16.ウォーリスへ
乗馬服に着替えたレッドに上機嫌のメルは、レッドの腕に手を回す。レッドは驚いて振り払ったが、メルは周囲を笑顔で指差す。街に入った男女は皆メルがしたような形になって歩いていた。
「これがこの国の文化なの?」
レッドが呆れたように呟くと、
「このまま食事にでも行きましょうよ」
メルはいつになくはしゃいでせっついた。レッドははしゃぐメルに少し不安を覚える。
大衆向けのレストランに入り、メルが手慣れた調子で勝手にレッドの分まで食事を注文し始めた。レッドは頬杖をついてその様子を眺めながら、ふと呟く。
「メル、今日は何か変だぞ」
メルは努めて笑って応える。
「別に変じゃありませんよ?」
「嘘だ。半月も一緒にいれば分かる。メル、はしゃいでるぞ。まるではしゃげるのは今日が最後と言わんばかりに」
メルの笑顔が少し冷えた。レッドは更に言う。
「愛しの王子に会えるのに、故郷に帰るのに、あんまり楽しそうじゃないな。何か、ずっとそんな気がしてたんだけど」
「ちょっとレッド……」
メルの目が座る。
「そこまで気づいてるなら、指摘しないでくれる?何か萎えるんですけど」
レッドはごくりと唾を飲み込んだ。メルが急に不機嫌になり、疲れを隠さなくなる。
「自由……」
ぽつりとメルは呟く。
「あの国に私の大切な人がいる。それは素敵なことです。けど、あの国に帰ると、私には自由がなくなるのです」
メルの言葉に、レッドは感じ入った。
「うーん、なるほど……」
「淑女らしく、学者らしくという記号に振り回される毎日が待っています。それもついこの間までは当たり前のことだったのですが、旅に出るようになると、常識が覆る体験をします。そのたびに私を覆っていたものが崩れて行き、私の核が見えるのです。私はそれを確認するとほっとします。体が楽になります」
一気にまくし立て、メルは出された水をあおった。レッドも遠慮気味に水を飲む。
「レッドも、自由になりたいと言いましたね」
メルに問われ、レッドは頷いた。
「きっといつか、自由にしてあげます。だからもう少しだけお付き合い下さいね。いつになるかは分からないですけど」
レッドは何度も頷いた。出された食事を何事か考えながらほおばり、たまにメルを眺める。メルも黙って食べ、レッドを眺める。
何となく場が湿っぽくなって会話もはばかられ、二人は食事を早めに切り上げると無言で宿へ戻った。レッドは腕に彼女の手を回されても、もう拒否することはない。
部屋の手前でメルはレッドから離れた。
「明日、ウォーリスに着いたら、もう私達はこのように対等には歩けません。あなたは私以外からも奴隷として扱われ、私の三歩後ろを歩くことになるでしょう」
レッドは頷いた。
「ある意味、ウォーリスでは私達はしばしのお別れになるわ。私のような身分の者は、奴隷と親しい素ぶりを他人に見せないようにしなければならないの。王宮内では、私を呼び捨てではなくメル様と言って。レッド、頼むわよ」
メルはそう言ってレッドに手を差し出した。二人は固く握手を交わす。
「あなたが私の奴隷でいてくれて良かったわ。とても賢い子」
「犬みたいに言うなよ」
「ふふふ。似たようなものよ」
メルは笑って部屋に戻って行った。レッドも部屋に戻ると、窮屈な服を床に脱ぎ散らかした。
下着姿のままごろんとベッドに寝そべると、レッドは天井を仰いで呟いた。
「犬か……」
レッドは目をぎゅっと閉じる。
「犬だって、色々考えてるんだからな」
朝一番に王座の前でのお辞儀の作法を何度もやらされ、少し汗ばんだレッドにメルが水の入った水筒を持って来た。
「さあそろそろ時間よ。馬車に乗って」
水を飲むとレッドは馬車に植物の入ったガラスケースを入れ、メルと共に用意された馬車に乗り込んだ。
目指すはウォーリスの都、タルキス。
貴族用の黒っぽい馬車は砂煙を吐きながら走る。メルと向かい合わせに座るが、しばらく無言でいる。がたごと揺れる椅子に背中まで痺れながら、レッドはその緑溢れる景色に目を奪われていた。
途中、ウォーリスとの国境付近で休憩を取る。御者の男が通行税を提出しに行く間、レッドとメルは遅い食事にありついた。レッドが慣れない上着を脱ごうとしていると、
「いや、困りました」
と頭を掻きながら御者が帰って来た。
「どうかなさいましたか?」
メルが尋ねると、彼は肩をすくめて見せた。
「いやね……ウォーリスの王が急に倒れられたとのことで、今日は城郭の中に入れないそうですよ。病気の可能性が高いが、毒を盛られた可能性も否定出来ないってことらしい。関所も、ものものしい感じになって来てますねぇ」
メルは目をむいた。
「まぁ。では私の自宅には入れないわね」
「メル……様の自宅は城郭の中にあるのか?」
レッドがぎこちなく尋ねる。
「ええ。困ったわ、今日はどこか別の所に泊まらないといけないわね」
メルは悩ましそうに頭を巡らせ、ぽつりと呟く。
「余り気が進まないけど……とりあえず叔父のウォルターの屋敷に行こうかしら」
「叔父ってアレか?あの結婚をやたら推して来るという……」
レッドの言葉に御者が笑う。メルはぶすっと頬を膨らませた。
「だから、気が進まないと言うのです。でも彼にも次の仕事がありますから、どちらにせよどこかに一度降りなくてはなりませんね。シェンブロ家の薬草園はご存知かしら?」
「ああ、知ってるよ。そこで降ろせばいいかい?」
「はい、お願いします」
御者は再び馬車に戻った。メルは馬車の窓枠に片肘を乗せると、大げさにため息をつく。レッドは少し笑った。メルは憮然とレッドをにらむと、こう言った。
「レッド。あなたこそ、笑っていられるのも今の内よ。ウォルターは本当に、上下関係に厳しくて、男女の区別に謎のこだわりがあるし、いかにも旧世代の頑固な叔父さんなのよ。あなたのように軽薄な調子で相手をしたら、痛い目見るんだから。よーく肝に銘じておいて!」
レッドはふんと鼻を鳴らした。
「奴隷にまで、謎のこだわりはないだろ」
メルは再び窓の外に目をやると
「どうだか」
と声を落とす。本当に憂鬱と見えて、レッドの方も少し緊張して来る。
初めて会うメルの叔父とは、一体どんな男なのだろうか。




