17.叔父ウォルターの洗礼
馬車の窓から次第に花が咲き乱れる光景が広がって来た。レッドは見たことのない色とりどりの世界に圧倒されているが、メルの顔色はどんどん冴えなくなって行く。
広大な花畑の向こうに、古めかしいが大きな屋敷があった。見たこともない木々が所々に生い茂り、何人か使用人が立ち働いているのが見える。蜂や蝶が花畑の間を行き乱れ、全ての花を詰めたむせるようなかぐわしい匂いが漂って来る。
馬車は屋敷の前で止まった。
レッドは先に降り、手習い通りメルの手を取って馬車から降ろす。
「ありがとう、レッド」
礼を言う口はどこか固い。メルは荷物をひとしきり抱えたレッドを従え、花咲き乱れる庭を行く。メルが庭に入ると、使用庭達は直立不動でメルの背中を見送った。レッドはおっかなびっくりメルの後ろを付いて行く。
メルが扉の前に立つと、何も言わないでも扉が開いた。レッドはそのオートマチックな光景に畏怖すら抱いた。扉が開くと、灰色のあごひげが特徴的な老執事が姿勢良く立っていた。メルがほっとした顔で尋ねる。
「お久しぶりですね、ジャン。叔父様はいらっしゃる?」
メルが尋ねたところで、階上からどすどすと足音が近づいて来た。レッドは目の前の階段を見上げる。階段を降りて来たのは少し痩せた肩に質素な作業コートを羽織った、ひょろ長い紳士だった。
「ウォルター様。ごけぎん麗しゅう」
メルがちょこんと膝を折って挨拶する。ウォルターは顔色の悪いこけた頬に、弱々しい笑みをたたえた。
想像していた「頑固親父的」ウォルター像と違ったひょろひょろの紳士の登場に、レッドはぽかんと口を開けた。ウォルターはゆっくりとレッドに視線を移すと、
「……彼は?」
と尋ねる。すぐさま
「レッド」
とメルの小声が飛ぶ。レッドはメルから少し離れた。
「彼は、奴隷です」
「……ほう。その割に体が大きいな。名前は?」
レッドが口を開くより早く。
「レッドと言います。私の採集の旅に連れて行ったのです。よく働く奴隷です」
「どこでどのように買った?さすがに馴染みの店につけて買っているわけはあるまい」
メルは汗をかきながら小さく言った。
「指輪を……」
その回答に、ウォルターの目が光る。
「まさかメル、お前はメディアの形見を……?」
レッドはその冷たい視線に背筋が凍る。メディアとは聞き慣れぬ名前だ。横の老執事は表情のないまま直立不動である。レッドは色々と感情のやり場がなく、ただ肝を冷やして成り行きを見守っている。
「お前はお前の母の形見を、こんな色付きの奴隷と交換したというのか?婚約破棄を三回も異常だが、これもまた頭を疑われる行動だな。そういえば、同行させたはずのトーイの姿が見当たらないが」
ウォルターの言葉に、メルは首をすくめた。
「……まさか、逃げられたのか?何度破談にしたら気が済むんだ?」
メルは唇を噛んで耐えている。レッドが口を開こうとしたところで、
「メル、話がある。私の部屋へ来なさい」
と、こめかみに青筋を立てたウォルターは、再び階上へ歩き出した。メルは拒否する権限もなく、ただ彼に付いて行ってしまった。レッドは荷物を抱えたまま、玄関に突っ立って二人の背中を見送る。ふと老執事が呟いた。
「お説教一時間」
レッドはうん?と声を出す。老執事はようやくレッドに視線を合わせると、こう尋ねた。
「その荷物は私が預かります。ここへ置きなさい。ところでレッド、君はあと一時間何をする?」
レッドは困惑の表情を浮かべていたが、
「俺はメルの護衛として雇われた」
と返すと、老執事はニコリと笑った。
「付いて来なさい」
その通りにレッドは付いて行った。二階のウォルターの部屋の前にレッドを立たせ、老執事はぼそりと告げた。
「そこに立っていなさい。メル様が出て来た時、出迎えるのが君の仕事です」
言い置いて老執事は去った。レッドが直立不動で黙っていると、扉の向こうから声が聞こえて来る。
「トーイを逃したら、君はもう先がないぞ。一生一人で生きて行くつもりか?」
……
「母の形見を奴隷に変えるとは、君はどうかしている。メディアが聞いたら嘆き悲しむだろう」
……
「馬鹿を言え。奴隷は何も考えていない。文字を読めない奴に何が理解出来るというのか?」
……
「仕事を言い訳にして人生を潰すな。シェンブロ家はもう、私と君しかいないのだよ。君が婿を入れなければ、存続不可能だ。何、産めなければ養子をだな」
……
「奴隷をお前の家に住まわせるだと!?何か間違いが起こってからでは遅い!お前は何も分かっちゃいないんだ!」
レッドはくらくらしながらウォルターの怒号に耳をすませた。命がけの旅から帰って来たばかりの子女に、この仕打ちはあんまりだと彼は思った。同時に、あの老紳士の言葉がじわじわとレッドの心に沁みて来ていた。
(出迎えるのが仕事、か……)
しかしウォルターという男はよくもあんなか細い体でこんなに大きな声を出し続けられるものだ。レッドは自分に向けられた言葉ではないにも関わらず、彼の怒号を聞いているだけでひどく疲れて来た。
屋敷の窓から西日が差して来るーー
レッドは疲れから壁に背中を預けるようになっていたが、会話がひと段落し扉が開かれると、慌てて背筋を伸ばして立った。
メルと共にウォルターが出て来た。メルの目の周辺は赤くむくんでいる。メルが悲しげにレッドを見つめる。レッドも何だか悲しくなった。
「レッドとやら」
ウォルターが言った。
「今日から君は我が屋敷で預かる。メルもだ。城郭が開くまでこの屋敷にいなさい」
レッドは「はい」とだけ答えた。
いつの間にかジャンがやって来てレッドに告げた。
「レッド、メル様。お部屋までご案内します」
二人はジャンに付いて歩き出す。
「メル様はこちらへ」
メルは二階の部屋へ案内された。メルは部屋に通されるとこちらを振り返り、
「またねレッド」
と小さく手を振った。レッドは頷く。
扉は閉められた。
「さぁ、君はこちらへ」
老執事の案内で、レッドが向かったのは執事部屋だった。何かおかしいぞと思った時、ジャンは扉を閉めて近くの椅子にレッドを促した。
「そこに座りなさい」
レッドは言われた通りおずおずと座る。ジャンはその細い目をしかと開き、彼に尋ねた
「メル様との旅の状況を報告していただこう。何が起き、君とどんな関係を築いたか、出来る限り知っておきたいのだよ。今後のためにも」




