72.レッドには夢がある
晴れて自由の身になったレッドだったが、今更どこに行こうという気も起こらなかった。
しかし自由を得て変わった部分がある。
今日、メルとレッド、ウォルターとツー、そしてナローを乗せた船がアーカングルからウォーリスへと出発する。王の奪還作戦に向かうためだ。プリセベラの港は現在、客船であれば入港可とのだった。
メルは客船の乗務員が荷物を積む間、レッドに話しかける。
「……別に無理してついて来なくても良かったのよ?」
レッドは首を横に振った。
「無理なんかしてない。ただついて行って、メルの無事を確認して安心したいだけだ」
「……頼りにしてるわよ、レッド」
「こちらこそ」
ふざけた物言いをするレッドだったが、メルの腰にアーカングルの最新鋭の小銃がぶら下がっているのを見ながら、彼は本当にそう思っていた。
彼女には武器があり、自分には治癒の力がある。レッドには今、恐れるものは何もなかった。奴隷から解放され選択肢が広がったことで、自分の願望を抑制することなく生きられるようになった。だからこそ。
(俺以外の、どこかで震えている青い血の奴隷を残らず助けたい)
レッドはそう考えるようになった。それは人生を賭けてもいい目標となった。
メルとレッドは港を眺める。
リディアがエリンを抱っこしながら、兵士を伴って港までやって来た。港にいた客が珍しそうに王女と赤子の組み合わせを眺めている。青い血の赤子は小さく産まれたはずだが、もう既に首が座っていた。とにかく成長著しい。
出発前に、リディアはレッドにエリンを預けた。
「次会う時は、もっとデカくなってんだろーな」
そう言って、彼はエリンに頬ずりする。一方、リディアはメルの目の前に、一本の短剣を取り出して見せた。
全ての部分が金色に輝き、色とりどりの宝石がはめ込まれている。武器というよりは、装飾品のようである。
「リディア様、これは……?」
メルが問うと、リディアは寂しげに笑って
「私の宝物です。結納の儀に使う予定でした。ルイス様に渡して下さい」
と、その短剣を差し出した。まだ王女の温もりの残る宝物。メルは目を潤ませ、それをうやうやしく召し上げた。
「必ずや、リディア様」
するとメルは騎士の如くひざまずき、彼女の手の甲に忠誠の口づけをした。
「この短剣と陛下を、無事にリディア様の元へ連れ帰ります」
リディアはメルの決意の色を湛えた瞳を見下ろすと、少女らしく胸を押さえ、鼻をすすった。かと思うと、リディアは急に厳しい表情を作って
「ご武運を祈っています」
と震える声で、二人に別れを告げた。
レッドの手からリディアの腕の中に、小さなエリンが返される。王女は両隣の兵士らに赤子を預けることなく抱いたまま、出航する船に手を振った。
船は大洋を抜けてプリセベラに入港を果たした。この船は表向きはアーカングルからの調度品輸出船ということになっている。五人はアーカングルの商人らしい服装に着替えて船を降りた。他に降りて来た商人の格好をした男らも、中身はれっきとしたアーカングル兵である。
港からウォーリス行の河川用の船着き場に入る。ここで五人は二手の小船に分かれた。一方には王子を救出するメル・レッド・ツー。もう一方にはブルマンに会いに行く……というていで、軍部の監視をせんとするウォルターとナロー、それにアーカングル兵達が乗り込む。二組は再会を念じ合い、別々の小船で水路を進む。
「地下迷宮ってどうやって入るの?」
地図を広げながら、メルが尋ねる。
「この、井戸から入れます」
答えながら、ツーは図の一点を指した。
「ルイスはどこにいるのかしら?」
「追手の攪乱のため、複数の家を渡り歩いているそうですよ」
「どこにいるか決まってないのか。もう少し休むかな……」
そう言うとレッドは緊張感なく船に寝転がり、目指す地域への到着を待った。メルは苛立ち、ツーはくすくすと笑う。
船はとある家の前に接岸した。ウォーリスのある地域には、家ごとに河川からの搬入口を持っている一帯がある。そこで三人は降ろされた。その家に荷を搬入するふりをして入る。その家は無人であった。庭に出ると、小さな井戸に似せた入り口があり、そこから三人は地下回廊に下りる。
「ルイス様がいる家は事前に決めていないそうですよ」
「行き当たりばったり、しらみ潰しに調べて行くしかないのかしらね?」
「王の宿泊ルーチンをあえて作ると何かの弾みで情報が漏えいし兼ねないからな。雑、適当が命綱と市民は考えたんだろう」
レッドはそう言って歩き出した。するとツーが急にぐるぐると壁を見渡して
「こっちだと思います」
と言い出した。レッドは口を曲げて
「おいツー、根拠を言え」
「パンを焼く香りがします」
その言葉に、ハァ?と首を傾げたレッドだったが、メルはハッと顔を上げた。
「ルイスはパンが好きだわ」
「何だそれ。そんなのどうだって……」
「行ってみましょう、レッド。どうせしらみ潰しに探すんでしょう?」
レッドの抵抗も空しく、ツーの意見に従うことになった。レッドは彼を不思議そうに眺めている。
しばらく歩くと、白いネズミが出迎えるように水路の中央で待っていた。メルがあっと声を上げたせいですぐに走り去ってしまったが、淡い鈴の音が行き先を明らかにした。
「あのネズミ、飼われているみたい」
「戦乱のさなか、悠長にパンを焼く家なんてなかなかないですよ。王のいる可能性が高い」
ネズミの姿はもう見えなかったが、回廊のとある行き止まりまでやって来た。ツーは地図を確認する。
「この上に、民家があるようです」
レッドは一か八か、指を輪にして口笛を吹いた。すると井戸の向こうから声がした。
「王の好物は?」
メルが大きな声で答える。
「パンよ」
「飼っている動物は?」
「きっと、白い鈴付きネズミだわ」
「合言葉を言え」
「そんなものは存在しないと思う」
「君の名は?」
「私の名前はメル・シェンブロ」
それからしばらくして縄梯子が下ろされた。三人は顔を見合って頷き、レッドを先頭に梯子を上って行った。井戸から顔を出して驚いた。そこにはトーイが待っていた。
「……驚いた。随分と早く着いたなぁ」
「ルイスはここにいるのね?」
メルが尋ねると、トーイは首を横に振った。
「……いや、ここにはいない。いたはずだが、もう移動してもらった」
「どういうことだよ。説明しろ」
レッドが急かすように言うと、トーイはいつになく真剣な顔をして声をひそめた。
「我々は、既にウォーリス軍に追跡されていたようだ」
三人は声をなくす。次の瞬間。
地下でドーンと鈍い音が響き渡り、ものすごい量の煙が井戸から間欠泉のごとく吹き上がった。更に続けざまに複数の爆発が起こり、その地響きに立っていられず皆しゃがむ。メルは何か叫んだが、その声も爆発音でかき消されてしまう。
静寂が、恐怖と共に戻って来た。
「回廊が爆破されるという情報を入手し、慌ててロス一族を回ったよ。間一髪、間に合って良かった。回廊はもう使えない。地上から行くしかない」
トーイはそう言って、三人に小屋から廃れ行く街へ出るよう促した。商人らが真っ先に戦火を逃れるべく逃げ出してしまったらしく、町は機能を失い死んでいた。すれ違う人は皆荷馬車やリヤカーで生活物資を運び出している。親を見失い泣いている子供や捨てられ惑う犬達を見るにつけ、メルは怒りで震えた。一体誰が、こんな事態を望んでいると言うのだろう。
重い雲が立ち込めている郊外へ四人は歩いた。牧場にさしかかり、戦乱とは無縁とでも言いたげな、緑に覆われた平地が広がっている。そこにぽつんと牛舎があった。トーイは迷うことなく、古びた牛舎へと歩いて行く。メルはどきりとした。
まさかこんな所にルイスが……?




