21.令嬢の涙の理由
馬車はまた街の中央を迂回するように走り、城壁近くの小さな家の前に止まった。
レッドは植木鉢と共に降りる。メルは玄関の鍵を開けた。
「レッド、入って」
メルが扉を押さえ、レッドは植木鉢を入れる。メルは運転手に振り返って言った。
「ちょっとそこで待ってて」
二人は家の中に入った。古びたこの小さな家がメルの自宅だと聞かされ、レッドは意外に思う。ウォルターの屋敷が巨大だったので尚更だ。
「二階に書斎があるの。少し本を持って行かなきゃね」
メルが二階に上がったので、レッドも植木鉢を置いて二階に上がった。
天井ギリギリまで本棚が占領している。本棚と本棚の間にベッドがパズルの一片のように収まっており、足の踏み場がほとんどない。
レッドは階段の踊り場で呆然と立ち尽くした。
メルは本を何冊か持ち、次々ベッドに下ろしている。レッドは尋ねた。
「小さい家だな。使用人もいないのか」
メルは軽く笑うと
「全て売ってしまいましたから」
と言う。
「どういうことだ?」
「研究費用に充てるためです。服も家具も片端から売ってしまいましたわ。このドレスも母のものを仕立て直して着ています。とにかく、国からの支援金だけでは足りないのです」
「……王子を救うための金が足りないだって?もっと申請したらいいんだ」
「でも、予算が付かないのよねぇ……」
そう言って笑ったメルの声は諦めの境地にいる。レッドはルイス王子と会ったばかりということもあり、腹が立って来た。
「王子の病気を治すのに金を出さない国なんて、おかしいだろ。まるで王子なんかどうでもいいと言っているような……」
レッドが言い切らない内に、メルがこちらを振り返る。
彼女は涙を流していた。
レッドは息を呑んだ。メルは涙を拭おうともしない。
「そうみたいなの。みんな、ルイスのことなんかどうでもいいと思ってるみたい。私はルイスを助けたいのに」
そう言ってメルはふらと歩き出すと、レッドの肩にその涙に濡れた頬を寄せ、体を預けて来た。レッドは驚きはしたが、彼女が今、誰かに寄りかかりたくなる気持ちも分かる気がしてそのまま立ち尽くす。
「どうしたらいいのか、分からないの。私、ルイスのいない世界に希望を見出せない。あの子は私のたったひとりの弟」
レッドもメルの体をどうしたらいいのか分からないでいる。迷子になっている自身の両腕をどうするべきだろうか。
「母は私の弟を産んだけど、その子はすぐに死んでしまったの。とても悲しい出来事だったーー母はお乳が止まらないと毎日泣いていたわ。そんな時、王妃様がルイス王子を産んだの。母はすぐに乳母を申し出て、採用された。私、最初は理解出来なかったけど、ルイスの成長を見守るたび、弟が戻って来た気がして嬉しかった。きっと母も同じ気持ちだったと思うの」
レッドはメルの頭頂部に頬を寄せて尋ねた。
「……俺にどうして欲しいんだ?」
「抱きしめて、レッド」
レッドはようやく両腕の使い道を得て安心した。メルは抱きしめられると、堰を切ったようにむせび泣いた。
「辛いよぉ」
「はいはい」
「何であの子ばかりあんな目に」
「……」
「病気だから冷遇されるなんてあんまりよ!王にも今更、再婚話が出て来てるらしいし……」
「そうか、そりゃ辛いなメル」
「うわーん、レッドぉ」
「きったねーな。鼻水ついたぞ」
メルはぐすぐす鼻をすすり、真っ赤な顔で体を離した。レッドは努めて笑顔で見下ろす。
「俺も手伝うから、早く王子の病気を治そう。な?」
「う……レッド、ありがとう」
レッドはハンカチを取り出して彼女に与えた。メルは顔を拭きながら、急に顔を押さえてベッドにへなへなと座り込んだ。
「どうした?メル。気分でも悪くなったのか?」
「な、何か急に恥ずかしくなって来た」
「……ふーん。もう一度抱きしめられたい?」
「やめてよもう!あー私、きっと疲れで頭がおかしくなってるんだわ」
メルは髪を振り乱すようにかぶりを振り、自らの真っ赤な頬をさすった。レッドはそれを見て笑ったが、自身の心に新しい感情が生まれるのを確認していた。
「メルはいい奴だ」
「……急に、何?」
「最初はとんだイカレ女に捕まったと思っていた。けど、そういう理由があったんだな」
メルは頬を膨らませたが、急に力なく微笑むと
「イカレ女……うん。それでいいわ。周りにそう思わせておけば、自由に生きられるもの」
とひとりごち、えいと立ち上がった。
「泣いてスッキリしたわ!行きましょうレッド。あの屋敷に戻るのは嫌だけど、叔父様のご命令だからしょうがないわ」
レッドは尋ねた。
「命令?」
「ええ。あなたが私に何をするか分からないから、ここに二人で泊まるのは駄目なんですって。長の業務命令に背けば薬草園をクビになるから、私も了承するしかなかったの。あなたと私、しばらく同じ部屋で大丈夫だったのにね」
「そっか……」
「ま、最初はあんなことされて驚いたけど?」
「うっ……あれは一時の気の迷いで……もう忘れてくれよ頼む」
「ふふふ。こんな会話も屋敷では出来ないわね。早く次に旅に出る予定を立てなくちゃ」
メルは吹っ切れたように背中をいからせ階段を降りて行く。レッドも積まれた本を抱えてその後ろに従った。




