69.男奴隷は神の実を食す
王宮の会議室から独房に移動させられたバーボイ教皇は、何の抵抗をすることもなくその中で待機していた。
ウォルターと協議を終えたナローがやって来て、教皇に告げる。
「お前に会いたがっている奴がいるぞ」
バーボイは顔を背けたが、
「入れ」
それを合図に入って来た男を見、バーボイの表情が一変する。
銀髪に青い目の男。
「やはり、バーボイ神父でしたか。私のことを覚えていますか?あの時は、そう。ランスと呼ばれていました。今の名前は、ケペル・ツーです。引き取られた先の、ツールース風の名前を付けてもらったのです」
ツーはそう淀みなく述べたが、教皇の顔は真っ青になっている。ツーは予想していた反応と違ったらしく、更に続ける。
「あの、覚えてらっしゃったら、それだけでいいのです。その、色んな人が色んなことを言ってますが、私はバーボイ神父を信じていますよ。だって、紫の血を褒めて下さったのはあなただけでしたもの。神と同じ血の色だと、慰めて下さって」
「……出て行け」
教皇の言葉に、ツーの笑顔が凍る。
「お願いだ……今すぐ、出て行ってくれ」
ツーは悲しげに顔を歪めたが、教皇の懇願にも似た口ぶりに、少し思うところがあったようだ。
「バーボイ神父、また来ます。今日はお疲れのようですから、気が変わったらいつでも呼んで下さい」
そう言い置いて、ツーは独房を出て行った。ナローは複雑な表情でバーボイを見下ろす。
と、バーボイは涙を流し始めた。ナローはぎょっとしたが、まじまじと老人の顔を眺める。
「何で泣いてやがんだ?」
ひとりごちたナローに、バーボイはぽつりと呟いた。
「……私はあの子の言うような、良い人間ではない」
「……」
「しかし、あのように彼が生き延びていたなら、良かった。死ぬまでの、多少の慰めにはなった」
「……何だぁ?ジジイ。今日はよく喋るな」
「ナローよ。わしは今から、おかしなことを言うぞ」
「……ほう」
「ウォーリスをプリセベラに攻撃させた張本人は、ブルマンだ」
静寂。
ナローは鉄格子ごしにバーボイと対峙した。
「お前は何を言って……」
「ブルマンはプリセベラと内通していた。ブルマンはウォーリスを滅ぼすつもりでいる。私はそれを知っている。恐らくプリセベラ側は、ブルマンを操れたと思っているだろう。実際は逆だ。プリセベラが彼に利用されたのだ」
ナローは汗をかいた。ふと、思い当たる点が次々と彼の中で浮かび上がる。それらが線になり、立体になり、確信が生まれる。
「ナロー、お前は青い血の奴隷市場のことを調べていたらしいな?ブルマンの情報を、どこまで知っている?」
ナローは唇を噛んだ。
「ブ、ブルマンは……トリニット村で、青い血の女と懇意に」
「ほう。そこまでは知っていたか……」
「けれど、それと国を滅ぼそうとすることと、どういう関係が」
「ナローはその先の、もっと大事な情報を知らんのだな。ブルマンはその青い血の女が奴隷市場の中で殺されたことを知っている」
「……!」
「彼はまだ憎しみの渦中にいる。だが今、私は一筋の希望に出会った。すぐにでも、ブルマンを憎しみから解放しなければならない。そのためには、ランス……じゃない、ツーの協力が必要だ」
ナローは袖で汗を拭う。
「おいおい、こりゃ……はぁ?そういうことか?いやいや確かに、よく見りゃ似ている……」
混乱している風で、ナローの頭は限りなく整理されて来ていた。
「やはり、あれは神の子だ。私は奇跡を見たぞ。ブルマンを止めるには、あれしかない」
教皇はそう呟いてから、再び涙を流し、下を向いた。
「私は……酷いことをした。ブルマンにも、あの子にも」
ナローが感情のやり場なく、崩れ落ちる教皇を見下ろす。教皇はかつての自らの仕事、または愚行を悔いているようだった。それが何かは定かではないが、ナローの次にやるべきことが決まる。
「さーて……どうしたものか」
数日後。
レッドは膝をつき、ネミアに成った青く固い実に火をつける。
やはり、燃えない。メルとツーは顔を輝かせた。
「やっぱりそうだ。これが、神の実ーー」
リディアとミトもそれを遠巻きに見守っている。
「そろそろ召し上がっていい頃ではないですか?大人の握りこぶしくらいなんですから」
レッドはメルに目配せをしてから、
「……うーん、でも今はゴタゴタして忙しいしなぁ」
と呟く。リディアが助け舟を出した。
「でもレッドさん。期を逃せば、また以前のように食べられなくなってしまうのではないですか?」
ツーも合わせて言う。
「レッドの一生が決まるんですよ。食べるべきです。その後のことは何とかします。私も協力しますから」
レッドはミトを見る。ミトは心配そうにレッドを見つめ、こう言った。
「でも、神の実食べたらお腹痛くなるんだよ」
レッドは頷いた。
「そこなんだよなぁ」
メルは初めて聞いた話に学者らしく興奮する。
「腹痛があるの?どんな痛み?」
「そこまでは俺も体験してないから分からないよ。けど、食べたことのある奴を見たことがあるんだが、ありゃ相当苦しいな。七日間くらいは布団に入ったきり、食事もままならない」
「そうなの?でも大丈夫よ。私が看病する」
「あの子はどうする?」
赤子はツーの背におぶわれたまま、斜めに眠りこけている。
「もちろん、私が面倒見ますよ。孤児院で沢山の赤子の世話をしましたし、育児には自信があります!」
それを聞くと、レッドは迷いを振り切るように、唐突に神の実をもぎった。ウルム庭園の一角がどよめく。レッドはその丸い形の青い実を少し持ち上げ、まだ枝を揺らしているネミアに言った。
「ありがとう。これ、いただくからな」
そうして、あっさりとそれをかじった。メルは頬を紅潮させながら、レッドの思い切りの良い食べっぷりを見つめる。
林檎のような甘酸っぱい香りが漂い、しゃくしゃくと歯ごたえのある食感が庭に響く。白い可食部を全て平らげてから芯の部分の種まで飲み込み、へたの部分だけ残してレッドはようやく一息ついた。
「……あぁ、思い出した。こんな味だった。美味い。もうひとつ行けそう」
余りに緊張感のない台詞にリディアが思わず笑い、メルは少し不満げに口を尖らせる。
「……というわけで、見世物は終わりだ」
「リディア、寝室の用意は出来る?」
「はい。使用人の部屋でよろしければ」
ツーは背中の赤子をおぶったまま、庭園を去ろうとするメルにそっと尋ねる。
「あのー、質問なんですが」
「何かしら?」
「この子の名前は何ですか?」
メルはハッとし、レッドに尋ねた。
「ねぇレッド。この子の名前、何にする?」
レッドは頭をぼりぼりとかいてから
「そうだったな。名づけはメルには任せられないから、俺がつけないと」
「……どういう意味よ」
メルがふくれている。レッドはツーの背に回って、赤子の頬を撫でると、
「エリンってのはどうだろう」
と呟く。
「青い血の民の古代語で、希望っていう意味だ」
するとツーも笑顔になった。
「いいですね。希望かぁ」
レッドは微笑むと、メルと連れ立ってリディアの案内について行く。ミトはツーの元にやって来て、手遊びをせがんだ。
その時、向かい側からナローがこちらに歩いて来た。レッド達と入れ違いにウルム庭園へやって来た彼は、ツーを見つけると真顔で尋ねて来る。
「……君、確か測量士だったな?」
ツーはハイと答え、赤子をしょい直す。
「そしてその師は、マーカス・ロス……」
ツーからいつもの微笑みが消え、困ったような顔になる。その変化をつぶさに見つめながら、ナローは言った。
「話がある。こちらへ来なさい」
ツーはミトに何か言い聞かせると、ナローについて行った。
アーカングルの風は、ネミアを不安げに揺らしている。




