37.騎士様と令嬢と王立ウルム庭園
一方その頃。
メルは船から降り、夕闇のアーカングルの港を見渡していた。磯の香りがし、市場には見たこともない生鮮食料品が並んでいる。少し汗ばむ気候に、メルは上着を脱いだ。
トーイは愛用のマントを剥ぐように脱ぎ、雑嚢に突っ込む。夕方でこれなら、昼はもっと暑くなるであろう。
メルは城下町に目を向ける。
あの中に、レッドが捕らわれた見世物小屋があるのだ。
「メルさん、まずは宿を取りましょう」
トーイの勧めに従い、メルは宿を探す。街中はまだ人で溢れ返っており、宿屋街にたどり着くのも一苦労だ。
宿にそれぞれの荷物を下ろすと、メルは早速トーイを引っ張り出してアーカングルの街に繰り出した。いても立ってもいられないのだ。トーイは無言で嫌がりつつも、船旅で疲れた体を引きずるようにメルの後を追った。
「すみません!見世物小屋はどこにありますか!?」
メルが街中の通行人を手当たり次第に捕まえてそう声をかけていると、
「今日は中止だ中止」
向こう側から黒服の男がやって来た。メルとトーイは身構えたが、相手はこちらのことを全く知らないようであった。メルも見覚えのない男だったので、気にせず尋ねる。
「中止って……何かあったんですか?」
すると黒服の男はため息混じりにこう言った。
「見世物の奴隷が自殺しやがったんだよ」
メルの顔から血の気が引く。トーイは更に尋ねた。
「そいつの血は何色だ?」
黒服の男はすぐに
「紫色だよ」
と答える。メルはへなへなとその場に崩れ落ちてしまった。
「紫……?青ではなくて?」
黒服の男はそれを聞いて、驚いた顔を見せた。
「何だ、あんた青い血の奴が見たかったのか。あれなら、伝書鳩によると逃げられたらしい。ツールースを捜索中とのことだ。あんたらわざわざ調べて見に来てくれたのか?残念だったなぁ」
メルとトーイは顔を見合わせた。ツールースに行ったとは初耳だった。ツールースは元々プリセベラとアーカングルの中継地点として栄えた港だ。そこで彼らが一度降りたとしても何ら不思議はない。
引きつっていたメルの顔に、みるみる笑顔が戻る。トーイもつられて笑うとメルを引っ張り上げ、二人は手を固く取り合った。急にニコニコし出した二人に、黒服の男は困惑を隠せない。
「……大丈夫かい?」
「あ、もう大丈夫です!トーイ、行きましょう」
メルは踊るような足取りで宿屋に引き返す。トーイも慌ててその後を追って行った。
「……新婚旅行かな?仲がいいなぁ」
黒服の男は暖かく男女の背中を見送った。
港へ駆け戻ると、メルは早速船場のもぎりまで走って行き、ツールース行きの行程表を眺めた。次にツールースへ行く船は五日後に出るとあり、メルは肩を落とした。
「五日間足止めかぁ……」
「まあまあメルさん。レッドのことだから、きっと上手く逃げてるだろう。ところで、あと五日間、どうしようか?」
メルははたと我に返ってトーイを振り返った。じろりと無遠慮な視線を向けられ、トーイは閉口した。
「メルさんの顔に、お前と一緒に五日もここにいるのか……と書いてあるみたいだが」
「長文失礼。でも……そうね、どうしようかしら」
二人は港を出て再び宿屋に引き返す。小さな食堂に入ると、メルは自分の考えを披露した。
「実は私、一度アーカングルの王宮庭園へ行ってみたいと考えていたの」
トーイは予想外の提案に面食らった。
「アーカングルにもシェンブロ家の薬草園みたいなものがあると?」
「いいえ。アーカングルの庭園は個人所有ではなく、王立よ。名はウルム庭園。世界でも類を見ない大庭園と言われているわ。あそこは専ら観賞用の植物を栽培しているの。この国の主力輸出品よ。あなたのような人はご存知ないでしょうけど、今、観葉植物の価格は空前の高騰を見せているわ。あの堅物のウォルターでさえ、お金に目がくらんで観葉植物の開発を始めたぐらいよ」
「儲かるってことか。ならメルさんも、そろそろそういう研究をしたらどうなんだ?王子の病も、レッドのおかげで治ったことだし」
「いつかはそうするつもりよ。でも……」
メルはふと腕組みをして黙り込んだ。
「青い血で治る病気……ねぇ、ブルマン元帥は持病ってあった?」
トーイは斜め上に視線を移した。
「特にないとは思うけど、風邪にはかかってたな」
「青い血は風邪には効かない……」
「さっきから何の話だ?」
「いいえ、こっちの話よ」
メルは自らの手を眺めた。青い血の入った小瓶が割れて指に刺さった際、手を洗ったらあっという間に傷が塞がった。レッドも傷の治りが異常に早かった。ブルマンも傷を癒された経験があると言っていた。だがブルマンは風邪をひくし、メルも普段より特別体調が良いわけでもない。
青い血は、決して永久持続の万能薬ではない。
「私、まだ観賞用の植物を育てる気にはならないの。ルイスの体調が気になって」
「メルさんは真面目過ぎやしないか?もうルイス王の心配はしなくても」
「少し引っかかるのよ。青い血について、知らないことが多過ぎる。ルイスもずっとあのままとは限らないわ。私、まだまだ薬草について学ばなければならないの」
次の日、メルとトーイはアーカングル王宮に向かった。城の一階が左右に分かれた出版局になっており、中廊下を通るとウルム庭園へ出られる。王宮の一階部分だというのに、まるで商業施設のような賑わいである。それには理由があって、出版局には本屋があり、庭園には草花の直売所が設けられていた。一般国民も兵士の検問を受ければ自由に出入りが可能だった。
メルとトーイは長蛇の列に並びながら魂が抜けた状態で入場を待つ。ようやく入れた時には正午になっていた。
メルは左右に分かれている出版局の中央廊下をまっすぐ抜け、王宮の裏庭に当たるウルム庭園に足を踏み入れた。そこには広大な敷地が広がっていた。木々に潮風が吹き、常に葉のざわめく音が楽しめる。
こちらの庭園もしっかりと手入れされているが、ウォーリス王宮の寸分たがわず刈り込まれた格式張った庭園とは違い、自然さを徹底して追求した簡素で美しい庭園だった。作業中の人々もいて、熱心に庭木を剪定している。季節の変わり目だからだろうか。
メルは剪定の様子を眺め、ふと気づく。剪定しているのは、女ばかりだ。緑の明るさが女達に降り注ぎ、鋏の音が静かに、一定のリズムでさきんさきんと鳴り響く。メルはうっとりと庭園を見渡した。
「楽園があるとしたら、きっとこんな場所だわ」
メルがトーイに囁くと、はしごから女が降りて来た。女はこちらに歩いて来ると、急にこう尋ねて来た。
「あなた、メルさん?」
メルはびっくりして女を眺めた。こちらはまるで見覚えがなかったのだ。彼女は麦わら帽子を脱ぐと、自らの顔を指差し
「ほら」
と言った。金色の髪を顎で短く切り揃え、そばかすのある女性。メルはパチンと両手を打って叫んだ。
「……リディア様!」
トーイは何も分からずただ頭を掻いている。
「あのー、ちょっと説明を……」
「リディア様よ!アーカングルの第四王女!」
トーイはそれを聞いて目を丸くする。
この庭用作業着に麦わら帽子の女性が、王女であるという。トーイは勿論初対面だった。彼が慌てて膝を付くと、リディアは額の汗を拭って言った。
「あ、そーいうのは結構ですのよ、立って立って。久しぶりねメルさん。騎士の方も初めまして。私、父の即位を記念しての巡行でウォーリスについて行ったことがあるの。そこでメルさんに会ったのよ。あの時は、メルさんはルイス王子の侍女だったわね?」
メルは空を見て、三年前のあの日を思い出そうと頑張っている。
「そう、確か三年前……私は侍女ではなく、当時は王子の看護役として勤めておりましたの。リディア様、あれから素敵なレディになられて」
「ほほほ。良く言われるわ〜。ところで今日はどのような御用なの?植物園の見学でしたら、ウォーリスから出る前に予約下さればよかったのに。今日は生憎、我が国の植物学者は皆出払っておりますの。私で良ければ案内致しますわよ」
メルはとりあえず愛想笑いをして、
「……薬草なんかの取り扱いは、ありますか?」
と小さな声で尋ねた。リディアはむふふと忍び笑いをして、
「ありますが、販売されてる種以外を持ち帰ったら死刑だから勝手に案内するのは難しいですわね。でもルイスの病気のこともあるから、私から一度庭園主……つまりお父様に聞いてみましょうか?」
と言う。メルは真剣な表情に戻って頷いた。
「いいんですか?」
「あら、だってあの金髪碧眼美少年且つ今は王であらせられるお方を、失うわけには行きませんもの!あれは世界の乙女の宝よ!」
「……!リディア様、リディア様もそう思います!?」
怒涛の女子トークが始まりそうなところを、トーイが割って入った。
「ではリディア様、行ってらっしゃいませ。メルさんはここで私と待ちましょう」




