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第3章.ウォーリスの薬草園

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31.聖なる樹の声

 夜が更ける。月が二つとも満ちて、明るい夜だった。


「リサ……リサ……」


 メルはその声で目を覚ます。体を起こし、周囲を見渡したが、誰もいない。寝惚けて再び枕に顔をうずめるが


「リサ……どこ?」


 声は尚も続いている。少年の声のようだ。メルは目を見開いた。


「誰?」


 たまらず空中に問い掛ける。しんとして、返事はない。メルは震えながらベッドから降りた。


 窓を開ける。やはり、外から声がした気がするが……


「リサ、遅くなってごめんよ。花が咲かないと、話せなかった。どこにいるんだリサ……」


 声は明らかに耳に届いている。心に語りかけて来るような、こもった声。メルはどきどきしながらウォルターの屋敷の方に目を移す。どうもそちらから聞こえてくるような気がしたのだ。メルは急いで乗馬服に着替えると、そっと家を出た。まさか、との思いが頭をよぎる。


「来てくれ、リサ。私には足がないから」


 声は、メルが歩くにつれ大きく頭の中に響いて来る。声の主に近付いているのだろうか。


「君が来てくれるしかないんだ。頼むよ」


 メルはその声に突き動かされ、慌てて町の厩に馬を借りに行った。夜着のまま、ウォルターの屋敷まで馬でひた走る。メルの中に、ある確信が芽生え始めていた。


 声の出所に辿り着き、メルはのどから心臓が出かかる。


 声の主は、薬草園の外に植えられた聖なる樹だった。


 聖なる樹は、ひっそりと青い花を咲かせている。


 初めて見る、聖なる樹の青い花。いつの間に咲いていたのだろう。


「……あなたは一体」


 メルが声を掛けると、


「一体って。見て分からないかな」


と聖なる樹が答えた。会話が成立したのだ。メルはくらくらと倒れそうになる。と、そこへ。


「あっ!いたぞいたぞ……」


 駿馬の駆けて来る音がして、なんとブルマン元帥がやって来た。展開が早すぎて、メルは状況が掴めないでいる。ブルマンは青ざめながらメルにまくしたてた。


「こいつがわけわからんことを言っていたのか!?化け物め、叩き斬ってやる!」


 言うなりブルマンは剣を取り出し、月夜に掲げた。メルは慌てて樹の前に立ちはだかる。


「落ち着いて下さい!これはレッドが命がけで取ってきてくれた樹なんです、斬るだなんてやめて下さい!」


 それを聞いたブルマンは聞き分けの良い幼子のように、おずおずと剣を下ろした。メルはそれを確認して聖なる樹に向き直る。樹はつつましく花をつけ、ひっそりと成り行きを見守っていた。


「聖なる樹。あなたが喋っているのね?」


 メルが問うと


「聖なる樹って、私のこと?」


と樹が言った。


「わっ、まだ喋ってる!」


 おののく元帥を脇に、メルは構わず続けた。


「ね、リサって呼びかけてるみたいだけど、リサって誰なの?」


 すると聖なる樹は悲し気な声で


「君がリサではないの?」

「私はメルと言います。リサさんって……聞いたことのない名前なんですが」

「ではあの青い血は誰のものだ?私は確かに、リサの青い血を注がれたのに」


 そこでメルははっと気がついた。


 あの日、レッドは確かに聖なる樹に青い血を注いだ。メルの表情が固まったのを見て、ブルマンが覗き込んで来る。


「メル、どうした?何か心当たりでも……」


 メルは振り返ると元帥に話す。


「心当たりがあります。ブルマン様、少し……あの、そこで黙っていて下さいませんか?」


 ブルマンが冷や汗をかきながら口を結ぶと、聖なる樹は再び喋り出した。


「レッドって誰だ?あれはリサの血だぞ」


 メルはその言葉にしばし固まり、咀嚼してから思い当たる。


「まさかリサって……レッドのこと!?」


 聖なる樹はお構いなしに続けた。


「私はこの日を待っていた。リサの血が、私に力を戻してくれた。花を咲かせ、束の間の言葉を与えてくれたのだ。どうかそこの君達、私の願いを聞いてくれ。私の、この花の花粉を、女神の樹の花へ運んでほしい」


 メルは急いでちり紙に花粉を詰めながら


「女神の樹って、どこに生えているの?」


と尋ねる。聖なる樹は言った。


「どこかは分からない。でもきっとリサなら見つけ出してくれるよ」


 樹はレッドに厚い信頼を寄せているようだ。メルは久し振りに心からの笑顔を見せた。


「そう。つまり、あなたと似たような形の、雌の木を探し出せば良いのね?」

「そういうことだ。この際、リサでなくても良い。とにかく受粉させてくれ、頼む。そしてもしリサに会うことがあれば、また連れて来て欲しい。青い血が入るほど、私は花をつけられるから。ああ、我が一族のために旅立った子、リサ。どこにいる、リサ……」


 聖なる樹はずっとこうして動けぬまま、レッドのことを探していたのだろうか。そう思うとメルはこらえ切れなくなり、涙を流した。


「一族のために旅立ったって、どういうこと?」


 目を擦り、震える声で尋ねると、


「話すと長くなる。朝が来る前に、君達にもう少しだけ伝えたいことがある」


 聖なる樹は焦り出した。メルは目を拭う。


「聞きましょう」

「女神の樹に受粉させたら、実がなるのを確認してくれ。実には青い血の子供が詰まっている。気をつけて欲しいのは、中に子供のいない実があることだ。その実は〝神の実〟という特別な実だから、取っておいてくれ。その実は火を点けても燃えない性質があるからすぐにそれと分かるだろう。実から子供たちが産まれたら、その中から丈夫そうなひとりを選んで、その〝神の実〟を食べさせて欲しい。その実には神フォニケオスに打ち勝つ力が備わっている。フォニケオスからかけられた呪いが解け、再び我が一族、ひいては人類全体が繁栄するだろう。世界は元に戻る。現在の歪んだ生殖体系から解放されるのだ」


 メルとブルマンは聖なる樹の語りにじっと聞き入る。青い血の一族とは、この聖なる樹から生れ出た一族だったのだ。どうやら数を減らしてしまったのも、この奇妙な生殖体系にあったらしい。


 そしてその生殖体系は……この聖なる樹いわく〝呪い〟らしい。


「私の力では、今宵しか言葉を残せない」


 聖なる樹はメルに言い聞かせた。


「リサに会えないのは悲しかったが、メルとやら、君と話せて良かった。リサによろしく伝えてくれ。リサ、私達は君を愛している、ひとりではないと伝えてくれ」


 メルは何度も頷いた。


「分かりました、伝えます。そしていつか必ず……リサをここに連れて来ます。また、素敵な青い花を見せて下さい」

「リサ……リサ……」


 聖なる樹はその名を呼び続けると、言葉を失い、いつもの樹に戻る。


 二つの月の色が薄らぎ、朝がやって来る。


 メルは立ち上がると、ゆっくりブルマンに向き直った。


「……なぜあなたにも、聖なる樹の声が聞こえたんでしょうか」


 ブルマンは急に震え出すと、がくりと膝を付いた。


 メルは怪訝な表情で目の前の元帥を見下ろした。

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