40.コルト島の幼女
次の日の朝、メルは書店で購入した地図とウルム庭園で購入した種をどっさり箱に詰めて、トーイと共に新島調査船に乗り込んだ。
新島調査船なので、途中に新島が発見されればコルト島に行かず進路変更するという話だった。不確定要素の高い船旅だったが、それも何かの縁とメルは思うことにした。
奇妙な感覚だが、聖なる樹を手に入れたことが、メルの中の何かを少しずつ狂わせているような気がしていた。あらゆる枷を外され、何かに引き寄せられ、誘導される感覚だ。まるで花畑を舞う蜂のように。
ふとメルは、自分は蜂なのではないかと思う。雄花から雌花へ飛び回る蜂。彼らの中の誰が好きで飛んでいるというのだろう。奇特な環境に振り回されているだけではないかとメルは思う。
「どうしたんですかメルさん、難しい顔して」
トーイが何も考えてなさそうな顔でそう尋ねて来る。メルは船べりにもたれて青い海を眺めた。
「俺には言えないみたいだが、王から何か言われたんだな。何か、依頼か?」
メルは考えあぐねた結果、答えることにした。
「ある実を調査して欲しいとの依頼よ。毒のある実なんですって」
「レッドは追いかけなくてもいいのか?」
「この船は、最終的にツールースに寄港するらしいわ。ちょうどいいじゃない。その実を探しながら、ツールースへ行くの」
「じゃあ、レッドを追うのが優先ということか?だとしたら新島調査船では遅いんじゃないのか?」
肝心なところはぶっ壊れているくせに、細かいところで目ざとい。メルは全部話せないもどかしさに苛々しながら
「色々あるのよ」
とため息をついて見せた。
トーイも海を眺め、何やらこらえ切れないと言うようににやついている。何だか気になって、メルは尋ねた。
「どうしたの?ずっとニヤついて」
トーイはやれやれとでも言うように首を振ると、
「あんなに女と意気投合したのは、リディアさんが初めてなんだ」
などと言い出した。
「……今度、最愛の人に会わせてくれるんじゃなかったの?」
呆れ顔でメルは問うたが、浮つくトーイの耳に届いたのかは定かではない。
この新島調査船はまず、五日ほどかけてコルト島に向かう。広い海のど真ん中の島で、最近発見された島らしい。灼熱の島なのでトーイは甲冑の類を脱ぎ捨て、船員から麻の作業着を譲って貰った。メルは長袖をたくし上げて船を降りる。
コルト島は、青々とした密林の生い茂る薄暗い島だった。船が着ける砂浜は一箇所しかなく、すぐ目の前に岩肌が迫っている。円柱状の島が一箇所だけ崖崩れを起こしたような形状だった。
船は水を補給するために、ここに二日ほど停留するという。その間に、神の実の手がかりを探し出さねばならない。
メルとトーイはものの数分で、既にその蒸し暑さと陽射しでぐったりしていた。湿気が喉に迫り、息をするのも辛い。
メルは島を見渡した。ぱっと見た様子では、二つの塔らしきものは見当たらなかった。メルは目を閉じると、周囲の様子に耳を澄ます。トーイはメルの顔を覗き込んだ。
「………………」
メルは目を開けた。
「……いるわ」
そう呟くと、同じく船から降りたばかりの航海士を捕まえる。
「ねぇ、今日は満月?」
航海士はびくびくしながら
「少し欠けていますが、そろそろ満月です」
と答える。メルは頷いた。
「トーイ、ここに目当てのものがあるかも知れない」
トーイは口を開けたままメルの一連の奇行を眺めている。
「探しましょう。この密林の中に、聖なる樹があるかも知れないの」
新しく飛び出した植物の名前に、トーイは顔を曇らせた。
あの地獄が、再びーー
葉の形、花の色などの特徴を全て教え、メルはトーイと命綱を繋いで密林へ分け入った。ウォーリスの薬草園で抽出したハーブのオイルを全ての露出箇所に塗りたくり、虫除けも万全だ。
密林の中にはひとつ、小さな川が流れていた。小さいとは言っても激流で、周囲には蛇やワニが闊歩していた。トーイは少し震えながらずっと剣に手をかけている。メルはたまに立ち止まっては目をつむり、何かと通信している。トーイは内心、メルはやはりレッドを失ったショックで頭がおかしくなってしまったのではないかと彼女の心の健康を案じた。
メルには確信があった。聖なる樹の、声にならない声がする。花が咲く少し前の段階だ。月夜に開花する可能性が高い。今日は絶好のチャンスだ。
そう思った、次の瞬間。
密林の上方から蛇に襲われた。男の太ももほどの大きさのある蛇だ。メルが銃でその頭を撃ち、トーイがその腹をざく切りにする。二人の連携で蛇は難なく仕留められた。
「……メルさん。俺達、意外と息が合いますね?」
メルは無視しながら何か考えて、蛇の頭の方を持った。切り離された尻尾の方はまだうねうねと蠢いている。
「この島に人はいないのかしら?」
「俺が船の中で聞いた話では、ほとんどが奴隷として売られたって話だったな。ところで、何でそんなことが気になるんだ?」
メルはふと何かに気づき、蛇の口の中に手を突っ込むと、それを取り出して見せた。トーイが顔を歪ませながら恐る恐るメルの手を覗くと、そこには調理後らしい蒸した芋が握られていた。
「調理の形跡があるわね。全員が連れ去られたとは限らないし、気をつけて行かなければ」
メルは聖なる樹の周りに文化圏があることを警戒していた。ネマラートにはあったわけで、ここにあってもおかしくはない。
メルは自然の驚異より、人の痕跡を探して歩いた。更に歩くと、木の燃えかすを発見する。
「誰かいる……?」
トーイが呟いた、その時だった。
「おーい」
子どもの声がする。メルは身構えた。
「おおーい……」
メルとトーイは茂みに隠れてしゃがみ込んだ。そっと鼻先から上だけを覗かせる。向こう側から、小さな子供が降りて来た。メルはその子供の姿に、はっと息を呑んだ。
そこには褐色にボサボサの短い赤毛、そして赤い瞳の女の子が立っていた。布を体全体にぐるぐると巻きつけるような服を着ている。五歳くらいだろうか。
「ねぇみんな、どこ行ったの?お腹空いたよぉ……」
言うなり子供が地べたに座り、しくしくと泣き出した。メルは堪らず飛び出した。トーイが慌ててそれに付いて行く。
子供はメルを見上げ、安心したのか更に激しく泣き出した。メルはしゃがんで子供の目線になり、話しかける。
「どうしたの?迷子になったの?」
赤毛の子供は小さな声で
「……お腹空いた」
と答えた。メルはトーイに目配せして、固パンを荷物から出してもらった。
「これ、食べてもいいよ」
メルが差し出すと、子供は途端に笑顔になり、がつがつと食べ始めた。
メルはその赤い瞳に吸い込まれた。女の子だが、その切れ長の目がレッドによく似ている。
「大人はどうしたの?あなたの村はどこ?」
メルが尋ねると、その子供は恐ろしいことを言った。
「私、お兄ちゃんに洞窟へ隠れろって言われて、しばらくして外へ出たら、みんないなくなってた。村には今、誰もいないよ」
メルとトーイは顔を見合わせた。ふとトーイはメルから視線を外し、唸るように呟いた。
「この子をどうにか隠して……他は皆連れて行かれたんだな、奴隷として」
メルの眉が悲しげに八の字になる。レッドもそのような事件を経験して、村を追われたのかもしれなかった。
「そう……あなたの村はどこ?」
「おねーちゃん、私もう疲れた」
「そうなの?連れて行ってあげるわ」
メルが子供に背を向けてしゃがむと、子供はぴょんとメルの背に飛び乗った。メルはおぶって立ち上がる。
「村は、あっち!」
子供の指差す方へ、メルは歩き始めた。指は島の一番高いところに向いている。
「先は長そうだなぁ……」
トーイが愚痴っぽく言い、メルは歩き出す。
深い密林に、光が差して来た。




