75.和解
メルはツーから革の前開きベストを借りて着用した。シャツの破れた箇所が見えなくなり、メルはようやくほっとする。
「こうしてはいられないわ。王族の墓地へ向かいましょう」
「体はもう大丈夫なんですか?」
「うーん、ちょっとまだ腹筋が立ち上がらない感じがあるわね……」
猫背になっているメルの肩と膝裏に腕を回し入れ、レッドは背後からメルを抱き上げる。
「わっ、びっくりした」
「馬には乗れそうか?」
「……まあ何とか」
メルは男二人がかりで持ち上げられ、ようやく馬に乗った。ツーは城に残ると言うので別れを告げ、レッドが手綱を握る。
行き先は、エヴェリナ墓地。
王家代々の墓がある、郊外の鬱蒼とした森だ。
エヴェリナ墓地には先客がいた。予想していたことではあったが、馬車と御者が待機している。
墓地の前に立っていたのは、二人の男。
ウォルターとナローだった。
「お、来た来た」
なぜかメルの登場を予測していたと見え、二人は笑い合っている。腹筋が回復していないメルは、先に降りたレッドに抱き止められる形で馬を降りた。
「叔父様、ナロー様、なぜここに……」
「あぁ、これだよこれ」
ウォルターは懐から小瓶を取り出した。
そこには青い血が入っている。
「事前にレッドから貰い、使用しようと思ってここに来たのだ。バーボイ教皇から神の実の効能について色々白状させたところ、神の実を食べた赤い血の人間は樹になると言い出したのでな。これを満月の夜に与えれば花が咲くというし、もしかしたらメルやレッドなら先代の王と会話出来るのではと思ったのだ……しかしもう、花は咲いていたようだ。とりあえず、先程青い血を注いだところなんだが……」
メルはレッドを見上げた。
「……いつの間に」
レッドは含み笑いしている。
「トーイとツーはもう城に着いているのか?私達もそろそろ戻らなくては」
ナローの言葉に、メルは慌てて告げた。
「ブルマン様はもう投降なさいました」
親父二人の時が止まる。
「……ど、どういうことだ?メル」
「私達はもう先程城に入りまして、ブルマン様とツーを引き合わせたところでございます」
「メル!お前、王の奪還はどうした!」
「ルイスなら、もうアーカングル船に乗り込みましたわ。計画が、思ったより早く進みましたの。それからレッドがブルマン様をどうしても助けたいと言うので、私も付いて行って……」
それを聞いたウォルターが小刻みに震えている。痩せた額に青筋を立て、鬼の形相でレッドを睨む。平然としているレッドに、彼は掴みかかった。
「貴様!やはりメルに返したのは間違いだったか……」
「いいえ叔父様。レッドはもう奴隷ではありませんわ。私はレッドを奴隷から解放しましたの。これはただの男。誰のものでもありません」
次々襲い来る情報に打ちのめされ、ウォルターはレッドから離れると、それきり大きくため息をついて塞ぎ込んだ。ナローが笑ってその肩を叩く。
「まぁ良かったじゃないか。恐らくメルとレッドにも、ブルマンを改心させる何かがあったのだろう。そうでなければ、ここまで迅速に解決したことの説明がつかん。レッドにメル、お前達は良くやった。私からは礼を言わせていただこう」
それを聞いて、メルとレッドは笑い合った。ウォルターはそれを歯噛みして見ていたが、諦めたように首を左右に振った。
「……レッド」
ウォルターはその名を呼ぶと、急に彼に手を差し出して来た。レッドは戸惑いながらもその手を取り、互いを称え合うように握り合った。
「正直な話をすると、ここまでやってくれるとは思わなかった……メルの頑迷さにいつか音を上げるだろう、その時メルは深く傷つくだろうと、私はそのように考えていた。だがもう、君達はそういう段階にはないのだろう。レッドも前よりかなり落ち着いて来たようだしな」
レッドは嬉しそうに微笑むと、ウォルターの目を真っ直ぐに見てこう言った。
「落ち着きがなかったのは、記憶を失ってたからだと思うんだ。自分の輪郭が欲しくて、言葉で武装しようと必死だった。けどメルのおかげで記憶を取り戻せて……そうする必要がなくなったんだ」
それを聞いて、メルが少し目尻を拭っている。ウォルターも毒気を抜かれたように瞬いた。
「……もし君が良ければ、以前言った通り、うちの薬草園で働いて貰って構わない。メル、お前にも協力を仰ぎたい。聖なる樹と女神の樹という新しい植物のために、彼らの悲劇を繰り返さないために、私も尽力しよう」
男二人の手が離れた。
夕闇が地平線に退行し、濃紺の夜空に二つの月が浮かび上がった。その時。
「メル、レッド」
聞き覚えのある声。メルとレッドは墓地の方向に耳を澄ませる。ナローとウォルターは二人を不思議そうに見つめている。
「よくぞ、ルイスを助けてくれた。礼を言うぞ。もう、ルイスの乗った船はアーカングルへと出航した」
「ヨアキム様!」
メルは森の前に進み出た。
「ここにある樹はもしや、全て神の実を食べさせられた王族ということですか?」
ナローとウォルターは息を呑んでその話に耳をそばだてている。
「そうなるな。しかし私以外の樹は、土壌が悪いのか日照条件が悪いのか、実はおろか花すら付かん。少し前に咲いたこの青い花が、死んだはずの私に、語る言葉を与えてくれたのだ……ルイスとも話すことが出来た。私の言葉がブルマンの愚行を止める一助になったとしたら、これほど嬉しいことはない」
メルは手を広げた。
「ヨアキム様!あなたのお仲間の樹が、世界中に散らばっています。私がこのレッドと協力して、きっと管理して見せますわ。この植物で、悲しい思いをする人がこれ以上出ないように。この植物の謎を解き明かし、人類をもっと強く出来るように。この世界には、まだまだ分からないことが沢山あります。私は命をかけて、これらを研究して参ります。ヨアキム様も協力していただけますね?」
ウォルターは慌ててこら、とメルをたしなめたが、ヨアキムの方は快活に笑った。
「メルは頼もしいな。ルイスにもそう伝えてくれ。早く戦乱が終わり、花咲き乱れる大地が見たいものだ。期待しているぞ、メル」
メルの頬を、自然と涙が伝う。このように王の前で宣言し、学者のひとりとして認められる日を、メルは心のどこかで待ち侘びていたのかもしれなかった。
メルは隣で佇むレッドの肩に濡れた頬を寄せる。レッドはメルの肩を引き寄せ、鼓舞するように叩いて慰める。ナローもどことなくしんみりとし、ウォルターは真剣な表情で、慰め合う男女の背中を眺めていた。
四人を乗せて、馬車が月夜に走り出す。
戦火を免れていたウォルター邸で、四人は久しぶりに暖かい食事と布団にありついた。
ウォルターとナローはこのままウォーリスに残ると言う。戦後の処理と体制の立て直しに尽力するため、留まることにしたようだ。
メルとレッドは、翌日には任務を解かれたツーとトーイを伴い、船でアーカングルへと出航した。




