18.男奴隷と老執事ジャン
レッドは火山島からネマラート島、それから船での様子を都合の良い箇所だけかいつまんで話した。トーイのことに関してだけはありのまま伝えた。
「ははぁ、そういう経緯があったわけですね」
ジャンは深く何度も頷いた。
「納得しました、君がメル様に敬称を付けて話さない理由もね」
レッドはそう言われてようやく気がついた。いつ、様を付け忘れていたのだろう。
「これは忠告ですがねレッド。ウォルター様の前で、決してメル様と親しいところを見せてはなりませぬ。恐らく酷い目に遭わされるでしょう。また君は奴隷船に乗ることになる」
叱られた子供のようにレッドは首をすくめて頷いた。その様子を眺め、老執事はふふと笑う。
「……何だよ」
「いえ、失礼。少し安心したのです。メル様は何も考えのない君と話しているだけで楽しかっただろうとね」
「おい、俺の前で俺の悪口はやめろ」
「ははは。君は実にいい奴隷だ。さて、ここから本題を話そう」
ジャンは椅子に深く腰掛け、姿勢を崩した。
「メル様の父上と母君は既に流行病で他界している。兄弟も……弟君がいたが、生まれてすぐ亡くなった。本当に孤独なのだ。我々使用人も、そこを案じている。そこに君が彗星のごとく現れた。君があそこで壁になっていた一時間、使用人の間で少し会議した。君をどのように使えば一番メル様のためになるのかを」
いつの間にそんなことになっていたのだろう。レッドは頭を抱えた。
「俺の意見は無視か?」
「ほう、意見があるのか。聞こう」
「俺、奴隷をやめたい」
「なるほど。しかしメル様が手放す決断をなさらない限りは、君は永遠にメル様の奴隷なのです。先に言っておきます。奴隷を買う方は何らかの功績の代わりに奴隷から解放するようなことを言いますが、それは詭弁です。制度的には、主人が奴隷をやめさせると言えば、すぐにでも奴隷をやめさせることが可能なのです。我が国には主従関係の奴隷はあっても、身分制としての奴隷は存在しないのですから。その主従関係からの解放をメル様が言い出さないということは、つまり……」
老執事は優しい視線をレッドに投げかける。
「メル様は君をまだ必要としているということです」
レッドは腕を組んで考えた。
「そこで、頼みがあるのです」
老紳士の言葉に力がこもる。
「レッド、君はメル様が解放を宣言しない限りはそばにいてあげて欲しい。奴隷の身分がこの国で何か悪さをすることは、メル様に従っている限りはないだろう。問題は、メル様の周りの人間だ。ウォルター様が死に、メル様がひとりでこの屋敷の全てを相続するとなると、恐らく君を脅威と考え、排除を企てる輩が出るだろう。そこでだ」
老紳士は本を一冊取り出した。
「君は騙されないように、文字を読めるようになりなさい。それから、計算を出来るようになりなさい。これはこの国の子供が使う教科書だ。使用人にアンヌという少女がいる。彼女にあなたの教育係を頼みました。仕事の空き時間に教えてもらうといいでしょう」
レッドはそれを受け取り、パラパラとめくった。
「へー」
「メル様にも教えてもらえるよう、伝えておきます。船旅が大半のようですから、その間にもおやりなさい。相手に奴隷と悟らせないような教養を身に付けなさい。教養は誰にも奪われず、死ぬまで役立つものだから」
再びジャンは立ち上がった。
「君の部屋へ案内しよう」
執事部屋を出、台所を過ぎ、階段を下り、通されたのは物置になっている地下室だった。
「……ここ?」
「ははは。そうです。不満ですか?」
ジャンは快活に笑う。申し訳程度にベッドが置いてあった。レッドがむくれていると、彼は囁いた。
「所詮奴隷だと侮らせるのです。ウォルター様は利口な方を嫌います。少し馬鹿なふりをして、地下に寝ていることにして。それからとことん下手に出ることをお勧めします。それでは、ごゆっくり」
レッドは本を置くと、上着を脱いでベッドに寝転がる。耳をすますと、通気口を塞ぐ木の板の間から、使用人達の声が聞こえて来た。
「レッドって、奴隷らしいよ」
「へー、あんないいもの着てるから、新しい婚約者かと思った」
「もうメル様は無理よ。あれじゃあ一生独り身ね。でも奴隷を買うとは、なかなか考えたねメルさんも」
「あの奴隷、最後までメルさんのそばにいてくれるんかね?だとしたら私達も安心して死ねるわね」
「可哀想だもん、ウォルター様も子供がいらっしゃらずに奥様を亡くされたから、全て矛先がメル様に」
「メルさんが結婚出来ないのは半分ウォルター様のせいよ。あれが義父になるなんて、今時の若い人は御免だって」
レッドは目を丸くした。
(すげーなここ。会話全部筒抜け)
レッドはジャンの計らいに少し感動を覚えた。ここにしばらくいれば、すぐにこの屋敷の内情に明るくなるだろう。
思ったより、奴隷の自分は歓迎されているようだ。それを知れただけでも、この屋敷に滞在した甲斐があるとレッドは思った。




