74.最終決戦
城には夕闇が迫って来ていた。
久々に訪れたウォーリス城を、レッドは首を上げまじまじと眺める。全員馬を降り、城の正門に立った。トーイが一番前に出て、兵士らに何事か伝えている。
門が開かれ、トーイがこちらに手招きをした。残りの三人はほっとした表情で彼について行く。
見慣れた城内。四人は執務室に通されブルマン元帥の登場を待つ。メルは緊張の余り足が震え出したが、レッドがその背中を鼓舞するように叩く。
執務室の扉が開かれ、ブルマンが兵士を二人引き連れて現れた。いつもの白髪混じりの銀髪に、武人らしい体つきーーが見られるはずだった。
今は違った。
ブルマンは痩せこけていた。メルは目を見張る。トーイは定期的に会っているので皆よりは平然としているが、その表情は暗い。
全員が無言で佇んでいた。執務室には静寂というよりも、時が止まったかのような奇妙な空気が流れた。
ブルマンはメルを眺めると、
「……なぜ」
と静かに問うた。
「なぜ今、ここにお前がいる。ここは戦場だ。今すぐ帰れ」
メルはそれには答えず、
「ブルマン様に会わせたい人がいます」
とだけ言う。兵士がブルマンから離れ、扉の方に移動する。トーイは冷や冷やしながら二人の会話を聞く。レッドとツーは注意深く黙していた。
「……ケペル・ツー。こちらへ」
ツーは案外力むことなく、メルの声でブルマンの前に進み出る。対峙した二人は、互いを珍しそうに眺めた。
「ブルマン様。彼に見覚えはありませんか?」
するとブルマンはそれに答えず、自らの腰にある剣を抜き取った。ツーは彼の突然の行動に目を見開いて驚き、しかし尚、身じろぎしないでいる。
「言っただろう……部外者は出て行け」
ツーはその澄んだ青い瞳で、ブルマンの瞳を見つめる。張り詰めた空気に全員が絡め取られ、静けさだけが響き渡っている。ブルマンはそれらを断つように、声を張り上げた。
「こいつらを捕らえろ!」
兵士らは少しうろたえた。彼らは目の前にいるメルがルイスの幼い時分からの馴染みの顔であり、シェンブロ家の令嬢であることを知っていたからである。その一瞬の迷いを、メルは見逃さなかった。
拳銃を両丁構える。
「動かないで!」
紅一点のメルがいきなりの武力行使に出たので、男達は皆固まった。トーイは頭を抱えていたが、レッドはメルの行動に一定の理解を示していた。
(ブルマンの考えを変えられるチャンスは、今しかない)
戦況は刻々と変わる。今、どれだけの爪痕が残せるかが全てなのだ。
「……ブルマン様、もうやめましょう。プリセベラと通じてウォーリスを教皇派ごと潰しても、奴隷市場はなくならない。どんなに手を汚しても、あなたの愛した人は返って来ないの」
悪童を諭すように、メルが諌める。ブルマンは小娘の意見を鼻で笑った。
「知ったような口を。教皇派は古くからあの神の実で王族を弱体化させ、裏で政治を操って来た。奴隷市場で壮大な人体実験を繰り返し、それで得た金で傍若無人に振る舞い、人間と国、両方の尊厳を奪い続けて来た。こんな国に何の価値がある?」
メルは歯噛みした。
「……違うわ、ブルマン様。私とあなたは同じなの。青い血を愛した……私も彼らを助けたいの。私はこの国に、必ず彼らを助ける場所を作るわ。約束します、だからもう……」
ブルマンはそれを聞くと、少し目の色が変わる。少しだけ、警戒が解けたのが分かる。だが、依然として二人は武器を構え睨み合っていた。
その時だった。
………………
メルはどきりとし、周囲を見渡した。レッドも同じく、耳を澄ませている。ふとブルマンの腕から力が抜け、剣が床に落ちた。
「うっ……」
ブルマンがこめかみを抑え、ふらふらと膝をつく。メルははっとして銃をしまうと、ブルマンに近寄った。
「やめろ……また、あの声が……」
「ブルマン様、大丈夫ですか?」
そうしてブルマンの肩に触れた、その時だった。
「……うるさい!」
急に狂ったような叫び声を上げ、ブルマンは苦し紛れに剣を下から上へと振り上げた。メルは咄嗟によけ、銃の引き金を引く。
パァン!
弾いたのはブルマンの剣ではなく、扉の兵士が抜こうとしていた剣だった。兵士らの足元にレッドとツーが滑り込み、すかさずそれぞれの剣を奪う。
そのまま扉側に兵士を押し倒すと、レッドは背後から抱き付き、その首を肘窩に挟み込み、捻り上げた。ツーは兵士に馬乗りになり、目を瞑りながら必死に剣の柄で兵士の頭を兜ごと殴り続けた。
兵士らは動かなくなった。ブルマンは舌打ちする。
「そちらから片付けるとは小癪な……もう手加減はせん!」
ブルマンは突如剣をメルに振り下ろす。両腕の銃を叩き落とされ、メルはその痛みに耐えられず前方に崩れ落ちた。刹那、トーイが剣をかざしてメルの前に滑り込む。ブルマンが再び振り下ろした切っ先は、彼の構えた剣に跳ね返された。
ブルマンはすぐに腰を入れ直し、彼の脇を剣で横殴りにする。トーイは壁まで吹き飛んだ。
「トーイ!」
叫んだメルに、再び剣の切っ先が向けられる。
「女だからとて容赦はせん」
「メル!」
レッドは駆けて行き、ブルマンを背後から羽交い締めにした。ブルマンは横倒しにされるところを踏ん張って、剣を右へ左へ振り回す。メルとレッドは弾き飛ばされた。
すぐに起き上がり、レッドははっとする。
大理石の床に、赤い血が散らばっていた。その向こうに、胸から腹にかけて赤く切り裂かれたメルが投げ出されている。
レッドは走って行って、彼女の破れた服をかき開いた。トーイがレッドに駆け寄り、剣を取り出す。
ブルマンは荒い息をしてこちらにやって来た。その目は明らかに狂い始めている。ツーはメルの前に立ちふさがると、両の手を広げた。
ブルマンは目の前の青年を、その百戦錬磨の凄味で睨みつける。
「……何だ貴様は」
ツーは殺される覚悟で目の前の元帥を睨み、黙っている。ブルマンは挑発するように剣の切っ先をツーの鼻先に向けた。
ツーは震える声で問う。
「父上。あなたの剣は、女性を傷つけるために振るうものなのですか?」
ブルマンは怪訝な顔をした。
「彼女ではなく、まずは私を切って下さい。さすれば、あなたは呪縛から解放される……」
「貴様は何を」
その時、ブルマンはツーの肩ごしに、懐かしい光景を見た。
トーイの取り出した剣はレッドに向けられている。レッドは腕をまくり、その剣を迎え入れるように彼に肘を向けた。
トーイの剣がレッドの肘を刺す。
青い血ーー
ぼたぼたと果汁のように吹き出したそれは、メルの腹の傷を満たして行く。ブルマンは全く動かず、その怪しげな魔術に目を奪われていた。
倒れていたメルが、そっと目を開く。
「……レッド」
レッドはメルと目が合うと、痛みに耐えながらも微笑んで見せた。ブルマンはがたがたと震え出した。
「……まさか、あいつが……レッド」
ツーは悲しげに顔を歪め、ひとりごちたブルマンを見つめる。ブルマンの視線が、そっとツーを捉えた。
「……では、お前は?」
ツーは鼻先の剣をそっとつまむと、もう片方の手をブルマンに差し出した。ブルマンは訝しがりながらも、ツーの要求を察する。
彼は剣を下ろすと、その柄をツーに渡した。ツーは受け取るとにこりと笑い、弦楽器でも奏でるように、刃先を腕に滑らせる。
紫の血が滴った。
ブルマンは腰が抜けたようにその場に崩れ落ちる。
「……そんなはずは」
「私はバーボイ神父に隠されていたのです。あなたに嗅ぎつけられ、ツールースに養子に出されました」
「……認めんぞ。バーボイのことだ、きっとまた私を罠にかけようと」
「何せ私も幼年期を覚えていないので、そうかもしれません。けれど、誰かが誰かを好きになって、私が産まれたのは事実だと思いたいのですが……」
「……」
ブルマンは黙った。顔を上げると、紫の血のツーがいる。その向こうを見れば、服が裂けたものの、青い血に癒されたメルがレッドに助け起こされている。
ブルマンの目が、ようやく光を取り戻した。
「そうか。いつの間にか、世界はそのようになっていたのだな……」
今いる執務室に、全ての血の色が揃っていた。その事実が、ブルマンを再びこの世界に引き戻す。
「……おい」
レッドに支えられたメルがその呼びかけに半身を起こし、ブルマンを見る。
「アーカングルの軍艦はいつ来る?」
彼は憑き物が落ちた顔で、若者達を見回している。メルは小さな声で答えた。
「……もう、すぐに」
「ではそこの、トーイ。私を捕えろ。私をアーカングル軍が来るまで、牢に入れておけ」
自分を捕まえる指示を出し始めたブルマンに、メルとレッドは顔を見合わせた。ツーはようやくほっとし、その場にへなへなとしゃがみ込む。
その時だった。
「……ルイス。……ルイス」
頭に直接響く声がする。メルとレッドとツーは、きょろきょろと辺りを見回した。
メルはこの声に聞き覚えがあった。
(この声はーーヨアキム王の声!)




