22.レッドの迷い
その次の日からメルはウォルターの屋敷の一室を与えられ、新たな旅路の行程を練り始めていた。レッドは新たに麻の農着を与えられ庭師の一員として働かされた。それが終わると使用人の少女に読み書きの手ほどきを受けるのだった。
七日ほどが経過した。
聖なる樹は、ウォルターの薬草園から少し離れた場所にひっそりと植え替えられた。ネマラート島の聖なる樹を見るに、かなり大きくなる樹だと判断されたからだ。
レッドは毎日欠かさず聖なる樹に水を浴びせながら、繰り返し同じことを考えていた。
(俺の青い血のことを、そろそろメルに打ち明けるべきなのだろうか)
もし伝説の通りに青い血を飲ませ王子の病が快癒したとしても、青い血の持ち主がレッドであるとばれてしまうと、彼にとってはデメリットの方が大きい。メルは自分をどう思うだろうか。珍獣扱いどころか薬品扱いされ、もはや人間と思われなくなる可能性だってある。
(俺はどうすべきなんだ……)
まるで答えが出ない。メルの泣き顔を思い出すと胸が詰まり、何とかルイス王子を助けてやりたいとも思う。
そんなある日の午後、庭先に見慣れぬ馬車がやって来た。レッドが汗だくの顔を上げると、そこには見知った男の姿があった。
「お前は……トーイ!」
「レッド!久しぶりだなあ」
レッドは彼のブーツを眺めた。彼はもう新しいブーツを購入したらしかった。
「ここで働き始めたとは知らなかったぞ」
トーイが馬車を降りながら言う。
「正確には、とりあえずいるので使われている。俺はウォルターではなく、メルの持ち物だからな」
「ああ、そうか。ところで今日のメルさんはどんな調子だ?」
レッドは屋敷の窓の方を眺めた。
「今日は挨拶以外、してないな」
「ふーん。色々と忙しいのかな?」
「……お前こそ、今日は何をしに来たんだ?」
レッドが問うと、トーイは気まずそうな顔で咳払いをして
「ウォルターに呼び出されたんだ」
と嘆く。レッドは予想がついて黙った。
「……また旅に同行せよと言われたのか?」
しかしトーイは首を横に振った。
「いいや、もっとマズいことになった。結婚を急かして来やがったんだよ。なあレッド、俺はどうしたらいいんだ?」
「知るかよ」
レッドは吐き捨てた。トーイはレッドの顔をまじまじと眺め、呟いた。
「お前はメルさんをどう思う?」
「……どう思うって?まあまあイカレた女だな。常識を全部足蹴にする感じの」
「それだけか?」
「うるせーな……俺に何を言わせたいんだお前は」
レッドはその場を立ち去ろうとしたが、トーイは慌ててまとわりついて来た。
「なあ、レッド。俺は今から変なことを言うから聞いてくれ」
「聞くから早く話せよ」
「お前、メルさんを連れて遠くへ逃げてくれないか?」
レッドの足が止まり、トーイをまじまじと見つめる。トーイの顔は真剣だった。
「何だって?」
「この婚約は、俺もメルさんも、どっちも不幸だ。なのにウォルターと俺の親は既にまとまった話だと譲らないのだ。俺には可愛い恋人がいるというのに」
レッドは目を丸くする。
「お前今なんつった?」
「だから、今恋人がいるんだよ!別の貴族の令嬢だが……」
「ふーん。お幸せに」
「どうせ結婚するなら彼女がいい。家柄も釣り合っている。どうにかシェンブロ家との方は破談にしたいんだ。でも俺ウォルターが苦手で」
「ウォルターならみんな苦手だろ」
「どうすれば破談になるのか」
レッドは段々苛々して来た。
「何でも人に委ねるのはあんたら貴族の悪い癖だ。メルもあんたも、もっと頭をひねれよ。そんなに嫌なら、両家を説得しろ。俺は関わらないぞ。そんなことに首突っ込んだら、また奴隷船に乗せられかねないからな」
レッドはトーイを置いてずんずんと進む。玄関を開け執事室に声をかけると、レッドは荒々しい足取りでメルの部屋に歩いて行った。
「おーい、メル様ぁ」
扉をノックする。パタパタと足音がして、少しやつれた様子のメルが出て来た。
「どうしたの?」
「トーイが来たぞ。ウォルターに呼び出されて、今からメルとの結婚をせっつかれるらしい」
メルは不安げに眉を寄せる。そして
「レッド。私……」
と呟くと、小声で囁いた。
「今日中に、荷物をまとめて逃げるわ。レッド、あなたも付いて来てくれる?」
レッドは驚いたが、ふつふつと笑いがこみ上げた。
「分かった、付いて行く」
「あなたは手ぶらでいいわ。服は……適当に。馬でまたプリセベラの港に戻りましょう」
侍女達がやって来て、レッドは扉から退いた。
メルがこちらを振り返っていたが、扉は閉められた。これから着替えをするのだろう。
メルは憂鬱な面持ちで客間に入る。トーイがウォルターと先に待っていた。椅子が引かれ座っていると、紅茶と共に執事のジャンが入って来た。余りにも静かな部屋に、紅茶の注がれる音が響く。目の前にあるいろとりどりの菓子類も、メルの目にはどこか狂った色合いに映る。
「メルもトーイも、何が不満なんだね」
単刀直入にウォルターが口を切る。
「二人とも、もう十八歳だ。遊ぶのも充分だろう。行き遅れると、どんな噂が立つか分からんぞ。女は早く子供でも産んで」
「叔父様。私は結婚も出産もしたくはありません」
メルはすっぱりと言い切って、涼しい顔で紅茶を嗜んだ。ウォルターの鬼の形相に、トーイの方が青くなっている。
「メル!お前は悪い方に変わった!やはり旅に出したのは失敗だった。お前の人生はもう終わりだ。女が一人で生きられるなど、思い上がるなよ!」
メルはため息をついた。
「そうですね。私は野垂れ死ぬことにします。トーイと結婚するぐらいなら、そうなった方がマシです」
ウォルターはこめかみに青筋を立ててトーイを振り返る。トーイはひっと叫んだが、
「ウォルター様、メルさんもそう言ってることですし……ここは婚約を破棄させていただけないでしょうか」
と何とかひと思いに言い切った。ウォルターが震えていると、扉を叩く音がした。
「失礼致します。ウォルター様……」
使用人が連れて来たのは、王国からの使者だった。室内の三人と執事は突然のことに戸惑い、混乱の中使者を迎えた。
その言葉はいきなり告げられた。
「国王が崩御なされた」
しんと室内が静まった。メルは青ざめる。
「嘘よ、そんな……」
「つきましては薬局長および庭園主としてウォルター様に会議の招集がかかっております。至急準備し、城にお集まり下さい」
婚約破棄どころの話ではなくなってしまった。トーイはやおら立ち上がると、
「メル様、行って下さい。今のルイス王子には、あなたが必要だ」
メルは上の空で頷いてから、先程の約束に気づいて扉から走り出す。ウォルターが何か叫んでいるが、無視して走り続ける。
庭ではレッドが佇んで、果樹の花摘みをしていた。
「レッド!」
振り返ったレッドに体当たりするようにメルは寄りかかった。花殻が芝生の上に散らばり、レッドは呆然とする。
「どうした、メル」
「国王が崩御したの。今夜の計画は中止。私、ルイスの所に行って来るわ。レッド、旅はもう少し待って」
「……分かったから離れてくれよ。ウォルターが見てる」
メルはハッと体を離した。レッドはメルを困った顔で見つめている。メルはこわごわ客間の窓を見上げた。
ウォルターが、鬼の形相で窓からこちらを見下ろしている。
メルは震えながら視線を下に落とした。
「行って来いよ。ルイス王子が即位する所を見たいって、メルも前に話してたじゃないか」
メルは頬をさすりながら、何度も頷いた。想像とは全く違ったタイミングだが、急にこの時が来てしまったのだ。
「王の病気ならさすがに無視出来ないだろう。頑張って予算とやらを引いて来いよ、メル」
レッドは呟いて、何事もなかったかのように再び花殻を摘みに戻る。彼なりにウォルターの目を気にしているのだろう。メルは自分の脇の甘さを恥じ、平静を心がけて屋敷に戻った。




