64.教皇の筆跡
ようやく聖堂の真裏に来た。人気はなく、窓から中を眺めるが灯りはついていない。
ただ留守であるというだけで、生活の生々しい痕跡がそこかしこにある。
窓には鍵がかかっていた。メルは石を拾うとガツンとガラスにぶつけ、鍵を外した。物音に反応するような気配もないので、メルは窓を開けて侵入する。
その時、上階でばたんと大きな音がした。何やら男の声がする。メルは飛び出る心臓を抑えながら、足音を立てずに階段を上る。男は何か叫んでいるようだった。男の声がするのは二階の書斎。メルはそっと扉を開け、中を覗き見た。
そこには男が転がっていた。月明かりの中その姿を確認し、メルは目を剥いた。
床には手足を縛られたバーボイ教皇が転がっていたのだ。一方のナローは立ち上がり、バーボイの腹を何度も踏み付けていた。
「くたばれジジイ!やはりお前が黒幕か!」
「待て、これは何かの間違いだ!ふぐっ。なぜ黒幕の私が縛られているんだ?黒幕が縛られて転がされているわけがなかろう!」
「うるせー、死ね!」
「おまっ、ふぐっ。こ、殺す気か。ふぐっ」
メルは慌てて部屋に入ると近くの燭台に火をつけた。辺りが急に明るくなって、男達にようやく静寂が訪れた。
「おお、お前は……」
「おっ!メル、無事だったか!お前も縛られて、海の洞穴に転がされていたのか?お互い難儀だったなぁ」
メルは周囲を見渡してペーパーナイフを見つけると、教皇の束縛を解いてやった。教皇は体をその場に崩すと、メルに礼を言った。
「ところでクソ教皇。お前はなぜこんなところで縛られていたんだ?」
ナローは少しの間さえあれば、バーボイを貶めることを欠かさない。バーボイは腹を幾度となく踏まれ、憤怒の表情のまま苦しそうに答えた。
「私にも、何が何やら分からないのだ。ウォーリスでいつものように教皇の仕事をしていたら、兵士に襲われこんな辺鄙な所に連れて来られたのだ。しばらく軟禁状態にあったが、今日になって兵士の出発と同時に薬品を嗅がされーー気付いたら、今このように」
「嘘つけじじい!お前が黒幕だ。青い血の奴隷市場を束ねているのはウォーリス正教会だ」
「ああ、奴隷市場には正教会は確かに関わっていたがーー青い血?とは何だ?」
「とぼけるなジジイ、紫の血の子を欲していたのは正教会だろうが」
「そうなのか?私はそんな指示を出した覚えはない。私は命尽きるまで、正教会でそれなりに頑張って行きたいなーぐらいの野心しかないぞ」
「無能の教皇らしい浅はかな考えだな。しかし、そう言いながらも実は野望を……」
「はい!皆さん少し落ち着いて下さいませ!」
メルが割って入って、二人の話を制止した。
「とりあえず話は後です。私達は薬品の効き目が切れ、無事ここでこうして落ち合えました。ナロー大臣の説とバーボイ教皇のお話、どちらが本当なのかはこの屋敷を捜索すれば分かることです。ですから私達の力を合わせて、神の実を悪用していたのは誰なのかを掴みましょう!」
バーボイはそれを聞くと、窓から海を眺めた。
「まだ船は来ていないか……いつもなら日の入り前に帰って来るはずだが」
「メル、そういえば銃はどうした?」
「それが見つからなくて」
メルがそう言うと、ナローがにやにやしながら部屋の隅を指す。
そこには大量の猟銃が立て掛けられていた。メルは近づいて肩に引っかけると、気まぐれに銃口を窓の外に向け、撃つ。
パァン!
窓ガラスが割れる音と銃声に驚き、ようやく立ち上がったバーボイが尻餅をつく。メルは猟銃の先を月に向けながら
「……いける」
と呟く。ナローがさも楽しそうにくっくと笑った。教皇は猟銃を何丁も担ぎ始めたメルを見て唖然としている。
「初めて使うから重いけど、射程が長いからいいわ。窓から向けても兵士を蹴散らせる」
「おいおい……このお嬢さんは何なんだ?」
「知らんのかクソ教皇。アレは銃士隊で訓練を積んだんだ。護身にとウォルターが習わせたが、結局誰よりも強くなってしまったのだ」
メルは聞かないフリをしてそのまま家探しを始めた。引き出しに本棚、全ての紙類を取り出して机上に暴いて行く。奴隷を売買した領収書の束が見つかり、メルはサインを確認する。その全ての紙にシャシム・バーボイの署名があった。それを横で見ていたナローは憎々しげに教皇を睨む。
「それ見ろ!やはりお前が署名したんだ、認めろ!」
「そ、そんなはずは……」
「筆跡が完璧だわ。どう見ても教皇の字」
「これはおかしい!そ、そうだこの日付を見ろ。ルイス王子の即位式の日付だ」
バーボイ教皇は書類の山からそれを探し出した。
「即位式の日にも、私が署名したことになってるぞ!しかし私はその日、一日中ナローと共にウォーリスにいたはずなのだ。ここでサインしている暇などないはずではないか」
「隠れてサインして、それを船で運ばせればイケる」
「おま……冷静になれ!どうしても私を犯人に仕立て上げたいらしいが、私に何の利益がある?リスクを冒してまでサイン書きに精を出すか?」
ナローは舌打ちをした。バーボイは大きなため息をつく。
「濡れ衣だ。誰かが私の筆跡を真似て書いたのだろう」
「……何のために?」
「私に罪をなすりつけるためではないか?」
冷静に分析をして、教皇は腕を組んだ。
「とすると、犯人は誰なのだ?」
「おいクソ教皇。のんびり推理ごっこしてないであんたも家探しを手伝え」
メルは本棚をひっくり返し始めた。読んでみると、それは聖なる樹の観察日誌であった。大変貴重な資料だが、持ち運ぶには難儀だ。読みながらも持ち運びに迷っていると、窓際にいたバーボイが叫んだ。
「船が来たぞ!」
メルとナローは慌てて窓に張り付く。月明かりたなびく海を、帆船が泳いで来る。
「あれはいつもの、トダリヤから来る船だ」
「そんな……どうしよう」
「くそっ。結局ここまで来て、見つけたのはクソ教皇のサインだけか……」
同時に、聖なる樹達の声もメルの脳内にさざめいた。
「船が来たぞー!」「お姉さんどこ行った?」「島の草むらに隠れるしかない」
メルは猟銃を背負い、更にそれらをナローとバーボイにも手渡した。二人の親父がメルの顔を恐る恐る覗く。メルは眼光鋭くこう告げた。
「いい?もう後には引けないわ。私達に残された道は、兵士一掃。それしかないわ」
ナローとバーボイは青い顔で猟銃に視線を落とす。




