5.男奴隷は今なら逃げられるけど学者令嬢を見捨てられない
朝食の席に着き、奴隷と女主人はそれぞれ食べ始める。
「おい学者」
「あら、遠慮なくメルと呼び捨てにしてくれて構いませんのよ」
「じゃあメル」
レッドは端的に言った。
「俺、どうにかしてあんたの奴隷を辞めたいんだが」
メルはその言葉をふむ、と朝食と共に咀嚼して
「奴隷を安全に辞めるのに、いい方法があります」
レッドが目を見開いていると、メルはにこりと笑って囁いた。
「私と共に手柄を上げるのです。王子の病の特効薬を見つけ、王子が即位された時、私が王子に進言しましょう。この奴隷はあなたの命の恩人であると。さすればあなたに恩給が与えられます。それを元手に経済的に自立すれば、あなたは私の枷なしに生きることが可能です。その時を以って、奴隷の身分からあなたを解放することに致しましょう」
レッドはうなだれてこめかみを押さえた。
「先が長い……」
「先を長くするのも短くするのも、全てあなたの協力次第です」
「つら」
「何を言いますか。あなたはいつだって、苦しい使役に耐えて来たではありませんか」
「知ったように言うなよ!」
レッドは嫌なことを思い出しそうになったのか、苛つき始めた。メルはハッとして、
「ごめんなさい。そうよね、あなたは火口にトラウマがあるんですもの。今日の仕事を負担に思っているのよね」
「まだ生きてたのその設定」
「それで私一晩考えました。あなたに嫌われずに今日の仕事を遂行するには、どうしたら良いのかを」
メルはキラキラした目で彼を見つめるとこう言った。
「火口には私が入ります。レッドは命綱を持って、合図があったら引き上げて下さい」
レッドは食べかけのパンを落とした。
「本気か?」
「だって、前の騎士様にもこれが原因で逃げられてしまったのです。彼はきっとこれから騎士仲間にこのことを吹聴して回ることでしょう。私を守ってくれる騎士は、恐らく今後現れません。私、あなたに逃げられるわけには行かないのです!」
「……」
レッドはメルの瞳に宿る覚悟を見た。メルも、レッドの瞳に別の感情が生まれているのを目撃している。レッドは少し頭をめぐらすと、納得したような顔になった。
「なーんだ。それぐらいなら、やってやるよ」
メルはみるみる笑顔になると、
「よろしくお願いします、レッド」
と言い、ペコリと頭を下げた。
「分かったよ、任せとけ」
レッドは負担が減ったことに気を良くしたのか、目の前の食事をがつがつと平らげ始めた。
メルはほっと胸を撫で下ろす。
火山の火口付近は観光客で賑わっていた。あちこちから水蒸気が上がり、赤い溶岩の周辺には柵が張り巡らされ、見学客は行列を作りながら立ち見している。誘導員もおり、自由に探索出来るような雰囲気ではない。
近くに間欠泉があり、吹き上がるごとに歓声が上がる。それを口を開けて眺めるレッドに、メルは声をかけた。
「レッド、そこには行きません。こっちこっち」
メルが指差した方向は、派手に赤く光る火口付近ではなく、もっと低い場所にある、何の変哲もない洞穴であった。
「……そっちなの?」
想像と違ったので、レッドは驚いている。
「俺はてっきり火口に宙吊りにされるのかと」
「今回はそちらには行きません。いいですか。私が命綱を付けて入りますから、レッドは私がこのラッパを……」
メルは小さなラッパをプピーと吹いた。
「こう鳴らしたら、綱を引いて引き上げて欲しいのです」
レッドは再び洞穴を見た。
「俺が綱を引いたら、メルは引き摺られるんじゃないのか?」
するとメルはこともなげにこう言った。
「洞穴の中は毒ガスが充満しています。歩いて帰ることが難しそうなので、お目当ての鉱石を見つけ次第、毒にやられない内に引き摺ってでも早めに引き上げて欲しいのです」
「ああ、そういうこと」
メルは自身の胴に縄をくくりつけた。周囲の観光客の好機の視線、誘導員の困惑の視線がざくざくと刺さる。メルは笑顔で周囲に手を振ると、洞内に入って行った。
メルの足音が消えて行った。もう一度間欠泉が吹き上がる。それを再び口を開けて眺め、しばらくするとレッドは
「よし」
と呟いて踵を返す。
「今が逃げるチャンスだ」
その時だった。
「あはっ、あははははははは」
洞内からメルの笑い声がこだまし、観光客らがざわつき始めた。
「あはははははははははは」
レッドは足を止め、振り返った。
「……何だぁ?」
近くで様子をうかがっていた誘導員がこちらに駆け寄って来る。
「お連れ様、早く助けてあげて下さい」
「何でだ?あいつはラッパが鳴ったら命綱を引いてくれと言ってたぞ」
あはははははははははは
「多分、お連れ様はもう毒ガスにやられています」
あはははははははははは
「そうなのか……」
「お連れ様、早く」
レッドは考えた。
(今なら逃げられる)
しかし同時に彼の中でメルの言葉が爆ぜる。
ーー殺したりはしないで下さいね。私には、やり遂げなければならないことがあるので
レッドは舌打ちをした。
「……しょーがねぇなあ」
レッドは命綱を引いた。鈍い音がして、急にするすると縄が引ける。レッドは唖然とした。結んでおいたはずの命綱の結び目が、どうやらほどけてしまったらしい。
「あっ、あのバカ……」
隣で見ていた誘導員も顔を青くしている。先程までの元気な笑い声も聞こえない。レッドは慌てて自らの体に命綱をきつく結んだ。
「おい、そこの男」
レッドは誘導員に命綱を託した。
「俺も笑い出したらその綱を引いてくれ。頼んだぞ」
言うなりレッドは洞内に駆けて入った。所々に光る石があり、思ったほど暗くはない。硫黄のような臭いが鼻の奥をつんざき、目も痛くなって来て、レッドは顔を手で覆いながら奥へ踏み込む。
ふと足元を見ると、鉱石が散らばっている。それを辿って行くと、暗がりにメルが横たわっていた。
膝をついて顔を覗き込むと、メルは
「王子……」
とうわ言を言った。
レッドは彼女を抱え上げると背中におぶった。意識を失った体は女のそれでも相当に重い。暗い洞内を光のある方へ慎重に引き返すと、レッドの腹が急にぐらぐらと煮えたぎって止まらなくなった。
「はははっ」
思わず出た声に、レッドは驚きを隠せない。
「は、ははは……うぅ」
意識が遠のく。と、ぐいんと腹に結んでいた綱が引かれた。もんどりうってうつぶせに倒れ、レッドはメルを乗せたソリになった状態で綱に引かれて行く。
頬と腹が岩場の地面にこすれて熱い。
こめかみに光が差し、ようやくレッドは寝返りを打つように空を仰いだ。観光客と誘導員が頭上で大騒ぎしている。
その声に安心し、レッドは意識を失った。




