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【第十四話】飛航試験・七




 バルベラは日付が変わるまではまだ余裕のある時間にやって来た。士官食堂で勤務している彼女のことを知っている者は多い。それでもバルベラは全く気にしない。

 彼女は翌朝勤務に出掛けるまで帰らない。俺の部屋から出勤して行くのだ。それがバルベラという女の生き方だった。ディアに助言したのは彼女だとすぐに判った。

 相手が俺だと知れれば皆は興味を無くす。バルベラは俺の評判を良く理解していた。

 俺は彼女に近寄ると女らしい体を抱き寄せる。好い香りをさせていた。風呂は済ませてきたようだ。バルベラは肩から背中へと腕を廻して俺に抱かれ、柔らかく肉厚な唇をしっかりと重ねてきた。


 俺が風呂場から出たとき彼女はベッドに腰掛け太股まである絹の靴下を身に着けていた。以前俺が贈った物だ。非番の日に街へ出る機会にでも使えばいいだろうに、俺と会う時に身に着けるのだ。

 立ち上がったバルベラの肉体は美しかった。南部の田舎の出身である彼女は俺が知る女性の中では肌の色が最も浅黒い。これは地域の特徴で南方出身者に多かった。アグネタも南部の女なので比較的濃い肌の色をしている。一方北部の出身者には色素の薄い者が多かった。ディアのように王都に近い中部地域の出身者には特徴がない。色合いに多少幅のある白っぽい肌色という感じだろうか。

 いつも士官食堂では頭の後ろで髪の毛をきちんと纏めているが、今は完全に解いていた。癖のある金髪に近い茶色の髪は野性的な印象を受ける。俺が野獣だというのであれば、軍で鍛え上げられた肉体に女らしい豊かな肉を併せ持つバルベラは、先史の伝承にある女戦士といった案配だろう。彼女はゆっくりと近寄ってくると、俺の肩から胸板を手の平で撫でて行く。感慨深げな表情をしていた。


「いつも思うんですよ。私の王子様はいつの間にか立派な男に成長していたんだなあって。こんなに大きくなって。私のほうが小さな村娘のようになってしまった」


 バルベラは俺を見上げて囁く。


「また昔話か。残念だが全く覚えていないのだ。親父の旧領で生活していたのは子供の頃のことだ。魔術学院には一年しか通っていないし。お前には申し訳ないが」


「それでいいのです。御領主様の御子息様に顔を覚えて頂くなど、村娘にとってはあり得ないことでございます。バルベラが身分不相応にお慕い申し上げていただけの話でございます」


 俺の胸板に体をぴたりと寄せた彼女は、親父の旧伯爵領にある村の出身なのだ。成人前にも、王立魔術学院時代も、王国軍でも時間をともにしていた。俺はバルベラ・ハラマという女の人生に大きく関わっていたというのに、彼女の昔話を聞いても僅かの欠片も思い出せない。バルベラを視界の中に捉えていなかったのだろう。彼女は俺の胴から背中へ腕を廻すと、しっかりと抱きしめてくれる。


「御領主様に体を差し出すことは村の女達の務めであり、大変光栄なことにございます。けれど隊長は疲れていらっしゃいます。私がそばにおります。今日はこのままベッドでお休み下さいませ」


 バルベラの言う通りなのだろう。恐らく精神が昂揚しているだけなのだ。それを誰かに受け止めて貰いたいということ。だがこれでは悪い貴族達の悪辣な慣習を利用して彼女に強要しているだけだ。俺は苛烈王の手で誅殺された悪い貴族達と変わらない。

 南部の村には古い慣習が比較的強く残っていた。バルベラの言う領主に体を差し出すなどという掟は、昔の貴族達が作り上げ徹底させていた慣習なのだ。未だにそれが残り続けているのは彼女の故郷である南部辺境の村々だった。

 バルベラに抱きかかえられるようにしてベッドに入った。枕元にある最も小さな魔導灯だけを残し明かりを落とす。彼女の胸に抱かれて頭をかかえられる。長い指が俺のくせ毛を優しく撫でていた。


「私が昔話をして差し上げます。お忘れになって構わないのでございます。何度でもお話し致しますので。隊長は私の英雄なのです」


 バルベラはそう言うと、彼女の記憶にある昔話を語り始めた――


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 私が王国軍に入隊する頃には、既に北方戦役は反攻のための激戦を繰り返していました。予備兵役の期間は後方で兵站の確保に就いています。正式に配属され新しく編制された部隊のひとつの小隊に所属しました。部隊の任務は重装騎兵達が敵の戦線に空けた穴を塞がれぬよう横手の敵部隊を抑えることです。それで敵を突出した塊にしてしまえば包み込んだ敵部隊を孤立させて殲滅できるのです。

 今の新兵達は長剣など真面目に握らないのでしょうね。当時の軍には志願兵も沢山いて、私の同僚にも農具を槍や長剣へと持ち替えた年輩の方達がいました。そしてある日、私達の小隊は敵の纏まった反撃に遇って孤立してしまったのです。私の分隊で無傷なのは私と今の旦那だけ。横たわり動けぬ者ばかりです。他の分隊も似たり寄ったりの状態で敵部隊が再集結する動きを見ているだけでした。

 私は大きな岩の陰に背をもたせ掛けて座り込み、弱音を吐く旦那と賭けをすることにしました。救援が来て私達の小隊が助かれば私の勝ち。私が勝ったらこの戦争を二人で生き抜いて結婚して家庭を作ろうって。二人で長剣の柄頭を交差させて我が剣に誓いました。

 突然、物凄い轟音が辺りに響いて地面はぐらぐらと大きく揺れたのです。私達は長剣を握り直して振動に耐えました。すると大声が聞こえたのです。


『もう大丈夫だ! 敵部隊は全て殲滅したぞっ!』


 そう声を掛けながら走って来るのは、見間違うはずもない、私の王子様だったのです。広く開いた襟元からたなびくスカーフ。私達一般兵達が『優等生の晴れ着』と呼んでいた当時の魔術兵団の戦闘服姿の勇姿でした。私は恐る恐る岩陰から出て敵部隊が集結しようとしていた林を見ました。そこには何もありません。松明のように燃えている木の根元が何本かあるだけの、一面の火の海でした。

 私は再び振り向いて王子様の姿を探しました。怪我をして横たわる同僚達に笑顔で声を掛け続けていました。私はまた助けて頂いたのだ――忘れられない光景が次々と甦ってきました。


 成人の年齢に達した私は領主様のお役に立つために魔術学院入学が決まっていました。成人した年は家の手伝いに精を出すことが村の女達のしきたりでした。その日は隣村までお使いです。私は体格ばかり良くて中身は子供だと親に叱られることが多かったのです。頑張って褒めて貰いたいと思っていました。ところが服のポケットへと収めたはずの硬貨の入った袋がないことに気づいたのです。

 私は泣きながら辺りを探しつつ道を引き返しました。すると道の向こうから馬に乗った子供が駆けて来ます。その身なりの良い子供は馬を止めると私に何があったのか問います。私は泣きながら全て正直に話しました。子供は馬から下りると私を鞍に腰掛けさせ、手綱を引いて隣村へと歩き始めたのです。私は内心青ざめていました。鞍に領主様の家の紋章が刻んであるのが分かったからです。

 その子供は私よりも少しだけ年下のように見えました。領主様の家の方を歩かせるなんて、どんな罰が待っていることかと鞍の上で震えていました。子供は私の訪問先で身許を明らかにすると、お金は領主様の家へと請求するように申し入れたのです。


『必ず我が家へと請求するのだ。それからこの娘が困らないようにしなさい。二つのことを約束して貰わないと、このグドルフ・ベリヤノンの恥となる。きっと約束を違えないでくれ』


 そう言うと着ていた服のボタンを千切り取って証として平伏している家主と村長の手に握らせたのです。地面に座り込んだ私の所へ来ると、ポケットから何かを取り出して手に握らせてくれました。


『飴だ。舐めると甘くて幸せな気持ちになれる。もう泣かなくても良い。きっと大丈夫だから』


 私は手の中の飴玉を握り締めて子供の顔を見つめていることしかできません。その子供はにっこり笑うと馬に跨がり駆けて行ってしまったのです。その後は大騒ぎになりました。私は親に叱られましたけど夢を見ている気分が続いていたのです。夢でないことは飴玉が証明してくれました。お伽話の世界が現実になったのです。母に聞いた話では隣村の村長は領主様からお礼を賜ったそうです。


 魔術学院での私は落ちこぼれの劣等生でした。術を完成させられないのです。そんな私にも驚異的な新入生の噂話は耳に入ります。私の王子様はやはり誰よりも優秀でした。血筋が違うのです。貴種なのです。私は少し自棄になっていたのだと思います。でも王子様は出身地を隠した私の願いを何も聞かずに受け入れて下さいました。私は魔術学院の森の中で王子様の手で女にして頂きました。

 劣等生で何のお役にも立てない私に捧げられるものがあったことに安堵していました。そして幸せを感じていたのです。そんな私に王子様は最も基本的な魔術である炎の術の講義を始めたのです。


『大丈夫だよ。落ち着いて練習を繰り返せば必ず上手に出来るようになる。きっと大丈夫だから』


 王子様は笑顔で私を励ましつつ、丹念に魔力の引き出し方を説明してくれます。今思い返せば笑い話になってしまいます。交わったばかりの女を相手に真面目に魔術の講義を始めたのですから。でも私は嬉しかった。とても幸せでした。これほど幸せな時間は二度と訪れないと確信しました。その後王子様の卒業前に我が儘を言ってもう一度可愛がって頂きました。口づけを教わったのも王子様。


 ――そんな思い出が溢れてきた私は小隊で最も上手く竈に火を入れることが出来る程度の一般兵。そして大変なことに気づきました。私は賭けに勝ってしまったのです。それまでの人生で最大の失敗をしたのかも知れません。我が剣に誓った賭けを無かった事にはできません。私達は無事帰還した後付き合い始めました。南方戦役では空ばかり眺めていました。私の王子様は飛航具の中に居ます。

 私の手には我が剣ではなく領主様のお作りになった魔導銃があります。自力で一度も成功しなかった光弾をいとも簡単に槍よりも遥かに長射程で連発できる。自分の時代ではないと感じたので結婚して予備兵曹となることを決めます。私の王子様は後方の基地から出撃していることに気づきました。私の希望は叶います。再び会えた王子様はすっかり立派な大人の男に成長していました。

 でも、しばらく観察していたら変わっていないことが分かりました。私の王子様のままなんです。嬉しくて涙が出そうでした。私のほうがちょっぴり年上なのを恨めしく思った程度で。だから食堂で声を掛けられたときは受け答えがおかしくなりました。南部の出身なのか聞かれたとき全てをお話ししようと決めました。忘れられていても構わない。隊長は私の英雄で私の王子様なのです。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ――バルベラの昔話は俺の記憶には残っていないのだ。多少脚色はあるとしても嘘は吐いていないだろう。彼女の記憶を話して貰う度に俺は酷い人間だと思い知る。貴族と領民だから、階層が違うのだから当たり前とは言いたくないのだ。個人と個人なのに。

 ちなみに当時の魔術兵団は友軍の救出任務はしていない。集結している敵部隊を殲滅するのが我々の任務だった。結果的に救出した友軍はあるというのが真実だ。


「隊長はいずれ次の御領主様となられるお方。バルベラの身は貴方様の所有物でございます。隊長が笑顔でいられるようお世話させて頂きます。全てお任せ下さい」


 彼女はそう言うと優しく抱きしめてくれる。しかし俺が伯爵位を継ぐとは限らないのだ。結局そのままバルベラに抱かれて眠った。

 翌朝。俺の高ぶりを全て治めたバルベラは笑顔で手をひらひらとさせて出勤して行った。


「隊長の朝食を用意しておきますね。頃合いを見て食べにいらして下さい。お待ちしております」


 それが彼女の別れ際の言葉だ。誰よりも妻のような女だった。


 今日から王国軍の報道官と記者団が逗留する。今夜は士官食堂でパーティーがある。だから今日は無難に飛んでやる予定だった。

 記者団の前で派手に墜ちるのは明日か明後日か。顔を洗いながらあれこれ考えていた。





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