13.学者令嬢は男奴隷を命をかけても助けたい
暗い洞窟内には時間の概念がまるでない。ろうそくの火だけが頼りだ。何時間経っただろうか、族長が供を引き連れてやって来た。洞窟内は人が増えて更に息苦しくなる。
「神の子よ、どうなされた」
「女神の樹はどこにあるのか教えて欲しい」
間髪入れずレッドが言う。すると族長は
「こっちもあんたに聞きたいことがある」
レッドは思わぬ展開にぴくりと身じろぐ。相手は構わず続けた。
「あんたは何の目的でここへ来た。どうも神の子の自覚がないみたいだ。ことの顛末を聞いておきたい」
レッドは火を見つめ、火のような瞳で再び族長に視線を送り、
「俺は自分が何者かを知らない」
と正直に語り始めた。
「俺は父も母も知らない。気づけば奴隷として売られ、各地を転々としていた。本当に、自分のルーツについて全く分からないんだ。だから、少しでも自分について知っておきたい」
レッドの要求に、すぐに族長は口を開いた。
「お前は青い血の民から選ばれし少年。二つの塔から月へ行ける夜、二つの塔の間に神の椅子が鎮座する。お前の青い血によってもたらされた聖なる樹の花粉によって、女神の樹は予言と共に神の実を残すであろう。神は神の椅子座から降り、お前を正しい方向へ導く。神を得よ、青の血を助けろ。それがお前の使命」
レッドはそれを聞き終え、茫然と反芻する。すると次第に体がわけもなく震え出した。自分では意識していない無意識の部分で、何かを感じ始めている。
「青い血、と言われるのがそんなに嫌か」
族長が憐れむようにレッドに語りかける。
「ところでお前は女と旅をしていたな。あの女の目的は何なのだ?」
族長が急にこちらに話題を向けてきたので、レッドは期待を込めて打ち明けた。
「あの女は自らが仕える王子の病を治すために、聖なる樹のひこばえを持ち帰りたいと言っていた。あの樹に薬効を期待しているらしい」
「成程。ではお前の目的は?」
レッドは言葉に詰まった。族長は見透かしたように言い当てようとする。
「何人かお前を付け回している男達がおるな。どいつも訓練を受けた手練れの連中……お前はあの女の護衛らしいが、本当はどうなんだ?むしろお前は今、あの女を利用して追手から逃げているようだな」
レッドは唇を噛む。彼はシャーマン達を侮っていた。ここまで分析されているとはつゆも思っていなかったのだ。
レッドは族長を睨みつけ、その問いに答えようとはしなかった。族長はその頑なな様子を見て、
「お前はこれからここで死ぬが」
急に物騒な物言いをする。
「その前に何か願いがあれば聞いてやろう。言ってみろ」
挑戦的に顔を近づけられ、レッドは憤ったように黙り込む。しかし目を閉じると、心を落ち着けて口を開いた。
「メルに、聖なる樹のひこばえを」
少年が宿を訪れたのは、日の暮れのことであった。少年は根のついたままのひこばえをメルに手渡した。
「それでは僕はここで失礼します」
「……レッドは何か言ってた?」
憔悴し切った顔でメルが問う。少年はおずおずと、困った顔で答えた。
「お前から逃げられて本望だ、と」
メルはフンと鼻を鳴らした。
「馬鹿ね。絶対に逃げられないのに……」
少年はことの意味が分からず、ますます困った顔になって洞穴へと戻って行った。
メルはひこばえを荷の中に入れて背負う。それから宿屋の主人の部屋に行き、引き攣った顔の彼はに声をかけた。
「準備は出来た?行くわよ」
宿屋の主人は背中に斧を背負い、メルの後をついて行く。
メルはその足で繁華街へ行き、様々な商店を物色した。通りすがる人物達を注視し、持ち物を観察する。
結果、メルが手に入れることが出来たのは、島の地図に、登山用の仕掛け笛10個、仕掛け花火10個、馬7頭であった。
メルは聖なる樹周辺の森に入ると、地図に書き示した場所に、その樹を六角形に取り囲むように六頭の馬を配置した。六頭の馬同士を縄で繋いで配備し、残しておいた一頭にメルは跨った。
「それじゃあご主人、私が打ち上げ花火を上げましたら、馬の縄を一頭一頭切って回ってて下さいね。そしてまたここに、この馬を連れて戻って来て下さい。あなたのお仕事はそれだけです。よろしくお願いしますね」
宿屋の主人は曖昧に笑っている。メルは時が来るのを馬と共に待つ。
夕空には二つの月が上り始めていた。
ひこばえを渡したチキナが洞穴へ戻って来た。レッドは瞑想するようにただ一点を見つめて呟く。
「……遅かったな」
チキナは頷いた。
「あいつ、何か言ってたか?」
レッドが尋ねると、チキナは
「よく分かりませんが、怒ってましたよ」
と答えた。「そう」とレッドは呟いて
(あんな悪ふざけみたいな言葉、怒らせて当然だよな)
と思った。だが、彼女を怒らせるのが正解なのだとレッドは思い直した。奴隷の自分などとは違って色々と先の長い良家の令嬢なのだし、さっさと安全に帰ってもらいたいというのがレッドの偽らざる本心だった。
今晩が例の儀式だという。洞穴の出入り口から打楽器を中心とした軽快な音が流れ込んで来る。洞内に反響し、住民はその音に酔ってはしゃぎ回っている。浮かれた空気の中、使いの者がやって来てレッドの腕を取った。外へ出す気らしい。レッドは抗うことなく付き従った。
外は二つの月が丸々と輝いて、明るい夜を作り出していた。火も所々で焚かれ、本当に明るい。その喧騒のさなか化粧師がはしゃいでやって来て、レッドに青い顔料を塗ろうとした。レッドはそれを見るや顔面蒼白になり、逃れようと顔をそむけた。
「やめてくれ」
なぜ、と返される。すると遠くから族長が大声で化粧師を止めた。
「やめとけ。神の子がそう言ってるんだ」
レッドは蒼白になりながらも、息を整え周囲を見渡した。逃げるチャンスを注意深く探る。手近に武器になりそうなものはない。遠くに数人が武器を手にして儀式を待っている状況だった。誰かを出し抜いて刃を手に入れたからとて一人では心許ない。彼らが武器を手放す瞬間に武器を持っていたとすれば、それが逃げるチャンスに繋がるだろう。
(それは、いつだ?)
酒が配られ始める。
(酒に酔えば、あいつらは武器を手放すだろうか)
乱痴気騒ぎを延々と見せつけられ、夜が更けて行く。レッドはいつしか酒宴の中心に据えられ、族長と並んで座る形になっていた。周囲に武器を持っている者はいない。レッドは、さあいつ動こうか……と周囲を睨み続ける。ずっと緊張を保っているので胃がキリキリと痛い。族長は使いの者に何か報告を受け、レッドに耳打ちした。
「女の乗った船は、明日早朝に出航らしいぞ」
レッドはそれを聞き、生贄になる緊張から少し解放された。正直ほっとしたのだ。その顔を見て、族長は感心したように言う。
「神の子の名は伊達ではないな。殺されるというのに笑っている」
笑っていると言われ、レッドは自らの頬を苦し紛れにさすった。
「わ……笑ってなんかいない」
レッドは顔を赤くしている。そこにチキナがやって来た。
「二つの月が所定の位置に上がりました」
「そうか」
族長の顔が嬉々と輝く。レッドが注目していると、
「シャーマンの一族よ聞け!神の子を聖なる樹にお返しする時が来たのだ!」
と唐突に叫んだ。
「さあ立て」
言うなり何人か男達が飛んで来て、レッドの両脇は彼らの腕に挟み込まれた。そのまま前へと歩かされる。踊りの列は急に正気を取り戻して左右に分かれ、樹までの道を作った。レッドらは聖なる樹に直進した。彼らは土の上にうつぶせに寝るようレッドに命令する。レッドは従った。鞘から剣を抜く音が聞こえて来る。そこでレッドは目を見開いた。
今だ。
レッドはうつぶせの状態から腕に力を入れると、前方へと走り出す。周囲はレッドを取り押さえようと慌てて集まって来た。レッドはもみくちゃになりながらもかがり火のある方へ行き、木の棒を手に入れようと手を伸ばす。が、届かなかった。人々に掴みかかられ、レッドはもつれながら前方へ倒れ込む。同時に火台が倒され、辺りは暗くなった。すると上から、何人かがレッドを潰すように乗りかかって来る。それに呼応した連中がどんどん重なって来た。胸が潰され、呼吸が困難になり、圧死の文字が頭をよぎる。
(もう駄目か……)
人生で初めて生きるのを諦めた。
その時だった。
ヒューと風の鳴るような音が聞こえ、パパパと軽い破裂音がした。少し夜空が明るくなり、レッドは火薬の匂いを嗅ぎ取る。
「レッド!頭を守って!」
メルの声がする。
(……これが噂の走馬灯か?)
そう考えた刹那、銃弾が地面に次々と降り注いだ。レッドは目を丸くした。ふと胸が軽くなるのを感じ、レッドはもがくように人の重みから這い出す。
そこには目を疑う光景があった。
銃撃していたのはメルであった。彼女はいつの間にか聖なる樹に登って、時に銃弾を入れ替えながら、銃を所構わず打ち回っている。
しかしその光景も、遠くの火台をその銃弾が襲うと同時に見えなくなった。
暗がりに慣れない目と深い酔いとで、場はパニックに陥っている。それを確認してレッドは声の限りに叫んだ。
「メル!もういい、早く走れ!」
レッドは聖なる樹を離れ、森に駆け入った。同時にメルの気配を探すが、見当たらない。樹に上っていたとなると、下りられずにいるのかも知れなかった。聖なる樹に戻ろうか考えあぐねていると、
「女だ!あっちへ逃げたぞ!」
という声が上がった。それでレッドはメルが樹を下り、森へ走ったのだということを確信した。レッドは再び走り出す。今度はメルを助けるために。
(逃げ続けるには体力が要る……)
レッドはメルにそのような体力があるとは思えなかった。
(頼む、どこかに隠れていてくれ)
シャーマン達に探し出される前に見つけなくてはならない。周辺を手探りしている間に月明かりに目が慣れて来た。と、森の中から天に向かってヒューと音がした。
(笛の音か?)
その音に反応したのか、多くの足音がその笛の鳴った方角へと走り出した。更に馬の鳴き声がそこかしこに聞こえ、走り去る音がする。
(あの音を立てたのは何者だ?馬に乗ったのは、メルなのか?)
確信が持てず、その場に腰を下ろす。と、カサカサと近くで足音がした。レッドはたまらず立ち上がり、足音の方へ走った。
茂みの向こうではメルがうずくまっていた。メルは自らの震える両腕を押さえ、声を殺し肩で息をしている。
「メル」
レッドが小声で呼びかけると、メルは肩をいからせながら顔を少しだけ上げた。
「う……レッド」
メルの唇が震えている。
「苦しいのか?しっかりしろ」
「大丈夫……」
会話のさなか、足音が近づいて来る。
「笛のある方、誰もいなかったってさ」
「時間差で鳴る仕掛け笛が鳴っていたらしい。誰があんなことを」
メルがすがるようにレッドの服を掴んで来た。怯えているのだ。レッドは意外に思いながらも彼女を抱き寄せ、鼓舞するようにその背中をさすり続けた。メルは彼の腕の中で絶えず小刻みに震えている。メルの手は皮が擦りむけて赤く血が滲んでいた。それを目にし、レッドの喉の奥が熱くなる。
島民が去ってからもそこかしこで仕掛けの笛が鳴った。いつしかシャーマン達の誰もそれに気を取られなくなって行った。
レッドとメルは寄り合ってしばらくそこを離れないでいたが、
「最後に、この笛を吹くわ」
状況を動かしたのはメルの方からだった。
「何のために」
レッドが尋ねると、
「七度目の笛は〝迎えに来て〟のサインなの」
とメルは笛をくわえた。レッドはよく分からなかったが、彼女を信じて頷いた。
弱々しく、ピーと笛が鳴らされた。
「レッド、怪我はない?」
力なくメルが尋ね、レッドは力強く頷く。
「メルこそ……」
「だから、私は大丈夫」
レッドはメルの傷だらけの手を取ると、彼女を睨みつけた。
「これ、大丈夫じゃないだろ」
メルはようやくそこでくすくすと笑った。
「私のこと、心配してるの?」
明らかにからかっている口調にレッドは思わず声を失ったが、
「そうだ、すごく心配した。何で船に乗らずこっちに来ちまったんだバカ!」
と怒りを露わにした。メルは親に褒められた子供のようにニッコリした。
馬の足音が遠くから聞こえて来る。
「宿屋の主人が迎えに来てくれるわ」
ランプと共に、馬を連れた宿屋の主人がやって来た。
「ありがとうご主人。これが追加の報酬よ」
メルが金貨を手渡すと、宿屋の主人は曖昧に笑って見せた。




