29.ルイスの即位式
喪が開け、ウォーリスは新しい王を立てる儀式の準備を始めていた。戴冠式は今日の昼頃行われるらしい。メルはウォルターの屋敷で何やら恐ろしく襟の立ち上がったドレスを着せられていた。唐草の地模様の入った淡いブルーの絹、深緑色の美しい宝飾品、晴れた空に木々、何もかもメルには色褪せて見えた。
メルは、レッドを失うのがここまで辛いとは思いもしなかった。食欲も失せ、以前仕立てたドレスにも少しゆとりが出来ていた。ずるずると引きずる裾を使用人に握らせ、メルはゆっくり階下に降りて馬車を待つ。
そこにはメルの荷物が全て並べてあった。
あの後、メルはウォルターに屋敷を出ることを伝えた。それきり叔父とは話していない。メルは覚悟を決めていた。ウォルターの屋敷には二度と入らない。次会うのは、叔父が死んだ時だろう。何とか自活の道を探し、自分の薬草園を持って見せる。その準備を始めなければならない。
メルが思いつめた顔で立っていると、ジャンがやって来た。馬車に荷物を乗せ、メルの手を引いて乗せる。メルが眼を送ると、ジャンは頷いて見せた。
「メル様、どうかお元気で」
メルは無表情のまま馬車に乗った。使用人の女性二人も乗り合わせる。まずはメルの自宅に向かい、使用人達が荷物を降ろす。それから王宮に向かう。ウォルターは先に入っているらしい。鉢合わせでもして、顔を見るのかと思うと虫唾が走った。
王宮では煌びやかな衣装をまとった大臣やその妻、子らでごった返していた。メルは女性の中で唯一異性の同伴者を持っていなかった。今のメルにはそれがいっそ清々しく、むしろ誇らしい。
(好きでもない男の隣で笑っていなければならない人生なんて、御免だわ)
お付きの騎士などいらない。
(使役出来る奴隷さえいれば……)
そう心の中で呟いた時、メルは思いがけず涙を流していた。必死に拭って顔を上げる。
ざわつく会場内に、兵士の声が響き渡った。
「静粛に!」
その場は水を打ったように静まり返る。要人達は使用人達の案内によって、静寂の中、王宮の大広間に通された。壁の垂れ幕には紫の盾に渡り鳥の王家の紋章が刺繍され、滑らかに輝いている。
その前に、ぽつねんと王座が置いてある。
若きルイス王には伴侶がいないので、今までの戴冠式とは違い王座はひとつしか据えられていなかったのだ。メルはその豪奢な椅子を眺めながら、背中にぞくりと汗をかく。
あの子は、ひとりばっちなのだ。両親を失い、伴侶もおらず、これからひとりで全てを背負わなければならない。メルは今すぐにでもルイスに駆け寄りたい気分だった。けれどもう、それは叶わない。
来賓席に座らされ、メルは周囲を眺めた。玉座の両側の輝く白い壁に着飾った大臣達が扇状に並び、来賓席と対峙している。元帥ブルマンはやたら汗をかき、ナロー財務大臣は魂が抜けかかり、半眼で玉座を眺めている。メルはこの日までに彼らがした苦労に思いを馳せる。
その中には薬局長ウォルターの姿もあったが、姪と叔父が再び視線を交わすことはなかった。
宮廷楽団の演奏と共に、来賓に起立が促される。メルは立ち上がり、人々の頭の間からルイスの即位を見守った。バーボイ教皇の登場と共に王冠が玉座の前に運ばれ、全ての準備が整った。
静寂の中現れたルイス王に、全ての人々の視線が集中する。
扉が開き、現れた新王に来賓は目を疑った。
そこには頬が薔薇色を帯び、全体的にふっくらとした少年が立っていた。頬がこけ、青白く頼りげのない、皆が知っているあのルイスではなくなっている。メルは嬉しさのあまり、カタカタと震えた。
(レッドの青い血が、一国の王を救った……)
それは彼女の中で、じんわり熱を帯びて確信に変わって行く。同時に、メルはレッドを思い涙した。
(この光景を、レッドにも見せてあげたかったな)
彼にも大変苦労をかけてしまった。負の感情がメルの心を再び蝕み始めた時、従者が長い時間をかけて運んで来た王冠を、教皇が手に取った。
ルイスは玉座の前に進み出て教皇を迎える。そしてひざまずくと、彼のふわりと金色にたなびく髪の上に王冠が被せられる。来賓は万雷の拍手で新しい王の即位を祝った。ルイスは少年らしくはにかみながら、周囲の客人達を見渡している。来賓席後方のメルに気づいただろうか。笑いかけてくれた気がして、メルはそれで充分だった。
王冠を戴いたまま、ルイスは教皇の帰還を見送った。教皇の列が過ぎると、城の兵士らの指示によって、再び来賓の移動が促された。これから昼食会が始まるらしい。メルはこれには呼ばれなかったので、そのまま馬車で自宅へ戻ることになっていた。
広間を出て行くと使用人達がすぐに飛んで来て、メルに告げた。
「メル様、伝言がございます」
「何かしら?」
「陛下からです。昼食会の前に少しお話ししたいことがあるので、王の控え室に来るようにと」
メルははやる心を抑えて控え室へと向かった。控え室前はごった返していたので長く待たされるのを覚悟していたが、意外にもすぐに謁見が叶った。控え室に通されると、ルイス王が薔薇色の頬で待っていた。メルは軽く膝を曲げて再会の挨拶をしたが、嬉しさに震えて声にならない。ルイスは王冠を抑えながらすぐさま立ち上がり、
「メル」
とその手を伸ばした。メルはすがるようにその手を取った。
「まあ、陛下。何だか急に成長なさって」
「やっぱりメルの言う通り、あの青い血が良かったんだよ。ほらもう、血の色が戻ったし、歩いても体の節々がこわばったりしないんだ。ありがとうメル、礼を言うよ」
メルはその言葉で、我慢していた涙がどっと溢れた。レッドの青い血がこの美しい少年の体に満ちたのだ。レッドの行為は無駄にならなかった。
ひとりの少年、ひいては王と国を救ったのだ。
「メルはまた旅に出るの?もうそんなの出なくても大丈夫だよ。私はもう元気になったんだから」
メルは震えながら笑うと、
「今度はーー私が元気になるものを探して来ようかと思っています。私はまだ旅を辞められそうにありません」
と言った。ルイスはそれを聞いて破顔する。
「そうだよね。メルは私を助けるために頑張ってくれたもの。今度はメル自身のために旅に出てくれ。何か、ウォルターとの間で色々あったみたいだし、少しでも心が晴れるといいね」
メルは泣き笑いで何度も頷いた。ルイスはふと思い出したように言った。
「そうそう。もう公務が出来そうなんだ。今はナローに色々教えて貰っている。そういえばメル、ナロー大臣が君に話があるって」
メルは急なことに身構えた。青い血を持ち帰ったことを罵倒した男が、一体なぜ自分に会いたいと申し出たのだろうか。ナローは兵士に呼ばれ、すぐにやって来た。そしてメルのそばまでやって来ると、少し赤ら顔で彼女をまっすぐ見据えた。
ナローが取り出したのは数枚の金貨であった。
「……これはルイス王を助けてくれた礼だ」
彼は子供の駄賃のように、それを彼女の手のひらにじゃらじゃらと乗せて見せる。メルは最近少し懐が心許ないと思っていたところだったので、両の手でありがたく受け取った。
「メルよ。私と前王ヨアキムも乳母子の関係であった。こう言えば、私の感謝の念が伝わるだろうと思う。きつい言葉も数々ぶつけたが、こちらも真剣だったのだ。どうか、許して欲しい」
メルは目を潤ませ、しっかりと彼の言葉を受け止め、頷いた。ナローはそんなメルの表情をしげしげと眺めながら早口で言う。
「ウォルターを通すと色々とややこしいから、私から直接渡せるのはこれだけだ。今後の君の活躍に期待している。足りなくなったらいつでも言ってくれ」
思いもよらない方向から、心強い味方が現れた。メルは背中をじりじりと焼かれるような感動を覚えながら、使用人と共に控え室を後にした。




