15.学者令嬢は奴隷を自宅に連れて帰りたい
晴れた日を見計らってレッドが甲板で聖なる樹のひこばえと共にまどろんでいると、柑橘類を持ってメルがやって来た。レッドはその手にもう包帯がないことに気づいて声をかける。
「手はもう大丈夫か?」
「ええ、いつもより早く治ったわ。なぜなのかはよく分からないんだけど」
「良かったな」
レッドは満足気に寝返りをした。
「ねえ、あれから色々考えたんだけど」
メルはレッドの隣に座り、努めて笑顔でこう言った。
「私、やはり一度、自分の屋敷に帰ろうと思います」
レッドは寝たまま柑橘類を齧り、酸っぱい顔で
「じゃここでお別れだな」
と言う。メルは苦笑いで首を横に振った。
「勿論あなたも行きますよ?私の大事な奴隷ですから」
レッドは目を丸くした。
「俺、どこで待ってればいいの?」
「勿論、寝る部屋をちゃんと用意するわ、安心して。奴隷部屋なんてものはないから」
「メルの屋敷ということは……ウォーリス王国か」
レッドは空に向かって遠い目をする。
「初めて行く国だ」
「あら、そうなの?」
「多分、その国は余り奴隷を買わない国なんだろ。だから行ったことはない」
メルは頷いた。
「確かに余り奴隷は見ませんね」
「恐らく、奴隷船が入るほど大きい港がないんだろう」
「レッドは賢いわね。その通り、ウォーリス王国は内陸の国です。港に着いたら少し馬車に揺られますけど、大丈夫?」
「それぐらい平気だ。奴隷船と比べれば」
言いながら、レッドはまた嫌なことを思い出して吐きそうになる。
「今日の夜にはプリセベラの港に着きます。そこから馬車を調達してウォーリスへ向かいましょう。長丁場になりますが」
「船に飽きてたところだ、ちょうどいい」
ゆったりと波に揺られ、レッドは再びまどろむ。
メルはレッドの寝顔を覗き込んだ。飽きずに眺めているので、レッドはたまらず目を開けた。
「……何だよ」
「ねえレッド。そろそろ新しい服を買わなくちゃ。もうこの服ボロボロだし、それに……」
メルは輝く笑顔で言う。
「一度、王宮でルイス王子にも会っておきましょう!」
レッドはあんぐりと口を開けた。
「奴隷の俺が?無理無理」
「王宮に入るには入場許可証と正装が条件ですので、それさえ揃えばあなたも入れます。既に許可証を持っている私が付いてますから、大丈夫。今後のことも考えて、お目通しをしておく目的もあります。あなただけ戻ってもらう用事がないとも限りませんし」
レッドは起き上がった。
「おい、何だか俺が思ったより大ごとになって来たな。俺はもうメルの奴隷じゃなくて、王国の奴隷じゃねーか」
「あら、そうね」
「そこまで深く関わったら、もう逃げられない」
「……まだ逃げるつもりだっの?」
メルが悲しそうな顔をしたので、レッドは慌てた。
「冗談だよ、間に受けるなよ」
「もうそんな冗談はやめて。私があなたを助けた甲斐がなくなるわ」
レッドは所々がむず痒くなる。
「何だ?最近おかしいぞ」
「何がです?」
「何がって……メルの奴隷でいるのが、嫌じゃなくなったんだ。俺、どっかおかしくなったんだよ」
それを聞いて、みるみるメルの目が輝いた。
「私の熱意が通じたのですね、レッド!私の王子を助けたいという思いが、ようやくあなたにも届いたのですわ!」
「改めて声に出すなよ何か恥ずかしいだろ!」
レッドは悔しそうに赤面した。
その夜、船はプリセベラ王国の港に着いた。暗がりの中、荷物を持って恐る恐る階段を降りる。メルは港町に宿を取り、宿屋を介して明朝の馬車を予約した。
それぞれの部屋に荷物を下ろすと、メルがレッドのいる部屋の扉をノックした。
「レッド。よろしければ街へ繰り出しましょう。服を買ってあげるわ」
レッドは扉をそっと開けた。
「メル……何か、凄い張り切ってない?」
「そりゃもう!王子に謁見するのですから、レッドにもそれなりの格好をさせなくては。レッドは素材がいいので、きっと服も映えますわ、私が保証します!」
レッドはふふんと鼻を鳴らした。まんざらでもない。
二人は外へ出、夕闇の街へ繰り出した。二つの月が上り、活気溢れるプリセベラは人でごった返している。メルは慣れた足取りでその波を渡り、路地裏へ入る。
店は路地の奥まった場所にあり、メルは扉を開けた。様々な色の生地が並び、店の真ん中では老紳士が紙に線を引いていた。
「ごきげんよう、ケント様。お世話になっております」
メルが挨拶すると、老紳士は顔を上げた。
「おや、あなたはシェンブロ嬢」
「少し急ぎの用があります。彼……レッドに服をあつらえたくて。一晩でどうにかなりますか?」
ケントはレッドをまじまじと眺め、感嘆した。
「先日ご紹介いただいた、トーイ様とはもう破談になったのですか?」
レッドは何か言おうと口を開いたが、
「はい!とっくに。今度は彼に服を」
とメルが言い切る。ケントはメジャーを引っ張りながらじっくりとレッドを計測し、ふむと声を出した。
「こりゃ驚いた!レッド様、あなたはトーイ様とほぼ同じ体型だ。メル様、これでしたらうちにまだトーイ様用にあつらえた服が残っていますよ」
老紳士は店の奥から何着か服を引っ張り出して来た。店の中央の机に広げて見せる。麻のスタンドカラーシャツ数枚に上下揃いの黒の乗馬服、下着が数着。メルはそれらを眺め、苦々しそうに呟いた。
「トーイったら、いつの間にこんなに服を……」
「支払いはシェンブロ家持ちでしたよね?結納返しに注文されたようですが、本当にあちらは婚約破棄するんですかね?」
「……まぁいいわ。全てレッドに着せます」
メルは静かに怒りながら服の束をレッドに渡し、無言で試着を促した。レッドはケントに連れられて試着部屋に入る。
再び部屋を出ると、メルが声にならない嬌声を上げた。上から下まで乗馬服を来たレッドは、その体格の良さから全く奴隷には見えなかった。ケントも何度も納得の表情で頷いた。
「いやあ、服でこんなに変わるもんなんですね」
思わず漏れた老紳士の本音に、メルも同意した。
「私の思った通りだわレッド。それではケント様、これはこのまま着せて行きます。その薄汚れた貫頭衣は処分して下さいませ」
「はい。ツケておきますから、そのままどうぞお出かけ下さい」
メルは浮き足立ちながらその他諸々の下着も受け取り、レッドに持たせて店を出た。
レッドは正直、乗馬服の動きにくさから、今すぐにでも貫頭衣を取り戻したいと考えていた。都会の紳士の正装はこんなに苦しいものなのだ、と今更ながら街の衆を少し尊敬する。




