42.青い血の驚くべき生態系
二つの月が出て、海を明るく照らす。砂浜に向かって足を伸ばすように。メルは竪穴式住居の覗き穴から外を見た。
ミトとトーイはすっかり寝付いてしまっている。メルもうとうとしながら、女神の樹の声を待つ。
「………………」
「何か言いたそうね、女神の樹さん」
戯れに呟くと、
「そりゃあね」
返事があったのでメルは慌てた。女性の声だ。トーイでもミトでもない。メルは聖なる樹の花粉が自らのポケットにあることを確認すると、そっと竪穴式住居を出、女神の樹の元へ向かった。
月光を浴びて、その樹には青い花が咲いていた。メルは震えるほど感動しながら樹に近づく。
「あなたはーー」
メルが声をかけると、
「私はイリヤ。赤い方かしら?いつもの人と違う。うん、でも青い血も入っているのね。不思議な人」
女神の樹が名を名乗ったのでメルはびっくりした。ネマラートから持ち帰った聖なる樹は名乗らなかったので、余計に驚いてしまう。
「私はメルと言います。あなたにはなぜ、名前がついているの?」
素朴な疑問に、イリヤは簡単に答えた。
「私は樹になる前、青い血の人間だったから」
衝撃の告白だった。
メルはびくりと身体を震わせる。青い血の人間だった……ということは。
「青い血の人間はその内、樹になってしまうの?」
イリヤは笑った。
「あら、常識よ。あなたそんなことも知らないの?」
はい……と答えながら、メルは思う。
(ということは、レッドもいつか樹になってしまうの?)
どのようにして、彼らは樹になるのだろうか。メルは興味の赴くまま尋ねた。
「あなた達は、最初は人の形をしているわけね。どのようにして樹になるの?」
「うーん、そうねぇ。簡単に言ってしまえば、あなた達が言うところのーー自殺かしらね」
メルは固まった。
「自殺?」
「そうよ。正確には、肉体を捨てて、胚になる選択をするということ。私達の身体は、芽を出すための胚なの。そう、正に種よ。歩く種」
メルは足の生えた種を想像した。しかし、妙に納得してしまった。植物には、綿毛を付けて飛ぶことを選択する種がある。生物の身体に入り込み、糞と共に排出される選択をする種がある。様々な選択肢でもって種の保存を目的に生きているのだ。人間に擬態する種があってもいいのかもしれない。
ーーというような話はさておき、メルはその先のことがどうしても気になってしまう。
「では、ミトも?」
「ミトもそうね」
「いつ頃自殺してしまうの?」
「大体、人間で言う出産適齢期に、よ。十八歳前後かしら。本能で、無性に自殺したくなる時が来るのよ。そうすると、一番日に当たりそうなところを選んで死ぬわけ。うまくいけば女は女神の樹、男は聖なる樹になるわ。私はここを選んだ。育った土地から離れることが、どうしても出来なくて」
メルはレッドの年齢を考えた。見た目からは十八歳以上な気がするが、正確なところはどうなのだろう。特に尋ねたこともなかった。であれば、そろそろーー
メルは悲しくなって来た。二つの塔に女神の樹があるということは、レッドはそこで、聖なる樹として死んでしまうつもりなのかもしれなかった。ふと、メルはレッドの体温を思い出す。
「……メル、どうしたの?」
不穏な空気を察して、イリヤが問う。メルは鼻をすすった。
「イリヤ、私……あなたに、まだ聞きたいことがあるの」
「いいわよ。なあに?」
「青い血の人間って、赤い血の人間の異性を好きになると思う?」
イリヤは何かを察して黙った。メルは固唾を飲んで反応を待つ。
ふと、イリヤは決心したように答えた。
「青い血の人間が、神の実を食べれば、あるいはーー」
メルは怪訝な顔をする。それからはっと気がついた。ウォーリスの薬草園で、聖なる樹から聞いたことを思い出したのだ。
ーーその実は火を点けても燃えない性質があるからすぐにそれと分かるだろう。実から子供たちが産まれたら、その中から丈夫そうなひとりを選んで、その〝神の実〟を食べさせて欲しいーー
「青い血の人間が神の実を食べれば、青い血の本能が消え、赤い血の人と同じ身体を手に入れることが出来るわ。そうなれば、赤い血の人間と交わることが可能よ。上手くいけば、二人の間には紫の血の子供が生まれるの。そしてそれは、全人類の悲願ーー私達が、神に勝つ唯一の手段」
メルはイリヤの言葉を反芻した。新しい言葉が出て来た。紫の血。アーカングルで聞いた、奴隷の話を思い出す。まさか、彼らはーー
「……色々、一気に話しすぎたかしら」
月明かりを浴びてイリヤが潮風にそよぐ。メルはポケットから、そっと聖なる樹の花粉を取り出した。
「ううん。イリヤ、ありがとう。とてもためになる話だったわ。お礼にこれ、どうかしら。聖なる樹の花粉なんだけど」
「あらま。嬉しい……ふふふ」
イリヤはどこか官能的な口調で呟く。メルは脱脂綿に花粉を付け、イリヤの花にポンポンと乗せた。
「一応聞くけど、これどこの聖なる樹?」
「これはネマラートの聖なる樹よ。そこのひこばえ」
「あらそうなの?ひこばえが生えるほど元気な樹なのね?色々と楽しみだわ」
植物学者になって、まさか植物と会話することになろうとは。メルはくすぐったく笑って今までの旅を思い返す。
そしてまさか、歩く植物に恋をしてしまうとはーー人生、何が起きるか分からない。
神の実は赤い血の人間にとっては毒だが、青い血の人間にとっては赤い血の人間と同じ身体になれる神聖なものなのだ。
メルの心に、ぽっと神の実が浮かぶ。
これをレッドに食べさせれば、レッドは自殺しなくて済むかもしれない。
(でも、もし拒否されてしまったら……)
その可能性はゼロではない。レッドがどのような感情や本能を胸に秘め、どのような選択をするかは、赤い血のメルには推し量れないところがある。
(そうなる前に神の実を手に入れ、調査しなければならない……早くレッドを見つけなければ)
ネマラートで聞いたところによると、かなり長い年月、神の実は見つかってないと聞いた。メルは再び尋ねた。
「ねえイリヤ。受粉して実が出来るまで、どれくらいかかるのかしら?」
イリヤは受粉の感動からか、荒く呼吸しながら答える。
「青い人の入った実は、一年程度かかるわ。でも、神の実はとても成長が早いの。そしていつ出来るか分からない。こればかりはそれこそ神のみぞ知る、ね。噂では、百にひとつらしいわよ」
随分気の遠い話だ。メルは自分の努力ではどうにもならないことに振り回されている。けれど、その中にもひとつの点、一本の線があると信じて進むしかない。
「この村で、その神の実を食べた人はいるのかしら?」
「うーん、うちにはいないわね。どうも最近出来た神の実は、売り払われたって話を聞いたわ」
「……誰に売ったかは分かる?」
「分からない。でも、ウォーリスの王宮に売ったという話は聞いた」
王宮内の誰かに売った。
メルは様々な王宮内の人間を思い返した。大昔から継続的にこの蛮行を重ねているとすれば、長い歴史を持った貴族や一族が犯人だろう。ふとメルは思い当たる。
シェンブロ家も例外ではない。
メルは首を振った。けれど、一番怪しまれずに植物を持ち帰られるのは薬草園の……
メルはそこで一度思考を停止した。誰かを疑えばきりがない。




