76.祝宴
メル達が長い航海を経てアーカングルの港に降り立つと、再びそこには兵を引き連れたリディアの姿があった。エリンを抱き、手を振っている。メルは身軽に駆け出して行って、リディアの手を取った。
「ただ今戻りました、リディア様」
そう言ってメルが騎士風にひざまずこうとすると、彼女は笑顔でそれを断った。
「それはもう、大丈夫です。ルイス様にしていただきましたから」
そう言って、リディアはうっとりと虚空を見上げる。
「夢のような出来事でしたわ……」
ぽかんとしているメルの後から、レッドとツーとトーイが荷物を背負ってやって来た。
リディア曰く。
メル達より一足早く到着したルイスは、アーカングルの港で出迎えたリディアに短剣を返し、彼女の手の甲に接吻したという。
それから彼に笑いかけられた瞬間、リディアは恋に落ちたらしい。
「金髪碧眼、容姿端麗、それにいつの間にやらあのような精悍な顔つきになって……数年前のイメージで年下の坊やと侮っていたら、とんでもなかったですわ。どの本の挿絵の王子よりも美しかった……」
うっとりと語るリディアと差し向かい、メルも目を鈍く発光させ、深く頷く。
「そうでございましょう。美しさの前には、人は無力です。あれ以上の王などこの世に存在しません!」
女達の熱い語らいに聞き入りながら、レッドらは王宮に向かう。トーイがため息を吐いて何事かをアピールしたが、全員自然に無視を決め込んだ。
謁見の間の前で呼ばれるのを待つ。レッドは荷を降ろすと、リディアからエリンを受け取ってようやく頬ずりをした。
謁見の間に通される。
メルは玉座を見上げ、目を輝かせた。
そこには微笑むルイスと、シドの姿があった。メルは小さく膝を折って挨拶する。
「……ご無事で」
そこからは震えて声が出なかった。ブルマンを投降させたことよりも、ルイスとこうして安全な場所で再会出来たことの方が喜びは大きい。
ルイスの青い瞳が、懐かしそうにレッドに注がれる。エリンはレッドの腕に抱かれながら、空中に手を伸ばす作業に没頭していた。
「みんな、ここに再会出来たことを嬉しく思う」
泰然とルイスは語った。
「メル、奪還計画ご苦労であった。ツーよ、ブルマンはそなたの尽力なしには説得出来なかった。礼を言うぞ。トーイ、君が今回の件で一番奔走した、恩に着るぞ。レッド、君のおかげで私は快癒出来た。国に戻ったら皆に褒美を取らせよう。今から何がいいか考えておくといい」
メルとレッドは笑い合う。ルイスは少し寂しそうな顔になったが、すぐに王の顔に戻った。
「まだ早いのかも知れないが、シド王の好意で今宵、小宴の機会を設けることにした。メル達の調子によっては日にちをずらすが、どのように致そうか」
メルはとびきりの笑顔で、すぐに答えた。
「今夜で結構ですわ。船の中の食事は味気なくて、ちょうど出来立てのものが食べたいと思っていたところでしたの」
ルイスがシドに目配せをする。シドも大きく頷いた。
「ウォルターやナローには悪いが、一足先に我々で楽しくやろう。場所はウルム庭園でどうだ?ネミアもまた花を咲かせているし、ミトも一緒だ」
メルは深く頷いて、ふと背後を振り返った。
沢山の人の協力があって、彼女は今ここに立っている。レッドも、ここにいる誰か一人にでも出会えなければ、どこかで命果てていたことだろう。
同じ思いが互いに湧いたような気がして、メルは人目もはばからずレッドに寄り添う。トーイはそれを見てフンと小馬鹿にしたように鼻を鳴らしたが、その顔は快く笑っている。ツーは少し浮かない顔をして、何かを気にするように斜め上を向いていた。
ウルム庭園の各所に、篝火がともされる。
テーブルには食べきれないほどの食事が並べられ、小宴とは言い難い豪勢な飾り付けがされていた。使用人達によって色とりどりの花々がテーブルの上に活けられている。
ルイス王がフレッシュジュースを片手に乾杯の音頭を取る。ミトはよく分からないのでその前に全て飲み干してしまった。乾杯の声でエリンが泣き出す。慌ててトーイが籠から抱き上げ、彼に花を見せびらかしてあやす。
シドは立ち歩いて様々な食事に手を付けている。リディアはルイスに声をかけると、飲み物を片手に彼を宴から連れ出してしまった。トーイがそれを羨ましげに見送る。ツーは何を思ったか色々と見繕った食事を金属製の缶に詰め、次々と手提げの中に放り込んでいる。
ツーはひとしきりその作業を終えると、宴を抜け出て王宮内の牢へと急いだ。兵士にことづてをし、バーボイ神父の元へその食事を運ぶ。
「バーボイ神父……」
バーボイ教皇は苦悶に満ちた顔を上げた。
「ウォーリスは無事ですよ。さぁ、あなたも宴に参加しましょう」
バーボイはせっせと料理を並べて見せるツーの姿に落涙した。
メルとレッドは腹が満ちると、庭園の隅にあるネミアの前に座った。ネミアは
「うふふ。お構いなく。二人でよろしくやってなさいな」
と意味ありげに笑った。レッドも笑う。
「ネミアのおかげでさ……これ以上は言えないけど」
「うんうん」
「本当にありがとう」
「いえいえ、こちらこそ。今、聞こえるのよ。聖なる樹と女神の樹があなた達を祝福する声が。青い血の民が、こんなに一同で喜んだのはいつぶりかしら。私、何だか泣けて来るのよ」
メルとレッドは耳を澄ます。遠くの小宴が楽しげに瞬く中ではあるが、確かに今日はどこか木々が騒がしい気がする。
夜空には、細くなってしまった二つの月が浮かんでいた。
「ねぇ、レッド」
ふとメルが囁く。
「あなたは、自由の身よ。けど……その」
「何だ?早く言え」
メルは暗がりでも分かるくらいに赤面していた。レッドはまじまじとその様子を眺める。
「その……もし良かったら、レッドもシェンブロの名前になってもらえないかしら……と」
レッドは片眉を上げる。
「メルは人に名前を付けるのが好きだな」
「……へ?」
「勝手にそう呼んでくれても構わないけど、具体的にどういう手続きをするんだ?俺、ウォーリスの法律はよく分からない」
「あのっ、私も、そこまではよく知らなくて……」
「はぁ?何となく言ったの?雰囲気で?下調べもせず?ちょっとさぁ、そういうのやめろよ。子どもじゃないんだから俺達」
「ご、ごめんなさい……」
メルが困り果てている様子を覗き込み、レッドがさも楽しそうに笑う。メルはそれに気づいて頬を膨らませた。
「……もしかして私、からかわれてる?」
「ははは……ごめんごめん」
「私は本気よ!私にここまでついて来てくれて、叔父様の頑なな心まで溶かしたのは、あなたが初めてだわ。あなたをまた失うことがあったら、私……」
そう言い募ったメルを、レッドは何も語らず愛おしそうに微笑んで見つめる。メルはその表情に見とれ、口を止めた。
二つの痩せた月とレッドの赤い瞳を交互に見つめていると、その顔が近づいて来た。四つの月に見下ろされるような錯覚が起き――メルの唇は黙って彼を受け入れる。
メルを振り回した神の実への複雑な感情は、いつしか熱を帯びた幸福にすり替わって行く。二人の味わった苦難は全て、レッドがメルに落とす影に紛れて消えて行くような気がした。




