆きの中で。それでもフミの身体はぼろぼろと崩れていく。止まってくれない。なんで、どうして。これじゃあ私が、取り残されちゃうじゃんか……。
「いい、メイ? あとは出るだけだよ。先に行っちゃうのはごめんだけどさ、そんな悲しそうな顔をしないで。ほら、おいで」
「お願い、待ってよ……フミ。私一人じゃ無理だって……っ!」
「そんなことないよ。メイは私達の、自慢のお姉ちゃんだもん」
強く抱きしめられながら、彼女の姿はなくなった。まるで舞い落ちる花のように、美しく、儚く。メイとは会ったばかりだった。いや、ナツキともだ。でも二人とも私を愛してくれて、私も二人を愛してた記憶がある。それだけは分かる。
「出る……か。うん、出ないと。あの扉から」
納得はできてないかもしれない。結局、誰のせいでこうなったのか。なんのためにこんな目に遭うのか。でも、泣いて止まってちゃいけない。今は、止まるときじゃないんだ。
隙間の空いた腕を抱えて、震える膝を叩き起こす。まだ記憶は万全じゃないけど、なんとなく分かってきた。ここは現実の世界じゃない。現実の『星の園』を夢で見ているだけだ。だから私は目を覚さないといけない。平和じゃないっていう、外の世界へ。
「ナツキもフミも背中を押してくれたんだ。私はそれに応えなきゃっ。だからここを出て——」
記録の置かれた部屋を出て、またあの扉の前に戻ってきた。けど、どうしようかな。鍵がないんだった。押して開くようなものでもないし、どこかにパスワードみたいな、そういうものがあるのかな。いや、でもここは記憶の——精神の中。どちらかといえば、ただ頑丈に閉ざされてるだけな気がする。
「ならなおさら、どうしよう……。私の精神だからって、なんでもかんでも自由にできるわけじゃないし……」
一人で喋っても誰も助けをくれない。最初の寂しさがここにきて——いやいや、ネガティブになっちゃダメだ。今は解決策。負の考えは足枷になる。
とはいっても、やっぱり私の考えじゃ限度がある。ナツキとフミに助けてほしい。私が持ってる実用的なものなんてないし。扉が開かないなら……破壊すべきなのかな。なおさらどうしろと。絵本とうさぎさん、非常食の余りしかないのに。
「……? もしかしたら——いや、でもな」
おかしな考えが一瞬、頭をよぎった。ナツキの持ってた爆弾、フミに譲ったそのうちの一つ。結局フミは使わなかったけど、もしかしたら、なんて可能性もあるのかな。いや、でも。
「っ、ごめんね……」
誰への謝罪なのか、私はリュックの中からうさぎさんを取り出した。ずっしりとした質量のぬいぐるみ。かわいくて、ナツキがくれたもの。道具にはしたくない。したくない、けど。もし、ここにあるなら——。
心臓が掴まれる気分になりながら、そのぬいぐるみの腹を開いた。ナツキからのかわいいプレゼントで、お気に入りのぬいぐるみなのに。後悔と義務感に押しつぶされつつ、その中身を確認した。
「あっ……はは。なんでこんなの、渡したのさ……っ」
出てきたものは——言うまでもない。綿毛が飛び散り、それだけが無機質な質量になっていた。でもこれを使えば、私は。
もう一度振り返って、また向き直した。後悔はあるし、出たくないなんて気持ちもある。だけど出ないと。だから、だからここまで来たんだ。記憶を全て取り戻すために、出るために。
カチ。最初に鳴ったのはそんな音だった。すぐに距離を取って、そこを見守る。そして、ドカン。何度も聞いたような、私の嫌いな音が響いた。そしてその音と同時に扉が砕け散り、真っ白な光に飲み込まれた。
「行ってらっしゃい、メイ」
二人の声が聞こえた気がする。光の中で、熱の中で。背中を押して、送り出してくれた。優しい声、大切な声。もう聞けない、会えない声に、私はそっと送り出された。




