26.青い血の魔法
次の日。
メルは再びレッドに屋敷の裏手に呼び出された。
「ちょっと、まだ青い血について伝えてないことがあって」
レッドは庭先で猫に背中を齧られ、弱ったネズミを捕まえていた。建物の影で、彼は昨日瓶に詰めた青い血をスポイトで吸って、ネズミに浴びせかける。メルは目を見張った。その傷口は青い血をかけたとたんかさぶたを形成し、皮膚を張る。
まるで魔法である。レッドは苦笑いでため息をつきながら自嘲した。
「……化け物だ、俺は」
メルは震えながらレッドの手の上のネズミの背を撫でる。その指先に、もうネズミの血は付かなかった。
「……どういうことなの?」
「よくは分からない。ただ、伝説の通り赤い血と青い血が混ざると神の力が……とは、こういうことなんだろうな」
メルは呆然と息絶え絶えのネズミを見下ろしてから、レッドに視線を向けた。レッドは次にネズミの口に、瓶からスポイトで吸った青い血を少し垂らして飲ませる。
すると、今まで息絶え絶えだったネズミは元気に走り出した。二人はぼんやりとネズミを眺め、互いに違うことを考えているようだった。
「まだ、こんなネズミが朝方の庭先で猫にやられてゴロゴロしてるぜ。昔は暇潰しにこんな遊びをしたもんだ。ルイス王子も、もしかしたらこれで元気に」
「レッド……今まで誰かにこの話、した?」
レッドは首を左右に振った。
「してない。メルにしたのが初めてだ」
そう言うと、彼はしゃがみ込んでメルに手を差し出した。
「その、メルの手」
促され、メルはおずおずとレッドに手のひらを差し出した。彼女の手は陽に当たって白く滑らかに輝いている。
「メルが聖なる樹に登って手を怪我した時も、それを洗う水にこっそり青い血を溶いておいたんだ。気づいてた?」
メルは驚愕し、あんぐりと口を開けた。レッドは含み笑いをし、ほっとしたように呟いた。
「ようやく言えた。本当は言いたくてずっとうずうずしてた」
メルは頷き、今にも泣き出しそうな顔をしてレッドを正面から勢い良く抱きしめた。レッドは尻餅をつき、笑いながらメルの背中を撫でる。
「またメルと旅に出たら、俺、自分の故郷を探したい。二つの塔に行けば、何でこんな血の色なのかが分かるのかな」
メルは体を離してくすぐったそうに笑う。
「旅の目的が増えるのはいいことだわ。また計画を練り直さなくちゃ。そうね。ルイス王子の即位式が終わったら、すぐにでも旅立ちましょう。そうなったら私、しばらくここには戻らないつもりよ」
二人は立ち上がった。メルはきょろきょろと辺りを見回し、先に屋敷へ戻る。レッドは屋敷の陰の草むしりに戻ったが、昨夜のことを思い出し、何度もこみ上げる笑みを隠すのに必死だった。
善は急げとばかりに、メルは朝食後、青い血の入った瓶と怪我をしたネズミを握りしめ、ウォルターの研究室に入っていた。ウォルターは事前にジャンから伝えられた通りの時間にやって来て、メルと机を挟んで向かい合わせになる。
「ご報告が遅れて申し訳ありません、叔父様」
ウォルターは椅子に腰かけ、どこか間の抜けた顔でメルを見上げる。
メルはウォルターの前にごとりと青い血の入った瓶を置く。ウォルターは眉間に皺を寄せて姪を眺め、
「何だこれは」
と吐き捨てるように言った。メルは昨日の夜考えた設定を述べる。
「私はネマラート島で、青い人からこの青い血を得ました。薬効が確認出来るまで、お話しするのは控えようと思っていたのですが」
ウォルターは特に異論を挟まなかった。腕組みをし、ふんと言ってそれを軽蔑するかのように見下ろすと、
「どのような薬効だ?述べてみよ」
メルは猫に背中を齧られ、息絶え絶えのネズミをテーブルに置くと、先程したように青い血を浴びせた。
ウォルターはまるで興味がなさそうにそれを眺めていた。しかしネズミの傷口に皮膜が張るのを確認すると、ふむと呟いた。
また、先程と同じ方法でネズミに青い血を飲ませる。ぐったりしていたネズミは急に走り出し、猛スピードで部屋中を惑い始めた。
ウォルターは奇妙な魔術を目の当たりにし、ネズミを避けるように落ち着きなく椅子から立ち上がった。そしてそろそろと歩き窓の外を眺めるようにして立つと、しばしの沈黙の後、振り返ることなくこう言った。
「事態は一刻を争う。すぐに届けた方が良いだろう」
差し迫るルイスの病状を回復させるため、彼は常に薬局長として最善の選択をしていたはずだ。メルは久しぶりに嬉しくなり、はいと弾む声で答えた。
ウォルターが午前に書きつけた速達はすぐに城へと運ばれ、その翌日にはルイス王子から緊急招集の知らせがかかった。
あくる日の昼食後。
メルは正装の青いドレスに着替え支度を整えていた。しかめ面の彼女の背中からは、気合いの炎めいたものが立ち昇っているように見える。
ウォルターが玄関ホールで先に待っていた。メルは色々と考え、胸元から懐に青い血の小瓶を入れた。
送り出す使用人達の中にレッドが立っている。メルは彼に少し目配せをし、彼も微かにそれに応えて頷いた。
主人達を送り出した屋敷は再びだらけた空気になる。窓際で呆けているレッドの前に、14歳の最年少使用人、アンヌが本を抱えてやって来た。
「今日も、レッドの苦手な文字をやりましょう。文字が読めなくては、使用人の仕事が出来ませんからね!」
二人はメルのいた部屋を借りて勉強を始める。レッドは上の空で、メルの体温を繰り返し思い出していた。




