36.アーカングルの新島調査船
それからは毎日測量の日々が続いた。各地の村を回り、とりあえず海岸線を一周してからというもの、ツーは毎日宿に篭って何事かの計算に明け暮れていた。最終的にはトダリヤの地図は雪山のふもとにて完成した。山の高さは登らずとも計算で出るから心配ないとツーに言われ、レッドは何が何だか良く分からない内にひとつの仕事を終えた。
「これにて完成です。ナスキー村の印刷局にまた地図を持って行ってあげましょう」
どうやら完成とのことで、二人はナスキー村の印刷局に行った後、村長に何枚か刷ったばかりの地図を持って行く。それは大層喜ばれ、二人はその日村長の家に宿泊を許された。
二人は暖炉の前で寝転んでいたが、
「ところでレッドさん、洞窟の天球図から目指す島の所在が分かりましたよ」
ツーが唐突にそんなことを言った。
「本当か!」
地図屋は簡易の世界地図を広げて、アーカングル西の、海のど真ん中を指し示す。
「ここです」
示された場所には何の島もなかった。
「未発見の島のようです。この位置だと、常夏の可能性がありますね」
レッドは腕を組んだ。
「うーん、行くには船を借りるしかないか……」
船を動かすような財力はない。レッドが頭を悩ませていると、ツーが言った。
「まずはこのトダリヤの地図を販路に乗せるべく、出版局へ行きましょう。今は大航海時代でどの国も領地の探索に余念がありません。どこかの船に乗せて貰えば、辿り着けるかも知れない」
なるほど、とレッドは目を輝かせた。
「で、ツーが言うその〝出版局〟ってどこにあるんだよ?」
「あれ、言ってませんでしたっけ。アーカングルの出版局です」
レッドはとたんにしかめ面になり、ふーと息を吐いた。
「その行き先、変更出来ないか?」
「えっ、何でですか。アーカングル王宮の出版局にようやく作れたコネクションを、あなた一人のために変更なんて出来ませんよ」
アーカングルはここ三十年の間に群雄割拠時代を終えて新しい統一王政が興った大国で、最近になって多くの測量技師を囲い込もうと必死だった。領有の主張には陸のみならず諸島の実態調査が不可欠なのである。その大国のアンテナに、この地図屋は食い込んでいたらしかった。
「アーカングルには見世物小屋の連中がいるんだよ」
レッドがそう訴えると、ツーは困った顔になる。
「でも、約束しちゃったからなぁ。これは依頼の仕事だったので、今更断れないんですよ。王宮からの要請ですからね」
レッドが何も言えないでいると、ツーは更に続けた。
「……ここでお別れですかね?」
「分かった、分かったよもう……俺もアーカングルに行くよ」
レッドはしかめ面で首を横に振り、再びごろんと横になる。ツーはそれを微笑ましく眺めた。
次の日。
二人はトダリヤからアーカングル行きの船に乗った。船旅の末アーカングルに着くと、そこは港も城下町も同じような賑わいを見せ、隆盛を極めていた。港から見える一本道が王宮へ続いている。レッドはこのような無防備な王宮を初めて見た。城塞や丁字路の鎧を捨て裸一貫を良しとするような街並みに、レッドは少し胸のすくような気分になる。
王宮の一階にある出版局では、兵が来訪者を仕分けていた。ツーとレッドはある列に仕分けられ、呼ばれるのを待つ。
レッドが人波に圧倒されていると、
「新島発見が続いているからでしょう」
とツーが壁にもたれながらため息をついた。
「彼らも測量の技術者のようです。冒険者もちらほら……ああ、あれは植物学者」
レッドは驚いて振り返った。が、そこにいたのは植物の苗を沢山抱えた男の植物学者だった。
「あのような発見も、王宮は求めています。かなり気前良く買い取ってくれるんですよ。この国は新興国なので、とにかく子供のように全てを吸収して行くんです」
長い時間待たされ、レッドの足の裏も痺れて来た頃
「ケペル・ツー!前へ!」
との呼び声。ツーはハイと答えた。レッドは落ち着きなく彼の後を追った。
二人は印刷局とは別室の学者の詰所に呼び出された。学者らはツーの測量方法について興味があったらしく、レッドには分からない専門的な話に花を咲かせている。
「しかし君の地図は細部までよく出来ているね。この前の地図も、現地で確認したが正確で驚いた。どこで測量を覚えた?」
「ウォーリスで、師匠から習いました」
「師がいたと?その師匠はさぞ立派な御仁なのだろうな。道具はどこで買った?」
「折り畳みの物差し以外は常に現地調達を心掛けています。旅の邪魔になりますから」
ツーの横顔は自信に溢れている。レッドはしげしげとその表情を眺めた。
学者は役人と話をつけて、金を持って来た。
「これが約束の謝礼だ。次は売上いかんによって印税を支払おう。また一年後に来たまえ」
「ありがとうございます。……それから、少しご相談が」
顔を上げ、ツーは学者に切り出した。
「これから新島を調査する船はありませんか?測量先を探しているんです」
すると学者達は嬉しそうに笑った。
「まさに渡りに船だ、我々も測量士の予備員を探していたのだ。そろそろ出る船がある。お望みならば乗せよう。ただし、船内での食料と備品調達は各自に任せるがな」
「乗船許可証は今日発行可能ですか?」
「今申請すれば今日中に審査が通るだろう」
話がとんとん拍子に進む。レッドは何だか嫌な予感がして来た。話が出来過ぎている。
「船はこの海を回遊する」
更に指し示された場所は、まさにレッドらが目指す方向である。
「ここに小さな島がいくつかある。以前に流れ着いた漁師によると、無人島と原住民が住む島とが混在しているらしい。もしもの時のために、武器も持って行った方がいいだろう。準備を万全にするように」
レッドとツーは王宮を出、街をぶらついた。ツーは周囲を忙しく見回しながら、レッドの服を引っ張った。
「あそこに、ターバンが売ってますよ」
レッドは服屋をぼうっと眺め、ツーに向き直った。
「何だ急に」
「その髪の毛の色、目立つんですよレッド。この国の住民と同じ格好をしておけば、追っ手のいい目くらましになります」
なるほど、と呟いてから、レッドはツーに言う。
「……お前に会ってから、妙にとんとん拍子だな」
「何ですか?どうかしましたか」
「お前、まさか見世物小屋の関係者じゃないだろうな?俺を騙して実は」
「……はぁ?」
ツーは呆れたようにかぶりを振る。
「こちらこそ、正直な話をしてよろしいですか?」
「何だよ」
「あなたこそ、急に都合良く私の前に現れて、思わしげに謎の神話とか語り出さないで貰えます?気になって夜も眠れないんですよこっちは」
「……はぁ?」
今度はレッドが声を上げる番だった。ツーは服屋に入るとレッドにターバンを巻いてやりながら、内緒話をするように声を落とす。
「いいですか?つまり、我々は何かの流れに乗っているようなのです。それが何の力かは分かりません。でも、我々はそれに乗るしかない。確固たる背景を持たない私達には」
その時だった。
街の外が急に騒がしくなり、レッドとツーは服屋の窓越しに通りを眺めた。
地面に倒れている男が見える。それを取り囲んでいるのは、黒いフロックコートを着た男達。一目で二人は彼らが見世物小屋の連中であると気づき、慌てて窓から下にしゃがみ込んだ。
道に、何か見慣れぬ色の液体が流れ出している。それは倒れた男から流れていた。ツーは窓べりから外をそっと覗き、震えながら口を押さえる。
紫色の血。
「ツー」
レッドが震える彼の肩を抱く。
「大丈夫だ、俺が付いてる……」
しかしレッドの声も震えていた。どちらかというと、恐怖より怒りから来る震えだった。
「あいつら、青い血のみならず、紫の血まで見世物にし始めたんだ……」
レッドは目を凝らして倒れている男を見た。ツーとは違い、褐色の、よくいる奴隷のような出で立ちの男だった。肌色と血の色には相関性がないらしい。紫の血だから肌は白いとは限らないようだ。
二人の男が黙って外を見ていると、服屋の店員が呟いた。
「最近、血は赤い色だけじゃないらしいですねぇ」
レッドとツーは振り返る。店員は二人の事情など知る由もなく、何事もないように話を続けた。
「今、世界は大航海時代じゃないですか。辺境から連れて来た奴隷に紫の血の奴がいたそうですよ。見世物小屋で公開されてますね。私はそういうのは趣味ではないので、見に行くことはないですが。今日初めて見ました」
「辺境の奴隷……」
レッドがうわごとのように呟く。
「レッドさん、もうここを出ましょう。買い出しをすぐに済ませ、船に逃げるのです」
ツーは服屋の店員に支払いを済ませると、レッドを連れてそそくさと町を後にし、港の露店街に入った。
既に二人が乗る予定の船は停泊していた。固パンや干し肉、柑橘類を港で買い込んで、既に申請の通っていることを確認し、船に乗り込む。
二人はようやく部屋のベッドに腰かけ、息を吐き出した。
「……驚きました」
呟きながら、ツーは目をこすっている。
「同じ血の色の人が、いたーー」
その目からは涙が溢れて止まらない。レッドは心配そうにツーに向き直った。
「あ、あの人は私と同じだ。なぜ私は助けようとしなかったんだろう。なぜ私はここにいて、彼は捕まってしまったんだろう。私はいつかああなるのか?ああなったら、どうすればいいんだ?肌が白いから見逃されているのか?私は私は私は」
レッドはツーの両肩をがしりと掴んだ。
「落ち着け」
ツーは目から鼻から全ての水分を吐き出しながら、ぴたりと黙った。
「捕まったら、俺が絶対助けてやるから」
「そんなの、どうやって」
「どうやっても」
「絶対なんてこの世に存在しないんですよぉ」
「お前は〝絶対〟は〝絶対ない〟と言っているのか?」
はたとツーは我に返った。
「じゃあ、あるんだよ。絶対は。心配するな。なるようになる。だって俺達は現に今、見つからずに助かっているんだ」
レッドはそう言うと再び立ち上がった。
「そろそろ日が沈む。気分転換に甲板に出ようぜ。ほら、食料持って」
二人は甲板に出ると、高い位置から港を眺めた。夕日を受けて入港して来る大きな船がある。二つの欠けた月が出て来て、空は赤と青のグラデーションで彩られる。
「……空、きれい」
ツーがそう呟いたので、レッドは吹き出した。
「笑わないで下さい」
「無理無理。いい年の男が」
レッドは船べりを背に持たれている。ツーは大きな船から降りて来る人々を眺めていた。ツーはその中にウォーリスの騎士の姿を発見し、懐かしいなぁと呟く。
「何か言ったか?」
「いえ、何でもありません。ちょっと昔のことを思い出しただけです」
騎士は女を連れている。ツーは直近の悲しい思い出に行き当たり、潮風に当たってそっと目を閉じた。
帆がするすると張られていく。
間もなく出航のようだ。




